第23話
俺たちが新型ジープに乗り込み、警備車両に挟まれながら移動すること約二時間。
車列はサイレンを鳴らしながら、一般商業街、住宅街を迂回して、背の低い官庁街に入っていく。
車内は静まり返っていた。誰もが、バルシェ少佐やロンファの死を受け入れられず、頭の整理がついていないのだ。
頭上と前後から聞こえてくるサイレンが、やたらと響いて聞こえる。俺は血塗れ、泥塗れになった作業着と、大きく擦り剝けた両の掌を見下ろしながら、身動きもできずにいた。
ロークと話し、リアン中尉の過去を知ったことが、一種の衝撃吸収材になっていた。しかし、二人も仲間を喪った衝撃は、今更になって俺の心をむしばみ始めていたのだ。
俺は自分の無力な掌を見ようとして、既にその体勢を取っていたことに気づく。
ロンファ……。あの憎まれ口の叩き方や、ステッパーの関節部への負荷を考慮しない戦闘スタイルによって、整備士たちからは批判の目で見られていた。しかし、戦闘の腕前は確かだったし、ロンファが無茶をすることで救われた仲間がいることも事実だった。
それにバルシェ少佐。彼との付き合いは、ごくごく短かった。だが、リンドバーグ准将が全幅の信頼を置いていた人物だ。それに、彼が部下である俺たちに注ぐ眼差しには、どこか心を温めるものがあった。
俺は掠れた声で、しかしはっきりと運転手に尋ねた。
「バルシェ少佐にご家族は?」
「え?」
運転手を務めていた機動隊員は、しばし目をパチパチと瞬かせた。確かに、今の俺の問いかけはあまりにも唐突だっただろう。内容も内容だ。亡くなった人の家族構成など、訊いてどうする?
「と、突然そんなことを、どうして?」
運転手は、俺の思ったことを尋ね返してきた。
「個人的興味です。ご存知の範囲で構いません。少佐のプライバシーに関わることでなければ」
「で、でしたら……」
運転手は語った。バルシェ少佐には妻と二人の女の子がいたということを。
得られた情報はそれだけだったが、俺にはそれで十分合点がいった。
どうして少佐が、自ら『特攻』とまで表した准将の作戦に理解を示したのか。単純に、首都に居を構える家族の身を案じてのことだったのだ。
だが、解せない部分もまた浮上してくる。敵の戦闘ヘリ部隊の奇襲によって、二百名あまりの少年兵たちが無駄に命を落としたことだ。
それも作戦の内だったとしたら、俺は少佐を許すことはできない。
『悲壮の少年兵たち』。彼らの犠牲で、プロパガンダが強化されるとでも思ったのだろうか? もしそうだったとしたら――。
「あっ、おい、デルタ!」
「お、おう、どうした、ルイ」
はっとして振り向くと、デルタは俺の手元を見下ろしていた。
「俺の手がどうし――あ」
血が流れていた。返り血ではない、自分の血だ。あまりにも強く手を握り込みすぎたらしい。爪が、皮膚の弱った掌に刺さったのか。
「掠り傷だよ、ルイ」
「何を言ってるんだよ、デルタ! 整備士にとって手先は商売道具なんだよ? 今まではこんなことなかったのに……」
「あ、ああ、悪い。後で包帯でも巻いておく」
正面に向き直る俺。視界の端で、ルイはしばしおどおどしていたが、まともな医療キットがその場にないことを知って渋々身体を前に戻した。
だが、俺の胸中では、ルイの今の台詞がつっかかっていた。
『今まではこんなことなかったのに』。言われてみれば、そうかもしれない。
やはり、リアン中尉の過去を知ってしまったからか、自分のコントロールが利かなくなっている。
冷静になれと自分を叱咤しようとするが、上手くいかない。
もしもロークの邪魔が入らずに、リアン中尉と口づけを交わしていたらどうなっていただろう。
心に何かが残っただろうか。彼女の支えになれたのだろうか。彼女の暗い部分に引き込まれて、今以上に過酷な人生を歩むことになっていただろうか。
「到着しました、ご降車願います」
気づけば、ジープも警護車両もとっくに停車していた。ルイに続いて降りてみると、そこには『首都防衛司令部』の文字がある。
「首都防衛司令部司令官、ドット・ワルドネス大佐がお待ちです。ご同道を」
※
「やあやあ、遠路はるばるどうも、諸君!」
通された執務室の主は、今の俺たちとはあまりにもかけ離れた生き物に見えた。手足が二本ずつあって、胴体に頭がついているだけの異生物だ。
敬礼もなく、鷹揚に手を挙げて俺たちを出迎えた、ドット・ワルドネス大佐。恰幅がよく、健康的な赤ら顔をして、笑顔で俺たちを見つめている。もし彼が屋台の売り子だったら、誰しも好感を抱くだろう。
