第18話
それから約一時間。
「皆、移動するぞ」
そう言って、隣の無線室から出てきたのはバルシェ少佐だ。
その頃には、既に俺は全身を動かせるまでになっていたが、僅かな倦怠感があるのは否めない。まあ、自分の意志で身体は動くわけだし、なんとかなるか。
「デルタ、立てんのか?」
「お生憎様、お前の助けは要らねえよ、ロンファ」
憎まれ口を叩きながら、俺はブランケットをどけて床に足を下ろした。うん、歩ける。
「こっちだってさ、二人共」
ルイが呑気な声を上げる。俺たちが険悪な雰囲気になるのを防いでくれているのだろう。『今行く』と声を上げながら、俺は部屋の隅に目を遣った。
そこには、すぐに外に出られる扉があった。ぼんやりとした光がこの部屋から溢れている。外はもう暗いようだ。
「デルタ伍長、ロンファ伍長、何をしている?」
訝し気に額に皺を作りながら、バルシェ少佐が顔を出す。俺とロンファは
「はッ、失礼しました!」
とハモってしまった。どうして俺と同じことを言うんだ、気色悪い。しかし、ロンファもまた同じ気持ちだったのだろう、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
のろのろと外に出る。振り返って見てみると、そこは軍の簡易休息所だった。
改めて歩き出すと、軽い異臭が鼻をついた。これが、完全な工業都市となってしまった首都の現状だ。緑溢れる美しい街並みは見る影もない。そもそも、周囲が背の高い煙突や高層ビルに囲まれ、視界はかなり限られていたが。
リアン中尉とリールの背中に視線を遣る。するとその先にバルシェ少佐が、そのそばには一台のジープが停まっていた。運転手はいない。少佐が務めるようだ。
俺はロンファと並んで歩くのが癪だったので、ルイに合わせるようにして歩を進めた。
ある程度ジープに近づくと、少佐は俺たち五人の姿を認めたらしく、腰に手を遣って語りだした。
「これから首都中央部へ向かう。参謀本部だ。その後、諸君は首都防衛部隊に編入される。そこまでは私が案内しよう」
俺たちは適当に、何を打ち合わせるでもなくジープに乗り込んだ。運転席にバルシェ少佐、助手席にロンファ。残る俺、ルイ、リアン中尉とリールは、すし詰め状態で後部座席だ。
「おっと」
「あら、ごめんねデルタくん」
「あっ、いえ……」
思いがけず、俺とリアン中尉は座席中央部で身を寄せ合うこととなった。ドクン、と心臓が跳ね上がる。近いな……。
ゆっくりと発進するジープ。俺がドギマギしているのを知ってか知らずか(いや、知るはずはないな)、少佐が口を開いた。
「皆に伝えねばならないことがある」
それは、浮かれ気味だった俺の心を硬直させる冷気をまとっていた。
「なんです、少佐?」
代表して、リアン中尉が少佐の言葉を促した。
「昨日と今日の敵襲に、私は関わっている」
「えっ……」
絶句するリアン中尉。それはその他俺たちも同じだった。
「基地の場所と、リンドバーグ准将の到来時刻を敵に知らせたのは私だ」
ばっと俺の眼前に腕がかざされる。リアン中尉だ。俺がまた少佐に襲い掛かるのを防ごうとしている。しかし、今の俺は呆気に取られてそれどころではない。
「てめえ、どういう意味だ!?」
俺の代わりに叫んだのはロンファだ。
「あれだけ仲間が死んだんだぞ!! 准将だって……!!」
「これは准将と私の間で交わされた密約だ。他の将校たちも知らない」
「だから……って、はあ?」
ロンファまでもが沈黙。そこから先は少佐の独壇場だった。重い咳払いをしてから、改めて少佐は語りだした。
「諸君は前線近くで戦っていたからな、あまり実感はなかっただろうが……。首都の防衛意識は極めて低い。こんなところまで敵がやって来るはずがない、と誰もが思っている。軍属までもが」
ハンドルを切る少佐。緩やかに左折し、工業地帯を抜けてオフィス街へ。
「どうしても英雄が必要だったのだよ、この国には。それも悲劇の英雄がな。リンドバーグ准将は、その役を買って出た。自分は先が長くないからと」
「で、でも!」
なんとかルイが反論を試みる。
「ここに敵が迫っているわけではないのでしょう? 迫撃砲は届かないし、制空権はこちらにある。敵の機甲化部隊が前進しようにも、航空支援がなければ――」
「それがあるのだ」
サイドミラー越しに、少佐はルイに一瞥をくれた。ルイもまた黙り込む。
「敵国は先日、軍事衛星の打ち上げに成功した。何故それを容認したのか、諸君らは疑問に思うだろう。だが、それほど敵は秘密裏に計画を進めることに成功していたのだ」
『我が国の諜報部も落ちぶれたものだ』――そう言って少佐は頭を左右に揺らした。
「まさか大気圏外から対地攻撃ができるとは思わん。だが通信のジャミングはできる。だから制空権の侵害と、敵の地上部隊の侵攻が現実味を帯びてくる。そう言うと、参謀本部では鼻で笑う連中が多いがな」
俺は口から言葉が零れ落ちるのを感じた。
「そのためのプロパガンダに、准将たちが使われた……?」
「准将に関して言えば、飽くまで志願、自己犠牲だ。私も反対したがね、准将は聞く耳を持たなかった。頭の古い方だったとも言えるだろうな、半ば特攻のようなものを、自分一人で敢行したのだから」
いつの間にか、ジープはオフィス街から繁華街へとタイヤを滑らせていた。
街灯が左右を流れていく。その元では、戦時下であることを忘れさせるような、つまり俺が触れたことのない世界が広がっていた。
肩を並べて歩く両親と子供たち。路肩にあふれ出すファッションショップの灯り。車内からでも香りが漂ってきそうな街灯販売の料理。
皆、一度でいいから来てみたかっただろうな。リーダーもアルファもブラボーもチャーリーも。
彼らのことを思い出している自分を、俺は自嘲しようとした。しかし何故かその時ばかりは、記憶の中の彼らの顔が霞んで見えた。
なんだ? 俺は泣いているのか? だったら、理由は何だ?
