第25話
ぼんやりとそちらを見つめていると、この独居房に繋がる廊下の照明が点いた。少し目を細めて、そちらを見つめる。すると、俺が相手の姿を捉える前に声をかけられた。
「大丈夫、デルタ伍長?」
「リアン中尉……」
両脇を屈強な衛兵に挟まれながら、リアン中尉が鉄格子越しに立っている。衛兵は黙ったまま、両手を背後で組んで『休め』の姿勢で待機している。
「何かあったんですか」
無関心を装いながら尋ねると、
「自分がどうしてこんなところに押し込まれているか、分かるわね」
と質問で返された。
そんなこと、分かっているに決まっているじゃないか。この基地の司令官を殺しかけたのだ。だが、そんなことを口頭で答える気にはなれず、俺は目を逸らした。
「じゃあ、お願いします」
中尉の声に応じて、衛兵が一歩、鉄格子に近づいてくる。すると、金属の擦れ合う音と共に、その格子がスライドして開かれた。
もう一人の衛兵が入ってきて、俺の腕を強引に引っ張る。俺はなんとか転倒は免れた。ガチャガチャと音を立てて、手錠が外される。
「出ろ」
と一言、冷たい声をかけられると同時、俺はリアン中尉の方に目を遣った。
「何故です? 俺、反逆罪ですよ? 軍法会議ものなのに――」
「まあ聞いて、デルタ伍長」
直立不動のまま、中尉は答える。デルタ『くん』ではなく階級で呼んでいるのは、衛兵の目を意識してのことだろう。
「あなたは前線基地から首都防衛部に引き抜かれた、いわばエリートなのよ。選んだのはルイ伍長だけどね。だから、これから式典があるんだけれど、どうしても出てほしいんですって。首都防衛部の士気高揚のためにね」
「またプロパガンダですか」
「飽くまで戦争に勝つためよ」
「やっぱりプロパガンダじゃないですか」
「選ばれた者の義務よ、伍長」
「所詮命令でしょう?」
「私からもお願いするわ」
すると意外なことに、中尉は俺に頭を下げた。垂直に伸ばされていた背筋を腰から折り、床と水平になるくらいにまで上半身を下げたのだ。
『命令』ではなく『お願い』ときたか――。これは従わざるを得まい。
頭を上げた中尉に向かい、俺は問うた。
「大丈夫なんですか? 俺は反逆罪に問われても仕方のないようなことをしたのに」
『反逆罪』という言葉を、俺は繰り返してみた。すると中尉は『大丈夫よ』と即答。
「あなたの隣には、この二人に立ってもらうから。ワルドネス大佐の司令室にいた士官よりよっぽど腕利きよ」
「ああ、そうですか」
暴れる余地がない、ということか。
「デルタ伍長、あなたが咄嗟に騒ぎ立てようとしても、この二人が止めてくれるわ。心配しないで」
俺は軽く、二人の衛兵に目を遣った。それから視線をリアン中尉に戻し、頷いて見せた。
「分かりました」
※
俺の前を行くリアン中尉。両脇の衛兵たちは、俺の上腕を掴んで歩かせている。これはもう観念して、従うしかないだろう。もっとも、中尉の『お願い』でなければどうだったか分からないが。
暗い廊下を歩くと、すぐに開けた場所に出た。ホールのような場所だが、人はまばらだ。式典とやらは、さらに先の部屋――大ホールとでも呼べばいいのか――で行われるのだろう。俺は作業着姿のままだが、大丈夫だろうか。
「こっちよ。ワルドネス司令が挨拶するから、私たちは隣で並んでいればいいわ」
「隣って……俺たちも壇上に出るんですか?」
「これもあなたのいうプロパガンダの一つよ。ここに来る途中で、バルシェ少佐もロンファ伍長も亡くなってしまったし、残った私たちで場を盛り上げて、士気高揚に役立たなければね……」
俺は不平を述べようとして、やっぱりやめた。理由の一つは、周囲に聞こえてしまうからということもある。だがそれよりも、中尉の横顔に陰りが見えたから、という事実の方が理由としては大きい。
中尉も、自分が見世物扱いされることに苦痛を感じているのだ。バルシェ少佐とロンファが命を落としたことも、彼女にとっては重い事実だろう。
そのまま歩くと、俺たちの前に一際大きな扉が現れた。分厚い扉のようだが防音性はないらしく、なにやら賑やかな気配が伝わってくる。
「この扉の先よ。今はまだ懇親会のようなものが行われているけれど……」
