第7話

「おはようございます、リアン中尉! お隣の椅子に着席許可を願います!」


 俺が何も言えないでいると、視界の隅でリアン中尉の口元がふっと綻んだ。


「ええ、構わないわよ。で、どっちが先に座るの、お二人さん?」

「はッ、デルタ伍長であります!」


 リアン中尉の前で唐突に自分の名前が出され、俺は慌ててルイの口元を押さえつけた。


「むが、むむむ! デルタ、一体何を……」

「心の準備ができてねえんだよ!」

「なあに? 心の準備って?」


 げっ。中尉に聞こえてしまったのか。

 俺はルイを突き飛ばし、中尉の前に立った。彼女の背後の窓から差す日光が、その輪郭を柔らかく包み込む。


「はッ、中尉殿とお話をするための心の準備であります!!」

「……」


 自分の発した『心の準備』という言葉。その声があまりにも大きかったので、この部屋中に反響しまくった。俺が自分で何と言ったのか気づいたのは、その反響音が聞こえたからだ。

 静まり返る、ブリーフィング・ルーム。だんだん皆の声が静まっていくのに合わせ、俺の顔には血が上ってくる。ああ、一体俺は何をやっているんだ。


 沈黙を破ったのは、目の前にいる中心人物だった。


「ふ、ふふふ……」


 リアン中尉は、軽く首を傾げながら肩を上下させた。


「そんなに緊張しなくていいのよ、デルタくん?」

「いえ、リアン中尉は上官でありますゆえ、敬礼は当然の礼儀かと……って、え?」


 デルタ『くん』? 階級、または呼び捨て以外で呼ばれたのは実に珍しい。


「まあ、あなたに頼みたいこともあったし。その話も含めてお喋りしましょう。さあ、ルイくんも」

「はい。便乗させていただきます。ほら、デルタ」

「あ……は、はい……」


 きっと今の俺は茹でダコのようになっているだろうな。そう頭の片隅で思いながら、俺は自分の言動を他人事のようにぼんやり捉えていた。

 

 そんな俺を正気に戻したのは、一振りのナイフのような緊張感だった。

 誰の指示もなく、皆が立ち上がる。俺の足も、自然とそれについていく。視線の先を皆と合わせていくと、その先には開かれた扉があった。

 入ってきたのはオルド大尉、そして、片足を引きずった細身の老人だった。


 外見で言えば、オルド大尉の方がよほど迫力がある。パイロットというよりは、それこそ獰猛な狼を連想させる突撃隊員のようだ。

 しかし、老人の方は大尉に勝る『何か』を備えている。先ほど俺たちが感じた大尉の迫力を上回る『何か』。オーラとでも呼べばいいのだろうか。それは燃え盛る火山のようであり、逆に冷え切った氷山のようでもあった。

 いや、具体的に何かに例えることすら難しい。もしかしたら、温度で測ることのできない無機質さ。そんなものが宿っているのだろうか。


 この老人は、人間か?


 そんな疑問を抱く俺たちに、老人は振り向いた。

 特に古傷の類は見受けられない。だが、一見柔和にも見えるだろうその表情からは、極限の恐怖を見越してきたかのような重圧が感じられた。

 あのオルド大尉ですら、並んで立つと幼い子供のように見える。


「……総員、敬礼!」


 ザッ、と一斉に響く踵の衝突音、そして衣擦れの音。そんな中で、大尉がゴクリと唾を飲むのが喉仏の動きで見えた。あのオルド大尉が緊張している。もしかしたら、畏怖の念にすら打たれているのかもしれない。

 老人、いや、ランス・リンドバーグ准将は、ゆっくりと、しかし淀みなく返礼した。それを見て、俺たちも一斉に腕を下げる。


「着席!」


 ガタッ、と椅子の足が鳴る。その擦過音すら一糸乱れていない。それほどの、重厚な空気が漂っていたと言えるだろう。

 紹介は不要と判断したのか、大尉は一歩、引き下がった。


 准将はゆっくりと歩を進め、両腕をそっと演壇に載せる。すると、元々細かった准将の目が糸のようになり、口元に穏やかな笑みが浮かんだ。


「今日は暑いですね。ご苦労様です、皆さん」


 その声は朗々として、聞き心地がよかった。だが、その穏やかさを感じさせるだけの隙がない。それがランス准将という人間の『語り』だった。


『どうぞ楽な姿勢でご傾聴いただければと思います』――そこまで丁寧な口調で、僅かな礼まで交えながら准将は語りだした。


「この戦争が始まってから、今日でちょうど二十年になります。皆さんの中には、開戦後に生まれた方々もいらっしゃるでしょう」


 自分のことが言われている。そう思うと、背筋がぞくりとした。隣でルイが、僅かに背筋を伸ばし直す気配がする。


「私が今日、皆さんにお話をしに参りましたのは、最新の戦況について説明を差し上げるためであります」


 戦況の報告? それだけのために、こんな辺境の基地までやって来たのか? 

