第29話
「本気なんだな、デルタ?」
思いがけず、後ろから声をかけられた。ルイだ。
「装備はどうなった?」
振り返りもせずに、俺は尋ねた。
「言われた通りの武装を施したよ。でも、君はステッパーに乗れるのか?」
「乗れる。問題ない。整備中に操縦法は身に着けた」
「そんなことを訊いてるんじゃない」
食い下がろうとするルイ。イラついた俺は、半身をルイの方に向けて軽く睨んだ。そして、ルイの言わんとしていることを察した。
俺はステッパー恐怖症なのだ。整備はできても、自分で操縦するなど、平常心では考えの及ばないことだ。
一時的にでも構わないから、恐怖心を拭い去りたい。そのために、興奮剤をあれだけ飲んだのだ。だが、俺を睨みつけるルイの瞳には不安の色が滲んでいる。
「整備してくれたことには感謝する。けど、もう心配はしないでくれ」
「心配せずにいられるとでも思うのか?」
「知らん。俺には関係ないこと――」
と言って視線をずらす。換装作業の終わったヴァイオレットを、視界の中央に据える。
そして――ぞっとした。背筋を冷たいものが、幾筋も流れていく。
俺はこれを操縦しなければならない。そして、ステッパー同士の戦いで勝利を収めなければならない。
興奮剤を飲んだお陰で、単純な操縦はできるだろう。恐怖心も幾分相殺されているようにも思われる。だが、敵もステッパーであると思うと、それだけで目眩がしそうなほどの絶望感に囚われる。今度は俺が殺される番ではないのか。
俺は右腕一本で顔全体を覆った。泣いているわけではない。今俺の胸を占めている感情は、泣いてどうにか制御できるようなものではなかった。そんな生易しいレベルのプレッシャーではないのだ。
俺の脳裏に、かつての少年兵仲間の顔がよぎる。リーダー、アルファ、ブラボー、チャーリー。皆、ステッパーに殺されてしまった。
そんな恐ろしいものを、俺が自ら敵に回す日が来ようとは。
じっとりとした汗が、全身から噴き出してくる。身体が急に熱っぽくなり、震えが走る。涙なのか汗なのか分からない水滴が、俺の顎先から床へと落ちていく。
俺にステッパーで戦うことはできるのだろうか。それも最新鋭機を相手にして。
誰かが代わりにステッパーで追撃に当たってくれないか。今さらながら、そんな邪な考えが浮かんできた。だが、それは不可能だ。
ある程度ステッパーの操縦ができて、かつ、最新鋭機の挙動を生で見たことがあるのは俺だけだ。
しかし、結局俺の背中を一押ししたのは、誰でもないあの女性、そして彼女の最期の願いだった。
『リールをよろしく』
俺は俯いていた視線をキッと上げ、ヴァイオレットを見上げた。キャノピー越しにコクピットを覗き込む。その座席は、誰か自分を乗りこなしてくれる者を求めているかのように見えた。
右腕を掲げ、俺は左右の頬をバシンバシンと叩いた。少しは気合が入っただろうか。
ハッチのボタンを操作し、キャノピーを開いた。右腕だけで身体を持ち上げ、コクピットに滑り込む。
「お、おいデルタ! もう少し考えても――」
ルイの心配げな声には答えず、俺は一言。
「すぐに戻る。医療チームを待機させてくれ」
そう言って、俺はルイに向かって敬礼し、ゆっくりとスラスターを噴かした。
※
まずは歩くところから。徐々に歩行スピードを上げ、軽く跳躍を試みる。うん、俺が狙った通りの機動だ。足元のペダルと自分の足が一体化したような感じ。
突如として動き始めた味方のステッパーを前に、周囲がざわついた。しかし、攻撃を加えられる恐れはないように見える。ルイが必死に衛兵たちを宥めているのが、視界の隅に映り込んだ。
俺は外部スピーカーを使い、周囲に呼びかけた。
「こちらデルタ伍長、リール軍曹救出に向かう! この街の地下構造物のマップデータの転送を願う!」
すると、思いの外早く情報が回ってきた。キャノピーの内側に立体映像が提示される。指先を当ててスクロールすると、映像が流れるように切り替わった。先ほど通信機の向こうで全滅させられたと思われる小隊の位置が、ばっちり載っている。
