第5話
シャツに袖を通し、作業用のズボンに足を突っ込む。俺は部屋に籠った熱気から逃れるようにして自室を出た。
部屋を出てすぐの場所は、キャットウォークになっている。俺たち整備士の個室は、ちょうど二階にあたる。カンカンカン、と硬質な作業用ブーツの音を立て、俺は一階に下り立った。まずは顔を洗おう。それから、ステッパーの修理に当たらなければ。もちろん、昨日損傷して帰還した機体が最優先だ。
洗面所に着くと、長い洗面台にたくさんの蛇口が並んでいる。俺は奥から三番目の蛇口の前に立ち、勢いよく捻った。何故ここが俺の定位置になったのか、はっきりしたことはよく分からないが。
よく冷えた水を、ぴしゃりと自分の顔に叩きつける。視界が急速にクリアになっていく感覚と共に、体中に微かな震えが走る。差し込み始めた朝の日光が、そんな俺の身体を温める。
「はあ……」
薬の副作用で、軽い頭痛がする。昨晩きちんと服薬しなかった影響が、今頃になって襲ってきているのだ。まあ、それが目覚ましの一端を担ってくれているかもしれないが。
俺は持参したタオルを顔全体に当てた。洗剤の微かな甘い香りが、俺の鼻腔を占めていく。
ため息をつきながら、俺は目を閉じて頭の回転速度を緩めた。定期的にそうした時間を設けないと、少年兵時代の記憶に押し潰されそうになる。
全く、今って時代は……。まあ、生を受ける時代や場所を選べるわけもないのだから、嘆こうにも嘆きようがないのだが。
タオルを洗濯籠に放り込み、洗面所を出る。今の時間、大抵は、格納庫には誰もいない。損傷したステッパーのコクピット上には、遠くからでも見つけやすいように小さな赤旗が立てられている。
「あいつか……」
俺は足早に、そちらに向かおうとした。まずは損傷状態を確認し、必要な工具を持ってこなければ。あるいは、低い荷台のついたトラックで格納庫奥の修理倉庫に収納するか。
それを判断するのも整備士の仕事だ。俺は大股で、赤旗の立てられた機体へと向かった。
その時だった。
「!」
何かの気配がした。動くものだ。だが、現在ステッパーは全機停止中のはず。
……誰だ?
こんな早朝に格納庫をうろつく可能性のある、俺以外に考えられる人間は――。
俺は足音を殺し、腰のホルスターの拳銃に手を伸ばしながら、そっとステッパーたちの間から顔を覗かせた。そのまま歩を進めていく。
いた。損傷したステッパーのコクピットに手を触れながら、手元のボードに何やら書き込んでいる。
俺は素早く拳銃を抜き、コンテナの陰から飛び出した。
「動くな!!」
自分の声が、格納庫内に反響する。しかし、それを耳にしながら俺は自らの愚を悟った。
「おいおい、そうピリピリしないでくれよ、デルタ。僕もこの機体には興味があってね」
『調査権は君だけにあるものじゃないだろう?』――そう目で諭しながら、彼、ルイ・ローデンは軽く頷いてみせた。
「なんだ、ルイか」
「無遠慮だな、君は。『おはよう』とくらい言ってくれよ。組織内の礼節を守ること、挨拶を頻繁に行うことは、その組織内でのコミュニケーション効率を上げ、結果として――」
「互いの生存率を上げることに繋がる、だろ?」
「分かってるじゃないか」
ルイは軽く首を傾げ、眼鏡の奥から優しい視線を俺に注いできた。口元には笑みを浮かべている。俺は呆れて肩を竦めながら、拳銃をホルスターに戻した。
「こいつか。昨日の急患は」
「ああ」
俺はルイの横に立ちながら、その機体を見上げた。
型式番号『ST-992-UX』。全高三・二メートル、全幅二・八メートル。跳躍用バックパック搭載時は、奥行き三・〇メートル。重量は、装備にもよるが〇・八トンにまで抑えられている。ここ数年の軍事技術の発展は目覚ましいな、と俺は嘆息を禁じえない。
このステッパーの機構は、設計当初からの基本的な設計に基づいている。コクピットは極めて硬質な透明素材と防眩フィルターに守られ、キャノピーが展開してそこにパイロットが座り、操縦することになっている。足元にはペダルがあり、歩行・跳躍・空中姿勢制御を担う。高さは、コクピットを頭部とすると約一・五頭身ほどになる。
腕部はちょうど、パイロットの頭の高さに取りつけられている。最新のモーション・キャプチャー技術、及び人体構造学の技術導入により、肩から指先までがパイロットの意志に基づいて動く仕組みだ。