だが、当然ながらここはネオンの瞬く市街地でも、山間ののどかな田舎町でもない。軍事施設の、それも中枢部なのだ。それなのに全く緊張感が感じられないのはどうしたことか。
そう、その緊張感のなさこそが、俺に一抹の抵抗感を覚えさせるのだ。
ザッ、と踵を揃えて敬礼する四人――リアン中尉、ルイ、リール、それに俺。
すると大佐はひらひらと手を振った。
「そんな堅苦しいことはいいから! さ、これを観てくれ!」
一体何が映し出されているのか? 俺たちは耳目をテレビの方へと傾けた。
《ランス・リンドバーグ准将の殉死に伴い、国民は怒りに駆られ――》
《何の罪もない少年たちが、我が国の領空で無残にも命を落とし――》
《今回の敵襲を受けて、来年度の国防予算は大幅に引き上げられ――》
執務室に、冷たい沈黙が覆い被さってきた。もちろん、テレビの音声があるので、静まり返ったという意味ではない。沈黙したのは俺たちの心の方だ。
バルシェ少佐の言っていた通り、これこそ立派なプロパガンダではないか。
すると、ぷつりと微かな音を立てて、画面は真っ暗になった。
「皆、どうかね?」
ワルドネス大佐の声。挙動を見なくともすぐに分かった。彼が喜び勇んでいることが。
「これで我々はまだ数年戦える! 勝てる! 勝てるぞ!! よかったな、皆!!」
誰も、何も答えない。俺の推測だが、この時、この部屋で笑っていたのは大佐だけだったのではないかと思う。
彼が実戦の現場に出たことがないのは明白だ。ちょうど彼の、肥えて突き出た腹と同じように。
戦争が続く。殺し合いが、略奪が、無益な殺戮が続く。年若い少年少女たちが、戦場へと駆り出されていく。かつての俺たちのように。
さっと脳裏をよぎったのは、かつての俺の姿。少年兵としての最後の戦いの直前、リーダーたちと作戦会議をもった時の、皆の険しい顔つき。
それにもう一つは、つい昨日のこと。少年兵たちを乗せた大型輸送機が落とされる様だ。まるでボール紙で造られた機体が、爆竹を詰められて点火されたかのようだった。
そんな彼らの命運が、現場を知らない、こんな男の手中にあったとは――。
「ははっ、どうだね! これだけの犠牲で、これほどの国民を味方につけることができた! 勝てる、勝てるぞお!!」
思うに、俺は怒っていたのだと思う。包帯越しにでも、自分の爪が掌に刺さるのが分かったから。
今までと違うのは、その怒りが『熱い』ものではなかったということだ。今までは、俺の怒りは相手を溶かすような熱を帯びたものだった。しかし、今の俺の怒りは、相手を串刺しにする氷柱のようなもの。『冷たい』のだ。
我ながら、俺は冷静だった。大佐の前で控えている士官は二人。二人共、大佐から見て左側、つまり俺から見て右側にいる。その奥には十分なスペースがある。
いける。
俺はぐっと、一歩踏み出した。
「君、どうかして――」
と声をかけてきたところで、俺は思いっきり右足を上げ、膝をバネのように使って足の裏を突き出した。
「ぐっ!」
まさか攻撃されるとは思わなかったのだろう、一人目の士官は呆気なく向こうに吹っ飛んだ。奥の本棚に後頭部を打ちつけ、ずるずると尻をつく。
「おい、何をやってる!?」
近づいてきたもう一人の士官。高圧的にこちらを見下ろしてくるが、構わず進む。ルイが何か叫んだような気がしたが、俺は無視。一切構えを取らずに近づいた。
士官は防御体勢を取ったが、構わず俺は右のブローを叩きこむ。無論、通用しない。反動でサイドステップした俺の頬を、士官の鉄拳が掠めていく。
一発で俺を沈黙させるつもりだったのだろう、士官は腕を引き戻すのに僅かな時間を要した。俺にとっては十分だ。その腕を横合いから引っ掴み、足を絡ませてバランスを崩す。そのまま力任せに振り回し、放り投げた。
その先にはワルドネス大佐の姿があった。
「ぐふ!」
放り投げられた士官は大佐にぶつかり、もつれ合うようにしてテレビを直撃。液晶画面が割れて、金属片と画面の液体、それに電気がショートする火花が見えた。
「ま、まずいよデルタ!!」
ルイが俺の前に回り込み、正面から肩を揺さぶってくる。だが、俺は無意識のうちに彼を突き飛ばしていた。
「う、うわ!」
執務机に置かれたトロフィーを、俺は片手で握りしめた。
これで、この豚野郎をぶち殺してやる。
俺が大佐のすぐわきに立ち、勢いよく腕を振りかぶった、その時だった。
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