第33話

 またか……。

 俺は半ばうんざりしながら、横たえられた自分の身体を意識した。

 気絶してから寝かされてる、っていうのは一体何回目だ? そういえば、自分は頭を撃たれて死んでしまったはずだ。

 ということは、ここは天国か地獄か――地獄だな、きっと。


 俺は一つ、深呼吸をしながら考えた。

 これだけ人を殺してきた俺が、天国に逝けるはずはあるまい。しかし、だったらどうしてこんな寝心地のいい場所に横たえられているんだ? 神の宣告を受ける前の待合室にでもいるのだろうか。


 すると声が聞こえてきた。だが、何と言っているのかはよく分からない。神だか天使だか知らないが、俺にも聞こえるように喋ってくれ。

 俺が呻き声を上げた、その時だった。ドタバタという騒がしい音――足音だろうか――と、くぐもった、しかし誰かの名を連呼するかのような声が耳に捻じ込まれてきた。


 待てよ。足音だって? じゃあ、俺はまだ生きているのか?

 そう思った途端に、脇腹や耳の上あたり、それに左の上腕に鈍い痛みが走った。全身が、とてつもない倦怠感に包まれている。

 その頃になって、ようやく俺の聴覚は的確な情報を捉え始めた。この声は……ルイ?


「……ルタ、デルタ!!」

「君、まだ……安静……」

「気が……たか、デルタ!!」


 俺は目を閉じたまま、微かに『ルイ』と呟いた。が、喉はカラカラでとても声になどできなかった。

 徐々に五感が覚醒していく。薬品臭いところからして、ここはまた病院か。しかし、それにしては周囲が明るい。カーテンが取り払われているのだろうか、あるいは個室なのか。


「ルイ伍長、少しどいてくれ。デルタ伍長、聞こえるかね? 聞こえたら、右手を握り返してくれ」

「……」


 俺は黙って指示に従った。いかにも医者らしい、細く繊細な指を軽く握り込む。


「目は開けられるか?」


 俺は手では応じず、ゆっくりと瞼を開いてみせた。真っ先に目に入ったのは、親友の緊張と安堵の入り混ざった顔だ。少し眼球を動かすと、医者が立ち上がってルイに頷いてみせるところだった。


「ああ、デルタ!!」

「……おう」


 今度は声が出た。かなり掠れてはいたが。


「俺は生きてるのか?」

「大丈夫だよ、デルタ! 手術は成功した! 頭の銃創は耳の上を掠めただけだ。致命傷じゃない。腰の怪我も、一週間ほど安静にしていれば――」


 と、言いかけたルイの言葉を、俺は瞬き一つで遮った。


「リールは? リール軍曹は無事か?」

「あ、ああ、無事、だけど……」

「だけど、ってどうしたんだ?」

「それが……」

「はっきり教えろ!!」


 俺は勢いよく上半身を起こそうとして、ベッドの上でのたうち回った。左腕を失ったことを忘れていたのと、右の腰に激痛が走ったのが原因だ。


「無茶しないでくれよ、デルタ。リール軍曹も無事だ。足は掠り傷だよ。松葉杖を使えば歩けるし、ましてや切断したわけでもない。一ヶ月もすればリハビリも終わるそうだ」

「そ、そうか……」


 流石は俺の親友だ。訊きたいことに、いっぺんに答えてくれた。

 しかし、まだ何か言い淀んでいるきらいがあるように見える。


「どうしたんだ、ルイ?」

「ああ、そうだな、まだ伝えていなかった。君が眠っていたのは三日間ほどなんだが……。その間、リール軍曹の精神疾患に変調があった」

「精神に……変調?」


 大きく頷くルイ。


「精神科のドクターによれば、自室にこもって出てこないらしい。時々、暴れるような勢いで泣き喚いているみたいだ」

「だ、大丈夫なのか?」


 その時、ルイの背後から白衣の男性が近づいてきた。


「うむ。自傷行為には走っていないようなのでな」

「ああ、ドクター……」


 ルイが振り返って呟く。彼の紹介によれば、ドクターというのは首都防衛部直属の軍医で、今回の件で出た負傷者の面倒を一括して診ているらしい。この細木のような身体のどこに、そんなバイタリティがあるのだろう? まあ、今の俺よりは動けそうだが。


