第3話

「うあ!?」


 手榴弾が、俺の手から転がり落ちてしまった。ピンは抜いていない。

 俺は慌てて壁の内側から飛び出し、手榴弾を拾い上げようとした。

 手榴弾。手榴弾だ。これがなかったら、リーダーもアルファもブラボーもチャーリーも、皆が報われない。


 そんな俺の思考は、目の前に降ってきたものによって途絶された。


「え……?」


 先ほど屋上から降ってきたステッパーが、俺の前に立ちはだかっていた。ガシュン、と脚部、膝にあたる部分が屈伸し、着地の衝撃を吸収する。それと同時に、ホバリングで使用していたスラスターの排気口から、プシューーーッ、と白い煙が立ち上る。

 さらに、一旦前傾姿勢になっていたステッパーは、人間が顔を上げるようにコクピットをもたげた。先ほど目を合わせたパイロットが、再び俺と視線を交わす。俺にはそのパイロットが、ニッと口の端を上げたかのように見えた。


「う、あ……」


 俺の怒りは、一瞬で恐怖に塗り替えられた。

 ここで、俺は、死ぬ。

 誰にも看取られず、埋葬もされず、涙一滴流されずに、俺は死ぬ。


 俺は両膝が急に脱力し、身体を支えられなくなった。その場にへたり込む俺に対し、ステッパーはゆっくりと刃を引く。敵の支援部隊と思しき連中も、俺に自動小銃の矛先を向ける。

 四面楚歌で八方塞がり。これこそまさに絶体絶命だ。俺はそのまま、うつ伏せに倒れ込んだ。

 その時だった。

 ステッパーが、真っ黒に染まった。いや違う。ステッパーの背後で何かが爆発し、逆光でステッパーの影が浮き上がって見えたのだ。

 前のめりに倒れてくるステッパーを、俺は辛うじて回避した。


 爆発の原因は? 背後にいたステッパーが爆発した? 攻撃が加えられたとすれば、恐らくは上空からとしか思えない。一体何だ……? 俺も敵の兵士たちも、空を見上げる。その視線の先に広がっているのは、日の差し込まない灰色の空――だけではなかった。


 大型の軍用輸送機が、視界の隅から現れた。鋭い三角形のフォルムをしており、全長は百メートル、翼長は六十メートルはあろうか。ホバークラフト技術の応用で、高速輸送機としてのみならず、ゆっくりとした低空航行も可能になっている。まあ、これは後から聞いた話なのだが。

 しかし、とにかく今は、あまりのスケールにその場の全員が息を飲んでいた。


 グオン、グオン、グオン、グオン……。


《おい、何やってる!? 早くあのデカブツを撃ち落とせ!!》


 敵の増援部隊の隊長だろう、誰かが大声で指示を下している。悲鳴のようにも聞こえるが、無理はない。今彼らにある火器で、対抗できる相手ではないのだ。

 呆然と立ち尽くす敵兵たちを正気に戻したのは、鈍い金属の擦過音だった。ジリジリとした、胸が焼けつくような音。続いて、ガコン、と何かが展開する音がした。輸送機の下部が開いたのだ。

 そこに見えたのは、


「ステッパー……?」


 味方にステッパーが配備されたという話は聞いていない。いや、聞かされていなかっただけかもしれない。とにかく、敵か味方か分からない脅威が、俺や敵兵たちに迫っていた。


「ひっ!」


 俺は慌てて、腰を抜かしたまま廃墟へと這い戻った。皆を殺した兵器だ。逃げなければ。

 するとそこには、自動小銃が一丁立てかけられていた。ブラボーが使っていたものだろうか。藁にも縋る思いで、俺はその小銃を抱きしめた。


 俺たちが手にしたこともないような、大火器の発砲音がする。主に聞こえてくるのはマシンガンの掃射音だが、チャーリーの使っていた対歩兵用の銃とはまるで違う。ドドドドッ、と重苦しい発砲音が、俺の鼓膜を打ちまくる。