街行く人々のことが羨ましいのだろうか。彼らを妬んでいるのだろうか。逆に、彼らを守りたいとでも思っているのだろうか。
……分からない。
「デルタ伍長、どうし――」
そのバルシェ少佐の言葉は、強制的に中断された。
「うっ!?」
ジープの前方が大きく持ち上がる。ウィリーするように前輪が跳ねる。そのままバク転でもするかのように、後方に吹っ飛ぶ。
俺が知覚したのは、取り敢えずそこまで。そこに至って、後部座席のシートに、思いっきり後頭部をぶつけた。閃光に目が眩む。その後、一瞬爆音が聞こえたような気がしたが、すぐさま鼓膜が麻痺した。
数秒の後、俺はようやく事態に気づいた。これは、爆弾テロだ。きっと俺たちを狙っていたに違いない。ロケット砲の発射音は聞こえなかったから、路肩のゴミ箱にでも爆弾が仕掛けられていたのだろう。
「皆、無事か!!」
俺は叫んだ。右に目を遣ると、取り敢えずリアン中尉の無事が確認できた。リールに覆いかぶさるようにして耐ショック姿勢を取っている。
左側では、ルイが何やら喚き立てていた。実戦を経験していなければ、確かにパニックにでもなるだろう。本当は負傷していないかどうか確かめてやりたかったが、これだけ手足を動かせれば問題ないだろう。
気になるのは、前部の座席に座っていた二人だ。
「ロンファ! バルシェ少佐!」
「いってえ……」
「無事か、ロンファ!」
「生憎、手足はついてるよ!」
先ほどの俺の憎まれ口を引用するあたり、ロンファは無事らしい。そんなロンファの怒鳴り声が聞こえる程度には、俺の聴覚も回復してきている。しかし今度は、けたたましい金属音が耳に飛び込んできた。このジープは、一度バク転をしてから銃撃を受けている。
「少佐! バルシェ少佐!」
俺は少佐の無事を確かめようと、運転席に身を乗り出した。少佐の肩に手を載せる。
「少佐、ご無事で――」
『ご無事ですね』と言おうとして、俺は絶句した。
揺すろうとした少佐の身体が、異様に軽い。俺がぱっと手を離すと、少佐、否、少佐だったものは、ばったりと前方に倒れ込んだ。その先を見ると、運転席は前面が消し飛んでいた。
「少佐!」
なんとか少佐に応急処置を、と思った俺は、とにかく傷口を圧迫しようとした。そして、言葉を失った。
俺が押さえようとした少佐の腹部に、ずぶり、と自分の手が入り込んでしまったのだ。臓器が露出している。慌てて首元に手を当てたが、当然ながら脈はなかった。
「デルタ伍長、少佐は!?」
「死亡です!」
「なんですって!?」
「死んでます!!」
この時ばかりは、俺も中尉に怒鳴り返してしまった。
「お姉ちゃん、苦しい……。腕をどけてよ!」
「黙ってなさい、リール! いい? 今この車は銃撃を受けているのよ、だから黙って伏せていなさい!!」
リアン中尉の鋭い声に続いたのは、ロンファの絶叫だった。
「畜生!! やりやがったな!!」
ロンファは座席手前のダッシュボードを引き開けた。そこには拳銃が一丁。
「おい、待てロンファ!!」
引き留めようと伸ばされた俺の腕を振り払い、窓を肘で叩き割るロンファ。
その直後だった。ピシン、という狙撃音がしたのは。
「あ……!」
ゆっくりと後ろに倒れ込むロンファ。言わんこっちゃない。
「馬鹿野郎、どこを撃たれて――」
できる限り姿勢を低くし、俺はロンファの元に身を乗り出した。そして、今日何度目かの絶望感を味わった。
ロンファの瞳は丸々と、驚愕の念に打たれたように見開かれている。口はポカンと顎が外れたようになっていて、涎が垂れていた。そして額には小さな、しかし存在感のある穴が開いていた。
即死か。
「デルタくん! ロンファくん!」
背後からリアン中尉の声がする。
「デルタ伍長、どうなってるの!?」
「ロンファ伍長、死亡です!!」
今度は訊き返されなくてもいいように、俺は振り返って声を張り上げた。
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