俺はため息をつきたくなったが、目を伏せるだけで我慢した。敵が首都でテロを起こしたというのに、呑気にどんちゃん騒ぎ。
こんな態度、少年兵時代の俺たちだったらあり得なかった。当然だ。騒ぐ暇があったら、武器の分解と清掃、それに組み立てをやっていた方がまだ有意義に思える。
扉の脇に立っていた衛兵が、扉を向こうへと押し開ける。その瞬間、俺は反射的に目を閉じた。眩しかったのだ。腕を強引に引かれ、光のカーテンへと滑り込む。
大ホールは、まさにパーティ会場そのものだった。円形テーブルがあちこちに配され、今まで見たこともないような数の料理が並んでいる。こんな時に――と思いつつ、俺の口中はじわり、と唾で満たされた。身体は正直だが、情けないという気分もあり、俺は今度こそため息をついた。
「ワルドネス司令はまだ来ていないようね。どう、デルタ? 少しは何か食べたら?」
振り返り、俺に向かって笑みを浮かべるリアン中尉。だが、唇の端が引きつっているのが俺には見えた。
中尉だって、今は警戒態勢を取るべきだと思っているのだ。しかし、俺に料理を勧めるような平和ボケした感をまとっている。これが一種の処世術というものなのだろうか。
俺は僅かに視線を上げ、中尉に一瞥をくれようとした。こんな処世術、馬鹿げていると訴えたかったのだ。だがそれよりも、中尉の目が見開かれるのが先だった。
「……デルタくん」
言葉が続かない。どうかしたのか? 俺が訝し気な目をすると、突然中尉が俺に抱き着いてきた。
「!? い、いきなりなんですか!?」
唐突に、それも力強く抱きしめられ、俺は息が詰まった。中尉の両腕が俺の背に回され、互いの胸が密着する。
「あ……!」
驚きのあまり上手く息が吸えない。おずおずと、俺も中尉の背に腕を回した。そして、理解した。中尉は俺に抱き着いてきたのではなく、倒れ込んできたのだと。
俺の指先に、冷たい何かが触れる。これは……!
それと同時に、もう片方の手には生温かい液体が伝って来た。
まさか、こんなところで。いや、しかし俺の手の感覚に間違いはない。そんなことより、リアン中尉は――!
頭が混沌とし、俺も倒れ込みそうになる。だが、中尉の優しい匂いが、強制的に俺を現実へと引き戻した。
リアン中尉は、背後から刺されたのだ。小ぶりのナイフで、しかし的確に。致命傷となるように。
この事態に気づいているのは、俺とリアン中尉だけらしい。あたりがあまりに騒がしいのだ。犯人は――テロリストの別動隊は、人混みに消えてしまった。
「リアン中尉」
「……」
「中尉」
ようやく違和感を覚えたのか、俺の両脇にいた衛兵が手を離し、中尉の背中を覗き込んで大声を上げた。しかし、なんと叫んでいるのかはよく分からない。
中尉が殺された。その現実だけが、俺の心をぎゅっと握り潰す。だが、中尉はまだ息をしていた。
俺は意識なのか無意識なのか分からないままに、中尉の背中からナイフを引き抜いた。そして自分の上着を脱いで丸め、リアン中尉を仰向けに横たえながら、傷口にそれを押し当てた。
自分の膝を枕にして、中尉の頭部を載せる。
『衛生兵はどこだ』――そんな声を遠くに聞きながら、俺はただひたすら、リアン中尉の瞳を見つめ続けた。
「……ごめんね、デルタくん」
「喋らないでください」
「私……てっきりここは安全だと思って……」
「いいから黙って」
「あなた、私のこと、少しは気にしてくれていたんでしょう?」
「今はそんな話をしている場合じゃありません」
「……分かったわ。私、もう喋らない」
その直後、怪我人とは思えない勢いで、リアン中尉は起き上がった。そして、顔を近づけていた俺の両頬を掴み込み、思いっきり唇を押し当ててきた。
ロマンチックさなど微塵もない、強引な口づけ。中尉の口から溢れた血が、唇と唇の間から流れ落ちる。それは中尉の首筋を伝って、床に紅い染みを作った。
『リールをお願い』
唇がそう動く。はっとして俺が唇を離すと、リアン中尉は満足気な、そして儚げな笑みを浮かべ、ゆっくりと目を閉じた。
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