 もはや悲鳴は聞こえなかった。代わりに耳に飛び込んでくるのは、胸に響くような銃声に金属音と爆発音。それに、奇妙な駆動音だった。


 投下されたはずのステッパーたちは、ほとんど着地音を立てていない。代わりに、ボッ、と短くスラスターを噴かす音が繰り返し聞こえてくる。着地時の衝撃を相殺しているのだ。奇妙な駆動音がするのは、きっと新型のムーバブル・フレーム――骨格機構を用いているのだろう。


 俺がそっと覗き込むと、真っ白な外観に赤い国旗をプリントされたステッパーたちが闊歩していた。あれは確かに、俺たちの国の国旗だ。味方ではある。

 だが、こんなところでノコノコ出ていったら、俺はすぐに殺されてしまうかもしれない。身分証明になるものは、何一つ持っていないのだ。

 脱出口を発見すべく、俺は視線を走らせる。酷い焦げ臭さだ。無理もない、数十の死体と十機近いステッパーが流血、または燃料の漏洩を起こしているのだから。


 俺は息を止め、前のめりに倒れたステッパーの下に入った。白いステッパー全機無傷のようだ。かなりの性能と操縦技術を有する部隊だということだろう。白旗を上げながら、ゆっくり出ていってみようか。

 俺が白い布を探そうと目を逸らした、まさにその瞬間だった。

 グワン、と腕を振り回すようにして、前のめりに倒れていた敵のステッパーが動き出した。はっとして目を上げると、パイロットと目が合った。口元から血を流しているが、生きている。敵機は腕を思いっきり引き、五本指のついた腕を握り込んだ。鉄拳で俺を潰し殺すつもりだ。


「うわあああああああ!!」


 今までため込んでいた分が、一気に吐き出されるような絶叫。それが自分の口から発せられていることに、俺はすぐには気づかなかった。

 そうして、俺の視界は真っ赤に染まった。


         ※


「……」

《大丈夫か?》

「……」

《大丈夫かと訊いているんだ、坊主!》

「……?」


 あれ? 俺は生きてる? どうして? ぺちゃんこに潰されてしまったはずでは……?


《オルド大尉、叫ばないでください。相手は子供でしょう?》

《うるさいぞ、リアン中尉! この戦況下に、子供もガキもあるか!》


 完全オープン回線の無線。遣り取りをしているのは、濁声の男性とまだ若い女性だ。それぞれ四十代、二十代といったところだろうか。

 俺は改めて、パチパチと瞬きをした。しかし、視界が真っ赤であることに変わりはない。これは、何だ?


《あらよっと》


 味方のステッパーが、ちょうど俺にのしかかっていた敵機を押し退けた。


「う、わ……」

《おい、いつまでも腰抜かしてるんじゃねえぞ、坊主!》


 俺は敵機のコクピットを覗き込んでいた。俺に拳を叩き込む直前、パイロットは死んだのだ。キャノピーが真っ赤に染まっている――この出血量で、生きていられるとは思えない。

 よく見れば、敵機のバックスラスターに一本の鉄棒が刺さっていた。エレクトリック・スピアーだ。電磁パルスで操縦システムを破壊する、強硬度の細い槍。それが、コクピットまでをも貫いている。


《坊主、歩けるか? 立てるんだろうな?》

《焦らせないでください、オルド大尉! 相手は子供なんですから》

《繰り返すな馬鹿! 営倉にぶち込むぞ、リアン中尉!》

《お好きにどうぞ》


 カツン、と軽い音がして、正面にいた味方機が押し退けられた。


《大丈夫よ、あなたはよくやったわ。お陰で私たちは、森の先の橋を奪還できた。心配しないで》


 心配しないで、だと? 意味が分からない。そんな殺人兵器のコクピット越しに言われて、信用する馬鹿がいるとでも思うのか?


「くっ!」

《ちょっ、何をする気!?》

《おいおい、何をやってるんだ!?》


 俺は自動小銃を構え、なんとか初弾を装填しようとした。しかし、上手くいかない。手が震えて止まらないのだ。


「畜生!!」


 俺は小銃を放り捨て、拳を振り回しながら突進し、


「がッ!!」


 差し伸べられた指先に額から突っ込み、気絶した。

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