第12話

「大尉! オルド大尉!!」

「その声……デルタ……か……」

「大尉……!」


 俺の背筋に、悪寒が走った。それほど大尉は酷い傷を負っていたのだ。

 敵機の放ったナイフは、大尉の腹部の半分ほどまでに食い込んでいた。それだけではない。ステッパー自体も、後部ジェネレーターが損傷し、例の電撃が音もなく走っている。

 背後で短い悲鳴がした。ルイだ。


「待て、見るなルイ!」


 俺は必死にコクピットに覆い被さった。が、オルド大尉はぎょろり、とその眼球を動かし、俺に目で訴えてきた。『ルイもそばに連れてこい』と。


「し、しかし……」

《オルド大尉!!》


 敵機にスピアーを突き刺し、行動不能に陥らせたリアン中尉も近づいてくる。しかし、キャノピー越しに大尉の声を聞くのは困難だろう。俺がメッセンジャーにならなければ。オルド大尉の遺言を、皆に伝えるために。


「デルタ……」

「は、はい!」

「この基地を、頼む。お前、は、最古参、だ……。リンド、バーグ准将の、補佐を頼む……」

「はい……」


 俺は目を伏せ、ごくりと唾を飲み込んだ。


「それと……」


 そう言いかけて、大尉は咳き込むようにして血を吐いた。その生温かさが、俺の手の甲に降りかかる。俺はそれを拭おうとはしなかった。その僅かな熱が、大尉がまだ存命であることの証明のように思われたのだ。

 しかし、その熱はどんどん奪われていく。高温多湿のこの時期にはあり得ないほど、冷たくなる。


「それと? 何です?」


 俺はそっと大尉の肩に触れながら、次の言葉を待った。しかし、言葉は発せられない。大尉の喉の代わりに動いたのは、無事だった方の右腕だった。

 大尉の視線が俺を逸れ、背後の誰かに注がれる。そこにいたのはルイだ。

 大尉は首から提げていた、細い金属製のチェーンに手を遣った。ゆっくりと、胸元から引っ張り出していく。するとその先にあったのは、小さな楕円形のケースだった。


『娘に』。そう大尉の口が動いたように見えた次の瞬間、大尉の手元からケースが滑り落ちた。

 カツン――。

 戦闘が徐々に沈静化していく現段階において、ケースがコクピット床面に衝突する軽い音は、不思議と響いて聞こえた。


「どいてくれ、デルタ!」

「おっ、ルイ!?」


 ルイは自分の顔や腕に血がつくのを構いもせずに、俺を押しのけてコクピットに身を乗り入れた。


「ルイ、一体何を――」


再び頭を上げた時、ルイの手にはしっかりと、例のケースが握られていた。


「大尉、必ずこれは首都のご家族に、娘さんに届けます! 必ず!!」


 するとルイは、再び俺を押しのけ、ステッパーから跳び下りた。


「な、なあルイ、それは……?」

《広原の花々の種よ》


 俺の疑問に答えたのはリアン中尉だった。


《以前、大尉が話してくれたわ。娘さん――確か今年で五歳になったところだったかしら――、彼女が花を欲しがってるって。首都は完全に工業化されてるからね。草花を育てるには厳しい環境でしょうけど……。でも、何もしないよりはいいわ》

「じゃ、じゃあ、大尉が非番の時に時々出かけていたのって……」

「この花の種を集めるためだよ、デルタ」


 返答を寄越したのはルイだ。


「あちこち地雷原になってるっていうのに、無茶な人だよね」

《ええ、全く……》


 涙声になったルイに喚起されたのか、リアン中尉も声を詰まらせる。


 その時、俺ははっとした。

 オルド大尉もリアン中尉も、戦いに身を投じている。皆がそうだ。それなのに、俺はと言えばステッパーの座席に座ることすら、怖くてできない。

 整備士一筋であるルイは、そこまで責任を感じなくてもいいだろう。しかし俺は? 一体何をやってるんだ? 俺もステッパーに乗って戦っていたら、オルド大尉はこんな損傷機で戦わなくてもよかったのではないか?