 疑問ではあるが、挙手して質問するほどの度胸はない。

 すると、准将は同行してきた部下の方に振り返り、『頼みます』と一言。部下たちは黙って軽く礼をし、背後のホワイトボードに大きな写真を貼りつけた。

 それは大きな地図だった。と言っても、倍率はかなり高い。狭い範囲に限られている。解像度の高さからして、高高度偵察機から撮影されたのだろう。


「現在、最前線はこの基地から西へ八十キロほどのところにあたる。南北に、ほぼ一直線に前線が展開していると考えてもらって構わない。諸君らの基地は、ちょうどここにあたる」


 指示棒を手に、准将は迷いなく地図の一ヶ所を差した。


「敵もこの基地の位置には気づいているが、敵軍には巡行ミサイルを適切に開発・運用する技術力がない。この基地を遠方から叩くことのできる兵器は持っていないのです。そうなると、ここ――」


 准将は指示棒の位置をずらし、上から下、すなわち北から南へと地図をなぞった。


「この基地と敵の前線の中間位置が、現在の最重要防衛線であると言えますね」


 頷く者も、メモを取るものもいない。皆がその瞬間瞬間に、准将の言葉を脳に刻み込んでいるのだ。しかし、


「現在私がこの基地を訪問したのは、この基地の指揮を私が執ることになったからです」


 この発言には流石にざわめきが走った。もちろん言葉を発する者、ましてや疑問を呈する者はいない。ただ、心理的な連鎖反応が、前席から後席へと伝播していく。雰囲気、とでもいうのだろうか。


「オルド・カッター大尉は少佐に昇進、首都の特殊部隊養成所の教官の任にあたっていただきます」


 大尉のことはいい。確かにあの鬼教官ぶりを見れば、強靭な身体と精神が問われる特殊部隊の前で教鞭を執らせるというのは、理にかなった判断だ。本人も既に聞かされていたのか、特にリアクションを取る素振りは見せない。

 しかし問題は、次の准将の言葉だった。


「それから、ルイ・ローデン伍長」

「は、はッ!」


 緊張でガチガチになりながらも、ルイは真っ直ぐに立ち上がった。


「君には、より腕の立つ技術者、ひいては新兵器の開発者になってもらいたいという上層部の意向がある。よって、帰りのヘリで首都まで同道してもらいたい。いかがかな、伍長?」


『君の判断に任せる』――。そう言いたいのだろう、准将の態度や言葉からは、何の圧力も感じられない。かと言って、拒否権はないだろう。

 案の定、ルイは『光栄であります!』と言って、ストンと腰を下ろす。それ以外、彼にできることは何もない。


 慈愛の念がこもった准将の視線が、ルイに注がれる。ふと、ほんの僅かな間、准将が俺にも一瞥をくれたように見えた。いや、『見えた』だけか? 気にかかるが、実際はどうなんだ?

 指名されてもいないのに発言することは許されないので黙っているしかないが……。


「ルイ・ローデン伍長。ああ、立たなくて構わない」

「はッ」


 名を呼ばれ、腰を浮かせたルイを准将が制する。


「誰か信頼のおける人間はいるかね?」


 この問いかけに、また小さなざわめきが起こった。どういう意味だ?


「え、えーと……」

「ああ、難しく考えなくていい。突然君を首都へ連れていこうというのだからね。一人では心細いだろう?」


 そうか。准将はルイの思いを汲んでくれていたのか。幼くして両親を亡くしたルイ。そんな彼を、今の整備士仲間たちから一人だけ連れ出すのは賢明ではないと、准将は考えたらしい。


「この基地の運営上、二人以上というのは厳しいのだが……。どうかね?」

「あっ、あ、ありがとうございます!! では遠慮なく、こちらのデルタ伍長を同道させていただきたく存じます!!」


 なるほど、俺ねえ……。って、え?


『お前、何を言っているんだ?』――そう尋ねたいのは山々だったが、今はロクに話せない。


「なるほど。どうかね、デルタ伍長?」


 准将は、今度はしっかりと俺と視線を合わせた。やはりその眼差しは温かいものだった。


「は、はッ! 異論はありません!」

「決定のようだ」


 准将は満足気に頷いた。

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