第24話

「待ちなさい!!」


 その凛とした声に、俺は歩みを止めた。ゆっくり首を巡らせる。

 目の前に大佐と士官が倒れているのはいいとして、問題は横だ。声が響いてきたのは俺のすぐそばからだった。


「トロフィーを下ろして、下がりなさい!! 命令よ、デルタ伍長!!」


 列から離れ、俺のそばに立っていたのはリアン中尉だった。


「あなたたちが……大人たちが皆こんなだから、リールは障害を負ったのよ!!」


 俺は返答することができず、しかし身体は『命令』という言葉に従い、トロフィーを元の位置に戻した。


「申し訳ありません、中尉」

「あの、おねえ……じゃなくて中尉、何が起こってるの?」


 そばに立つリールを無視して、中尉は鋭い視線を俺に向け続けた。


「ほら、リールを見て! この子は、他人の痛みなんて想像することもできないのよ? 今がどれほど大変な状況なのか、っていうこともね! 大人たちが、あまりにも簡単に暴力に走るから、慣れっこになってしまったのよ! それがどれほど大変なことか、あなたには分かるの? リールがどれほど気の毒な目に遭っているか分かるの? どうなのよ、デルタ!!」


 俺は唾を飲み、瞬きも忘れて中尉を見つめた。今までになく、中尉は感情的になっている。そして取り乱している。俺が『保護者のようだ』と思っていた気配は全く見受けられない。


「デルタ伍長、あなた、何をしているの?」


 俺を責め立てるような口調でリールも加勢する。ただし、その声はあまりにも純真無垢な、単純な疑問を口にしているような向きがあった。

 だが、俺の冷たい感情の隆起は留まらなかった。『リアン中尉』と、凍った口調で言葉を続ける。


「他人を自分の都合で大人扱いしたり、子ども扱いしたりするのは、止めてもらえませんか」

「なんですって?」


 俺は片頬を軽く掻きながら、『だから、それはですね』と、あからさまに呆れた態度を取った。


「確かに、リール軍曹からしたら俺は大人でしょう。その責任の一端を、あなたが俺に背負わせるのは当然のことかもしれません。けれど中尉は、ご自分で思う以上に俺を子ども扱いしている。ふざけないでください」


 ぐっ、と中尉は身を引いた。ルイははらはらした様子で、俺と中尉を交互に見つめている。


「ふ、ふざけてなんかいないわ。私はリールのために、あなた自身にも落ち着いてほしいと――」

「それは立派な迷惑行為なんです」


 俺は、一気呵成に語り始めた。


「卑怯ですよ。僕が整備士として仕事をしている姿は認めてくれているのに、今みたいなことがあれば『落ち着いてほしい』と言って子供扱いだ。挙句、鎮静剤を強制的に打ったりもする。あなたはどっちなんです? 俺の同僚ですか? それとも母や姉の代わりを務めているつもりですか?」

「わ、私にそんな気は――」

「俺にはもう、戦友も家族もいらない。あなただって、俺のお守には飽きたでしょう?」


 胸中は冷え切ったままで、俺は淡々と言葉を紡いだ。その度に、リアン中尉の顔からは感情が抜け落ちていく。

 いや、無感情になっていたのは俺の方だろう。そうでなければ、こんな物言いができるはずがない。相手はリアン中尉なのだ。

 階級などが問題なのではない。俺が『愛』という言葉を連想してしまうほどの女性、人間としてのリアン・ネドに反抗していることが問題なのだ。

 それを自覚しつつも、相手の思いを一蹴するようなことを俺は語っている。これこそ言葉による、心理的な暴力そのものだろう。

 少年兵時代の俺だったら、『言葉が暴力になる』などと諭されても、鼻で笑っていたかもしれない。だが、今は違う。『言葉』という拳で、今まさにリアン中尉を撲殺しようとしている。


 そこまで考えて、ふと、俺は自問した。

 このまま言葉の暴力を振るい続けて、一体誰が幸せになるだろうか?

 つい先日、前の基地にいた時のことを思い出した。


『自分が全力でメンテナンスをするから、あなたには無事に帰ってきてほしい』


 そう告げたかった相手こそ、リアン中尉ではなかったのか? かけがえのない存在だと思える人物こそ、彼女ではなかったのか? そして、陰からでも彼女の安全を守ることができるということに、自分の存在意義を見出していたのではなかったか?

