第31話

 地上に出て真っ先に気づいたのは、雨音だ。ざあっ、という豪雨がキャノピーを叩く。

 同時に、一瞬目がくらんだ。街のネオンが眩しかったのだ。

 だが、そんなことに構ってはいられない。敵機はこちらが穴から出て、着地するところを狙ってくるに違いない。


「頼むぜ……!」


 スラスターの出力はそのままで、一気に機体を跳躍させた。すると、まさにヴァイオレットの足先を掠めるように、敵機のナイフが空を斬った。接近戦用にもう一本、ナイフを装備していたらしい。

 相手がわざわざ接近戦用の武器を用いているということは、遠距離武器はもう持っていないということだ。勝てる。

 俺は地面に空いた穴を挟むようにして敵機に対峙し、ロケット砲を放り捨てた。背後から二本目のロケット砲を取り出し、右腕部に装着。敵機に向かって構える。


 すると、敵機はすぐさまバックステップした。こちらにナイフをかざしながらも、後退を始める。ロケット砲の射程は短いから、そうやって距離を取り、ロケット砲の威力を軽減させるつもりなのだろう。

 いや、待てよ。それにしては随分落ち着いている。ここは中心市街地だ。ビルなどの建築物を盾にすることは簡単にできるはず。にも拘らず、敵機の後退進路上に遮蔽物はない。こちらを誘っているつもりなのか?


 俺は発砲を躊躇った。そして、発砲しなかったことが正解だったのだと知った。

 集音マイクが、微かな声を拾ったのだ。


《誰か! 誰か助けて! こいつら、あたしを誘拐する気よ! 全く、ふざけた真似をしてくれたものね!》


 紛れもなく、リールの声だった。パニックになっていないことに、少しばかり安堵する。音響センサーで声の発生源を追うと、その先にあったのは洋品店だ。ショウウィンドウのガラスの向こうで、リールがドンドンと拳を叩きつけている。

 要は、人質ということか。解放の条件は恐らく、最新鋭機の強奪を見逃せ、とでもいったところだろう。敵からすれば、無理やりに戦って最新鋭機の傷を増やす必要はないのだ。


 俺は迷った。俺がステッパーに乗る覚悟をしたのは、リアン中尉の遺言があったからだ。自分がリールとこのまま帰還すれば、遺言には矛盾しない。

 だが。

 問題があるとすれば、相手が俺とリールを無事に帰すか、というところだ。逃げる背中から斬りかかられたら、回避は不可能。苦痛を味わう間もなく、胴体を横薙ぎにされるだろう。

 さあ、どうする? 俺が脳を高速回転させていると、敵機はリールの入れられたショウウィンドウに近づき、ナイフをかざしてみせた。そのナイフの先端で、カツン、と音がする。


《ちょっと! このガラス割ってくれるの? だったら早くして頂戴! ここから出してよ!》


 俺ははっとした。相手が俺から距離を取ってリールを掴み込み、そのまま逃走したら。リールも最新鋭機も、奪還できないことになる。リールは今、この期に及んでも、恐怖心を抱かずにいる様子だ。もしかしたら、一般人よりも簡単に拉致されてしまうかもしれない。

 しかし、敵機はそんな動きを見せなかった。キャノピーにネオンが反射して、敵機のパイロットの姿は見えない。だが、頭があるであろう部分から熱い闘志のようなものが感じられた。


「俺を仕留めるつもりか……」


 リアン中尉は殺害された。リールと違い、士官であり、そして実力の程が分かっていたからだろう。要は、あまりにも強い相手は誘拐せず、殺さなければならないと思っているわけだ。

 敵パイロットは、俺のことを殺害目標として認識したらしい。

 そうか。だったらそれを後悔させてやるだけだ。


 排水溝での戦いが終わり、市街地での戦闘開始のゴングが鳴らされた。


 とは言っても、状況は複雑だ。敵はリールを人質に取っているし、一体どこまで最新鋭機を使いこなせているかも分からない。残る敵機の武装は対ステッパー用のナイフが一本だが、リールがビル屋上のテロリストたちを易々と全滅させたところを見るに、油断はできない。