「俺が……。俺が殺したんだ……」


 ルイがゆっくりと顔を上げる。それと逆行するように、俺は項垂れた。


「俺が臆病者だったから……。俺がちゃんと戦っていれば……!」


 そう。ステッパーの起動には、パイロットだけでなく整備士の認証が必要だ。それが間に合わないと判断したからこそ、大尉はこんな損傷機、すなわち認証がなくとも動かせる機体に乗って戦わざるを得なかったのだ。

 俺の身分は整備士だが、操縦が不可能なわけではない。腕前の程は不明確。でも、戦おうと思えば戦えたのだ。大尉よりも危険を冒さずに。


《あなたに非はないわ、デルタ伍長。あなたは過去に辛い経験を……》

「だったら何だってんだよ!!」


 気づいたのは、俺がそう叫んでから数秒は経った頃だと思う。

 

 怒鳴ってしまった。上官に、しかも意中の人に。だが、それでも俺は叫び続けるのを止められなかった。


「俺はステッパーにダチを皆殺しにされて、本当に怖くて怖くて……ッ! でも、それを堪えて整備士をやってたんだ! 皆の後方支援になるように! せめて力になれるように! 俺が昨日のうちに整備しておけば、オルド大尉は……!」


 悔しさ、やるせなさ、自己嫌悪。そんなものが俺の心にまとわりつき、ドロドロと黒い流れとなってのたうっている。


 俺が気づいた時には、『その人物』は思いっきり平手を振りかぶるところだった。

 同時に響く、肉と肉が衝突する打撃音。

 床に向かって叫び続けていた俺は、頬に走ったあまりの激痛に顔を上げた。さっと手を頬に当てる。見上げると、リアン中尉が立っていた。肩で息をし、目に湛えた水滴を流すまいと顔を歪めながら。


 そうか。俺は叫ぶのに夢中で、コクピットのハッチ開放音も、中尉の足音も聞こえなかった。戦闘中だったら致命的な隙になっただろうが、今怖いのは銃よりも目の前のリアン中尉だ。


「馬鹿!!」


 涙を拭おうともせず、リアン中尉は声を張り上げた。悲鳴のようにも聞こえた。


「あなたは優秀な整備士なのよ、デルタ! そんなあなたにできなかったことが、他の人にできるわけがないじゃない! あなたがオルド大尉を救えなかった、ってことは、誰も彼を援護できなかった、ってことよ!」


 そう喚き散らすリアン中尉。その姿は、今までの冷静さと温かさを兼ねた姿からは程遠い。オルド大尉の死が、それほど彼女に心理的ダメージを与えたのだろうということは想像しやすい。

 大尉と中尉は、少なくとも俺が拾われた時点から互いに相棒のような存在だった。恋愛感情とは違っても、リアン中尉がオルド大尉に好意、尊敬の念を抱いていたとしても不思議ではない。


《基地周辺の敵兵、及び敵ステッパーの殲滅を確認。総員、第二種警戒態勢のまま待機》


 そんなアナウンスが流れ、一気に俺の聴覚は勢いを取り戻した。


「おい、大丈夫か!?」

「衛生兵、こっちに担架を!」

「基地周辺のトラップを捜索するぞ。戦闘員は防護服を装着して待機!」


 あちらこちらから響いてくる大声。格納庫ゲートから聞こえてくるセミの音。損傷したステッパーがトラックに乗せられ、修理倉庫に運ばれていく機械音。

 それらが急に、俺の聴覚に戻ってきた。『急に』というにはあまりに自然だったが、それだけ俺の聴覚は――いや、聴覚を認識する脳の一部が麻痺していたということだろう。


「ごめんなさい、デルタくん」


 軽く頭を下げるリアン中尉に向かい、俺は中途半端な音を喉から絞り出した。


「あなただって必死だったんだものね。誰にもあなたを責める筋合いはないわ。私、どうかしていた……」

「いえ、僕が……」


『もう少し勇気があれば戦えたのに』。その言葉は、唇の動きになるだけで、音を成すことはなかった。


 そんな俺たちの耳に、再びアナウンスが飛び込んできた。


《負傷者を除く整備士、戦闘員、パイロットは、直ちに第二ブリーフィング・ルームへ。繰り返す。動けるものは直ちに第二ブリーフィング・ルームへ》


「行こう、デルタ」


 ゆっくりと腕を引かれ、俺はルイについていった。

 

「私はもう少し大尉のそばにいたいのだけれど、構わないかしら?」

「はい。担当者にそう伝えます」


 ルイは意外なほど淡々と言葉を繋げ、俺を先導する。

 その時、リアン中尉がどんな顔をしていたのか、俺にはさっぱり見当がつかない。それはそうだ。俺の目からも涙が溢れて、視界は零に等しかったのだから。

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