そして脚部。これも人体力学に基づき設計されているが、あまり長くはない。ステッパー自身が一・五頭身なのはそのためだ。腕部動揺、脚部もコクピットの両脇に接続されているので、横幅があってずっしりした印象を与える。
敢えて言えば、宇宙服のヘルメットから太い腕と脚が生えているような姿、と表現できるかもしれない。
「どうしてステッパーが歩行機械であるか、分かるかい? デルタ」
損傷機を見上げながら、ルイが問いかけてきた。
「そんなもん簡単だ。定義づけが逆なんだ。そもそも歩行機械ができた時に、ステッパーなんて名前をつけたからだろ?」
仏頂面で答えると、ルイはクスッと笑いながら、作業着のポケットに両手を突っ込んだ。
「全く、素直じゃないな、君は」
「余計なお世話だ」
その『歩行が可能だったから』という理由で、俺の少年兵時代の仲間は死んだのだ。素直にステッパーの利点を掘り返す気にはなれない。
「まあ、確認がてら語らせてもらうとね――」
ルイは語りだした。
歩行することで、戦車の進行しづらい森林や山地にも侵攻できるようになったこと。
キャタピラで移動するよりも、足を装着した方が高速戦闘ができること。
その高速戦闘に必要な大型スラスターを搭載するのに、キャタピラよりも足の方が好都合だったこと。
「ご高説どうも。何度もおんなじことをグダグダと……」
「それでも聞いてくれるのは君だろう。ご清聴どうも」
相変わらず柔和な笑みを浮かべ、ルイはおどけた礼をした。
「しっかしこの脚部の修復は大仕事だな。スペア、あるか?」
「今はないな」
笑みを消し、頬を引き締めながら、ルイは視線を手元のボードに落とした。
「次の輸送機が来るのは明後日になる。その間、出撃可能なこちらのステッパーは十一機だ」
「それなら、万が一敵が一個中隊を差し向けても対抗できそうだな」
「そうさ。こっちにはオルド大尉にリアン中尉、二人のエースパイロットがいるからね」
俺とルイが互いに頷き合った、その時だった。
「誰がエースですって?」
「!」
件の人物の声が、キャットウォークから降ってきた。俺の横で、ルイがゆっくり敬礼する。
「おはようございます、リアン・ネド中尉。早いですね」
「おはよう、二人共」
さっと返礼するリアン中尉を見て、ルイは手を下ろした。
「誰かさんに噂をされて、寝ながらくしゃみしちゃったのよ。お陰で寝起きはサッパリね」
「それはそれは。おいデルタ、ちゃんと挨拶しろよ」
「あ、ああ!」
俺はバシッと踵を合わせ、ザッと敬礼した。
「お、おはようございます、中尉殿!」
「殿は余計よ、デルタ伍長。そんなにピリピリしてたら、修理にも支障が出るんじゃない?」
「は、はッ……」
俺はのろのろと手を下ろした。
肩口でバッサリと切り揃えられた、焦げ茶色の髪。緑色の、ぱっちりとした瞳。すっと通った鼻筋に、控え目な口元。
今は薄手の、煤けたピンク色のジャケットを羽織って、キャットウォークの手すりに腕を載せて寄りかかっている。
どうしても、この人とは目を合わせていられない。やっぱり意識してしまっているんだろうか。異性として。すっと目線が中尉の胸元にいきそうになったので、俺は慌てて俯いた。
「昨日は敵の偵察はなかったようですね」
「ええ、幸いなことにね。ルイ伍長、この子の調子は?」
リアン中尉はステッパーを『この子』『あの子』と呼ぶ。自分の愛機のことは『ヴァイオレット』と名づけているらしい。まさか全機に名前をつけているわけではないだろうが。
そんな俺たち三人は、損傷機に向き直った。
「敵機による銃創は見られません。それに、脚部の底の損傷が最も激しい。恐らく、地雷でも踏んだのでしょう。パイロットの方は?」
ルイの問いに、中尉は眉間に皺を寄せた。
「一命は取り留めたわ。でも、右足の膝から下は切断せざるを得ないようね」
「そう、ですか」
尋ねたことを後悔するかのように、ルイは唇を噛みしめる。
「仕方ないわ、戦争だもの。私だっていつそうなるか――」
「ちょっと待って!」
思わず俺は声を上げていた。
「そんなことが起きないように、俺たちが全力でメンテします! だから……」
『どうかご無事で』。そう言うつもりだったが、俺の声量は途端に萎んでしまった。しかし、中尉はそれを察してくれたのだろう。
「心配しないで」
そう言いながら、俺の肩をポン、と叩いて、ブリーフィングルームへと歩み去った。
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