 今の俺は、大きな矛盾の壁に挟まれている。何故? どうして俺がリアン中尉に暴力を振るっている? あれほど大切だと思っていた人に――。


 はっとした。俺は一体、何をやっている?

 俺が正面から視線をずらすと、呻き声を上げて伸びている大佐と付き添いの士官が二人。全員、命に別状はなさそうだ。だが、正面で立ち尽くしている渦中の人物こそ、俺にとっては大問題だった。


「リ、リアン中尉、俺、一体何を……?」


 中尉は沈黙を保っている。しかし、彼女の思いは、その潤んだ瞳から俺の瞳へ、そして心の底へと差し込んでいた。そしてその思いを、俺は深く受け止めた。

 これは、絶望だ。


「あなた、本当にデルタくんなの……?」


 俺の下顎は脱力し、焦点の合わない目は、ぼんやりとリアン中尉の輪郭をなぞっていた。

 何も言えず、口をパクパクと動かす俺。だがその顔の感覚すらもあやふやだ。


「司令、どうかなさいましたか?」


 この期に及んで、衛兵の声が扉の向こうから聞こえてきた。

 数回のノックに続き、再度。


「司令? 何かございましたか?」


 もし俺が冷静なままだったら、衛兵の鈍さに呆れていたところだろう。あれほどの格闘戦が展開されたのだから、相当な音が響いていたはず。それを聞き逃して、やって来たのが今更か。


「失礼いたします、ワルドネス司令――」

「た、助けてくれぇ!!」


 酷く醜い悲鳴がした。


「そ、そこの兵士が私に暴行を!! ひっ捕らえてくれ!!」


 大佐はようやく事態を飲み込んだらしい。部下が鈍いのも当然か。

 入室してきた衛兵は四人。咄嗟にどうやってこの場を乗り切るか思案し始めたが、これでは流石に多勢に無勢だ。

 俺が立ち竦んでいると、ぎゅっと左腕を掴まれた。リアン中尉が、俺を引き留めようとしている。無言で、しかし目でしっかりと訴えかけながら。


「全員その場を動くな!」

「司令、ご無事ですか!?」

「おい、担架だ! 医務室に連絡!」


 矢継ぎ早に衛兵たちが出入りする。すると、衛兵の隊長と思しき男が、俺たちに視線を走らせた。


「司令、誰です?」


 大佐はあわあわと口元を震わせながら、俺を指さした。その直後、俺の腹部に激痛が走った。ドクッ、と胃袋が妙な脈を打つ。俺は息もできずにその場に膝をついた。

 警棒の先端で突かれたらしい、という状況分析の後、急速に俺の意識は遠のいていった。

 聴覚が暗闇に沈む直前、リアン中尉の怒気のある声が聞こえてきたような気がしたが、何を言っているのかは分からない。

 それでも、伝えたかった。

『俺は、あなたを傷つけたかったわけじゃない――』


         ※


 目覚めは最悪だった。

 俺の背中は冷たい石畳に押し当てられ、辺りが真っ暗であることが察せられる。腹部には鈍痛が残っており、更に、やたらと黴臭い空気が鼻腔を占めた。


「ん……うあ!?」


 俺は立ち上がろうとして、バランスを崩した。思いっきり両腕を引かれたのだ。痛みに顔をしかめながら手元に目を遣ると、手錠がかけられている。その手錠からはさらに鎖が伸びており、うっすらと見えてきた棒――鉄格子に繋がれていた。

 ああ、やっちまったか。俺は頭を抱えようとして、しかし両手の自由が利くわけもなく、正座の姿勢で俯いた。


 言うまでもない、ここは首都防衛司令部に隣接する戦犯収容所の独居房だろう。ぼんやり暗闇に慣れてきた目で周囲を見回すと、案の定、鉄格子が見えてきた。

 ジャラリ、と鎖が音を立てる。そして、それが反響していく。どうやらこのフロアに収監されているのは俺だけのようだ。流石にワルドネス大佐に手を挙げたのはまずかったのだろう。これではかつての栄養ドリンクより不味い飯しか出てはこまい。


 俺は大きなため息をついた。じっと手錠を見つめる。錆びついているが、ずっしりと重く、輪が何重にもなっている。

 俺が再びため息をつこうとした時、足音が聞こえてきた。一人分ではない。二、三人だった。

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