 対するこちらは、ロケット砲が二発とエレクトリック・スピアーが一本。機体はほぼ無傷だが、能力差はどのくらいあるのだろう。敵機が敢えて地上に出て戦闘を仕掛けているところを見ても、まだ俺の知らないダイナミックな機動が可能なのかもしれない。


 と、想像を巡らせていた俺は、すぐさま意識を現実へと引き戻された。敵機が前傾姿勢で、ナイフを両手持ちにしながら突撃してきたのだ。


「うっ!?」


 あまりの単純な、しかし気迫あふれる挙動に、俺は戸惑った。右方向へと機体を捻り、そのままバックステップ。追随してくる敵機。こちらはロケット砲を構える暇もない。

 そして、敵機は思いがけない挙動にでた。跳んだのだ。このまま振りかぶってくるかと思ったが――。

 直後、軽い警報音が響いた。機体の背後が何かに衝突しかけている。俺は慌てて脚部を戻し、踏みとどまろうと試みた。俺の頭上を、敵機の脚部が掠めていく。直後にザン、という無機質な斬撃音。一体何を斬ったんだ?


 その答えは、頭上から響いた無数のアラート音から察せられた。まず落下してきたのは敵機だ。ヴァイオレットを踏みつけ、蹴り飛ばすかのように。

 その程度で傷つくステッパーではない。だが、この上からのアラート音は一体……?

 さっと顔を上げると、無数の鉄パイプが落下してくるのが目に入った。慌てて退避していく敵機。


「あの野郎!」


 俺の背後にあったのは、建設中の高層ビルだった。まだ骨組みしかできていないが、いや、だからこそ、ナイフの一振りで倒壊し始めたのだ。

 まさに、鉄の雪崩。これに巻き込まれたら、コクピットは無事かもしれないが、外付けのスピアーとロケット砲は潰されてしまうだろう。無論、敗北は決定的になる。


 なんとかして武器を守らなければ。俺は咄嗟に、スピアーを前方に放り投げた。道路を挟んだ反対側のビルに突き刺さるスピアー。バリバリと電撃が走る音がする。ロケット砲は――止むを得まい。


「一発かましてやる!」


 俺は真上に右腕を掲げ、発砲。鉄パイプのほとんどが、爆風によって四方八方に弾き飛ばされた。それでも鉄パイプの全てを防げたわけではない。ガタガタと揺れる機体の中で、俺は身を低くした。

 弾かれた鉄パイプが、あたかもカーテンのようになって俺の機体を防護してくれる。しかし、衝撃音はそれだけではなかった。ちょうど正面から鳴ったアラート音。

 どうにか機体をしゃがませる。すると僅かに右にずれたところに、スピアーが突き刺さった。

 俺がそれを目視した直後、今度は左側にナイフが飛んできた。間違いなく、敵が投げつけてきたものだ。ちょうど俺は、スピアーとナイフに挟まれる形になる。

 そうか。敵は俺が左右どちらかに避けるものと思って、二つの武器を投げつけてきたのだ。すぐには動きが取れないが、真上から降ってきた鉄パイプからは機体を守ることができた。


 鉄パイプの雨が止んだところで、俺は右腕でスピアーの柄を掴み、自分のものにする。敵はと言えば、ナイフを投げてしまったのだからもはや武器はないはず。いくらキャノピーが丈夫でも、零距離で打撃を加えれば倒せるだろう。この勝負、もらった。


 しかし、全く思いがけないことが起きた。ナイフがひとりでに抜けたのだ。


「!?」


 飛んでいくナイフ。その先にいたのは、右腕を前方に差し出した敵機だ。そのままナイフは、柄の部分がすっぽりと敵機の右腕に収まった。


「そういうことか……」


 敵機のナイフには、屈強なワイヤーがついていたのだ。一度投擲しても、また手元に戻せるように。ワイヤーを切断することが合理的でないことは、すぐに察しがついた。そんな細いものを狙えるほど、ロケット砲は精密ではないし、スピアーは一点集中打撃武器だから、ワイヤーを狙うことは難しいだろう。


 敵機はすぐさまナイフを構え直し、ジリジリと俺を中心に動き始めた。俺は左腕のロケット砲をガシャリと落とし、三発目を構える。

 スピアーにかけられる電力も、もう限界が見え始めている。どうにか敵の動きを止めなければ。


「……よし」


 俺は一回きりの大勝負に出ることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る