 すると、俺の耳に再びざわめきが飛び込んできた。


「ちょっと君! まだ足が……」

「いいから会わせて!! 私、どうしても彼に会いたいの!!」

「だ、だからデルタ伍長はまだ意識が……」

「戻ったんでしょう!? ルイ伍長の声が聞こえたもの!!」


 このキンキン声はリールだろう。ルイの声が聞こえたということは、俺の個室の前を徘徊していたのだろうか。


「構わない。入室を許可する」


 と、ドクターが鶴の一声を発した。ピロン、という軽い電子音と、滑らかなドアのスライド音が聞こえる。続けて聞こえてきたのは、カツン、カツンと杖が床を打つような音。

 そちらに目を遣ると、ルイの言った通り、松葉杖をついたリールの姿があった。俺が身じろぎして見つめ直すと、ちょうど視線がぶつかった。


「デルタ……!」

「……」


 俺は何も言葉をかけられなかった。リールの瞳が見る見る潤み、震えだしたからだ。


「デルタ!!」


 俺の名を叫ぶと同時、リールは松葉杖を放り投げ、片足で飛び跳ねながら近づいてきた。

 が。


「きゃっ!」

「おっと!」


 俺のそばで躓き、倒れ込んできた。ちょうど俺の胸の上に、リールが顔を押し当てる格好となる。辛うじて傷口には当たらなかった。


「おい、一体何をやって――」

「デルタ、デルタぁ……」


 倒れ込んだまま、リールは俺の胸に顔を押しつけて泣き始めた。号泣だ。

 俺が戸惑い、何もできないでいると、リールはぐっと首を上げ、くしゃくしゃになった顔で俺を睨みつけた。近い。


「私、やっと気づいたの。人が死ぬってどういうことなのか、傷つくってどういうことなのか。でも、そうしたら私の近くで死んでいった人たちや、私がステッパーで殺した人たちのことが頭の中一杯に広がっちゃって……」


 俺は思わず、ごくりと喉を鳴らした。

 そうだ。あれほどの銃撃戦やステッパー戦に巻き込まれていながら、何も感じないのがリールのトラウマに基づく精神障害だった。それが唐突にして冷静に戻ったとすれば、相当なショックになるだろう。もちろん、唯一の肉親である姉を失ったとくれば尚更だ。


「デルタ、でも、でもね、私、あなたに助けられて、本当によかったと思っているの。どうして負傷しているはずのあなたが来てくれたのかは分からないけど……」

「簡単なことだ」


 俺はふっと遠くを見るように目を細めた。


「どういうこと?」

「俺はこの世で一番大切な女性に、『妹を頼む』と言われたんだ。従わないわけにはいかないだろう?」

「一番大切な……?」


 なんだこいつ。頭の回転は鈍いんだな。


「俺は、リアン中尉を愛していたんだと思う。そんな彼女が、自分の想いを俺に託してくれたんだ。だから俺は、これからもお前を守るよ、リール」


 大きな瞳を輝かせるリール。そこから先は、もう何を言っているのか分からなかった。俺の胸に顔を押しつけ、ただただ泣きじゃくるばかりだった。


         ※


 それから二週間。

 リールが松葉杖に慣れ、俺もまた義手を取り付けられた。そんな頃合いを見計らったかのように、今回の首都防衛部内での戦闘員・整備士・パイロット・士官たちの合同慰霊祭が行われた。

 

 雲一つない、真夏の炎天下。俺は熱中症になったわけでもないのに、ぼんやりと、何の実感も湧かずに式の進行を眺めていた。

 俺の隣では、ルイが俯きながら拳を握りしめている。泣くまいと必死であろうことは、俺にも察せられた。

 それに気を取られている間に、マイクで拡大された声が耳に飛び込んできた。


「リアン・ネド中尉!」


 そうだ。今は戦死者一人一人に対して、最も親密だった者たちが献花をしているのだ。ただし、リアン中尉の場合は少しばかり勝手が違った。


「行くぞ、リール」

「うん」


 俺は慣れない挙動で、しかししっかりと、リールの右腕を左の義手で支えてやった。花束は俺が右手に持っている。

 祭壇に捧げ、一歩後退する。見上げれば、そこには大きく拡大されたリアン中尉の写真が掲げられていた。ずっと見慣れていて、けれど直視できなくて、そして永遠に見つめることの敵わなくなってしまった笑顔。


 俺がぼんやりしていると、左腕に微かな荷重があった。

 リールが、俺の左腕を掴んで身を寄せている。


 その時、俺は思った。

 俺が愛していたのはリアン中尉だ。だが、一方的に愛するのではなく、守りたいと思えたのは、リールが最初ではないのだろうか。

 俺は無事な右腕を回し、そっとリールの涙を拭ってやった。


『リールをよろしく』――あなたの最期の命令は、必ず俺が完遂します。だから、どうぞゆっくり休んでください。


 さよなら、リアン中尉。

 さよなら、俺の青春。

 そして――。


「これからよろしくな、リール」


 頷き返してきたリールの頬を、一筋の水滴が流れていく。そっと親指で拭ってやる。

 俺もまた涙を流していたことに気づいたのは、それからまた随分経ってからのことだった。


THE END

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降るのはいつも紅い雨 岩井喬 @i1g37310

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