強奪されたステッパーは、まだ少し先にいるようだ。俺はその位置を、バシッと頭に叩き込んだ。
一旦立体地図を取り消すと、整備ドックの前でルイがなにやら騒いでいた。俺の緊急出動の手筈を整えてくれているらしい。数秒の後、ドックの責任者と思われる男性が周囲の整備士に合図をした。
目の前の鉄製のスライドドアが、ゆっくりと開いていく。もっとも、向かって右側の扉はそもそも閉まっていなかったのだが。恐らく、テロリストたちが撤退する際に破っていったのだろう。
軽く跳躍して外に出ると、激しい水飛沫がキャノピーに浴びせかけられた。いつの間にか、外は土砂降りの雨になっていた。そう言えば、天気予報は確認していなかったな。まあ、ステッパーの使用目的上、天候は問題にならないのだが。
再び地図を展開しようとして、俺は手を止めた。すぐに見つかったのだ。テロリストが使ったと思われる、旧排水溝の入り口が。パトカーやら装甲車やらが集まっている。
「おい、ルイ」
俺が無線で呼びかけると、しばらくしてルイの声がした。
《こ、こちらルイ! どうしたんだ、デルタ?》
「俺の現在位置は把握しているな?」
《ああ、発信機はちゃんと作動してる。今君がいるのは、敵の潜入路のすぐそばだ。連中は、排水溝の天井を爆破した。地面に穴をあけて潜入してきたらしい》
「了解」
俺は無線をさっさと切り、一気に脚部のスラスターを噴かした。ボッ、という短い音を立て、パトカーを跳び越える。が、パトランプに足先が接触してしまった。
「おっと、失敬」
誰にともなく詫びる。やはり初めての搭乗は、それなりに危険を伴うようだ。まあ、そんなことを気にしている場合ではないのだが。
そのパトカーを足に突っかけながら、俺は排水溝に飛び込んだ。パトカーも一緒に落ちてきて喧しい音を立てたが、今まで通り気にはしない。
「ルイ、情報をくれ。トラップの類はあるか?」
喋りながら、俺は爆発物の探知機能をONに。あまり頼れたものではないが、ないよりはいいだろう。
《先ほど歩兵部隊が全滅させられたところまでは既に確認済みだ。爆発物や危険物は見つかっていない》
「了解」
俺はキャノピー内側に投影されていた探知図を切り、表示を立体地図に戻した。
排水溝の前方から吹いてきた風が、コオッ、と音を立てて流れていく。
俺は軽く首を傾け、パキッと鳴らした。――さて、行くか。
慎重に進むべきであることは分かっている。だが、トラップがない以上、慎重さは救出作戦の遅延を意味する。俺は、高さが十メートルあるのをいいことに、軽い跳躍を繰り返しながら進んでいった。
リールは今、どこにいるのだろうか? 敵はこの排水溝を、どこまで進んでいっただろうか? いやそもそも、俺はこの機体で、最新鋭機を撃破できるだろうか?
ピタリ、ピタリと、キャノピーの外側に液体が落ち、水の筋を残していく。
俺はキャノピーの内側スクリーンを赤外線探知モードに切り替えた。ライトをつけたいのは山々だが、それでは待ち構えている敵機にこちらの位置をさらすことになる。
今のところ、どんなステッパーも発熱機構を持ち合わせているから、赤外線を用いれば敵機の補足は容易なはずだ。
俺の視界全体が緑色に染まり、赤外線映像が全面に展開される。まあ、敵も同じことは考えているだろうが。
しばらく進むと、ルイから『待ってくれ』と通信が入った。
《そこのカーブを道なりに曲がると、先ほど歩兵部隊が全滅させられたポイントに到着だ。だから――》
「待ち伏せに警戒するんだな」
ルイは答えない。だが、彼が大きく頷く気配は無線機の向こうから伝わってきた。俺はそれを肯定の意志表示と捉え、歩幅を狭める。
ホバリングを止め、軽い音を立てて着地。カシュン、と脚部の関節が鳴る。
今の音に、敵機はすぐに反応するはずだ。俺は右腕を上げ、カーブの内側に背をつけた。敵機が跳び出して来たら、ひとまずマシンガンをかまして通用するかどうかを確かめよう。
さあ、来い――。
俺は両肩を上下させ、唇を舌で湿らせた。
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