第8話

「やっぱり噂は本当だったんだな、ルイ」

「ああ、そうだね……」


 俺とルイは、二人でキャットウォークの階段を上っていた。出発準備のために、先に退室を命じられたのだ。焦らされてはいないが、勝手に慌てている。

『噂』とは、『ルイが首都の国防局本部に召集される』というものだ。俺は素直にルイを称賛してやろうと試みていたが、ルイの顔は晴れない。


「おい、どうしたんだ?」


 自室のスライドドアの把手に手をかけながら、俺は振り返った。しかしルイは、俯いたまま答えない。

 話しづらいことなのか――。無理な詮索は避けるべきだ。俺はこれ以上何も言わずに、自室に引っ込んだ。


『正装はしなくて構わない』という准将の言葉に従い、俺はさっさとスーツを投げ出し、スラックスもベッドに放り投げた。整備服姿に着替える。うん、やはりこのスタイルが一番しっくりくる。これ以上に馴染んだ服装があるとすれば、それは少年兵時代の簡素な戦闘服だろう。


 不要な私物は置きっぱなしにするつもりで、さっさとドアを引き開けた。工具はどうせ向こうにあるだろうし。

 しかし、ルイはそうはいかないだろう。今までの整備ノウハウを書き留めたノートや冊子類を置いてはいけない。


 俺の方が少し早いだろうな――。そう思いながらドアを引き開け、顔を出したその時だった。


「おっ!?」

「うわ!」


 ルイが、俺のドアの前に立っていた。


「何やってんだお前、今までの資料とかは?」

「ああ、もう鞄に入れてあるよ」


 確かに、ルイは大きなバッグを背負っている。制服や私物以外のもの、すなわち自己流整備マニュアルも積み込んであるに違いない。だが、どうしてこいつはこんなに慌てて準備したんだ?


「ごめんよ、デルタ……」

「何だよ? 時間はあんまりねえぞ」


 ルイは俯いたまま、両手をもじもじと擦り合わせている。


「ああ、さっきは緊張して、同道してくれる人を『デルタ』って指名しちゃったけど……」


 なんだ、そんなことか。


「気にすんなよ。他にも優秀な整備士はいるんだから、今ならまだ修正を――」

「違うんだ!」


 珍しく声を荒げるルイ。


「君に同道してほしいというのは僕の本音なんだ、デルタ。問題は、それが僕の本音だ、ってことで……」


 狼狽し、慌てて言葉を繋げるルイを、俺は掌で制した。


「何が問題なんだよ?」


 すると、ルイはがばっと顔を上げた。


「だって君を指名してしまったら、君はリアン中尉のそばにいられなくなるじゃないか?」

「!?」


 俺は息が詰まるのを感じた。それを気にしていたのか、こいつは?


「そ、そりゃあ、リアン中尉には世話になってるからな」

「そんなんじゃないだろ、君の気持ちは!!」


 大声を張り上げるルイ。


「僕も戦災孤児だからね、君の気持ちは分かるよ。ずっと寂しかったんだろう? 心のどこかで、ずっと愛情を求めていたんだろう?」

「そ、それは……」


 今度は俺が俯く番だった。ぎゅっと両手を握りしめる。確かに、異性としてだけではなく、保護者的な立場の人間として、リアン中尉を見ていた節はあるかもしれない。


「僕の懸念はね、デルタ。さっきも言ったように、君をリアン中尉から引き離してしまう、ということなんだ。君には中尉が必要だよ」

「そ、そうかな……」


 呟く俺の視界の隅で、ルイは肩を竦めながらため息をついた。


「本当に申し訳ない、デルタ」


 そこまで言われて、ようやく俺は自分の気持ちを気づかされた。俺は、リアン・ネド中尉のことが好きなのだ。自分で思っている以上に。


「でもね、飽くまで友人として、という意味だけれど、僕には君が必要なんだ。だから、今からランス准将に『訂正してください』と意志表示する勇気はない」


 ほう、そうなのか。


「それはお互い様だろ?」

「えっ……」


『お互い様』。その言葉にルイは、いや、口にした俺自身も驚いた。なんとか平静を装いつつ、俺は言葉を続ける。


「俺もお前には随分世話になってるんだ、ルイ。確かにリアン中尉とはしばらく会えないだろうけど、お前に同道することは、お前だけじゃなくて俺の一生がかかったことだ。俺なんかでよければ使ってくれ」

「デルタ……」


 放っておいたら泣き崩れてしまうんじゃないか。俺はそんなルイの肩を掴み、支えてやった。


「俺たち、親友だろ? 水臭いぜ」

「……」


 ルイはもごもごと何かを呟いたが、よく聞き取れなかった。

 それでもいい。ルイが俺のことをこんなに思ってくれていた、というその事実があれば。


 俺は乱暴にルイの背に腕を回し、バンバンと叩いてやる――つもりだった。

 その『動き』に気づいたのは、少年兵だった頃の警戒心が働いていたからだろう。


「!」


 俺は思いっきりルイを突き飛ばした。


「うわ!?」


 足を絡ませ、転倒するルイ。コンマ数秒前まで彼の顔があったところを、凶弾が貫いた。何者かが放つ殺気を、俺は感じ取っていたのだ。

 そんなことに気づいたのは後になってからのこと。俺がわざと倒れ込んだ直後、ゴワン、と銃声が格納庫内に響き渡った。


「ルイ、武器を取れ!」


 俺はそう叫びながら、自分のホルスターから拳銃を抜いた。マズルフラッシュの位置と弾丸の威力を考え、敵の位置と武器の種類に見当をつける。目を凝らすと、正面のゲートから向かって二番目の窓が割られている。そしてあの長い銃身は、恐らく狙撃用ライフルだ。


 俺は伏せているようにルイに告げてから、キャットウォークを駆け下りた。こちらも黙っているわけにはいかない。階段を下りながらも、俺は敵のいる窓に向かって銃撃した。

 バンバンバンバン、と連射する。命中などしなくてもいい。脅しだ。チリチリと薬莢の落ちる音がする。

 踊り場まで下りた俺は、そばの真っ赤な大きなボタンを拳で押し込んだ。すると、その場に伏せると同時に凄まじい警報が基地全体に鳴り響いた。


 周囲を警戒中だった警備兵は殺されてしまったに違いない。外にある警報ボタンが押されなかったことから見ると、即死させられたのだ。極めて精確な狙撃と接敵が行われたのだろう。

 それだけの戦力・技術力を有しながら、敵は堂々と攻め込んでこない。それは十中八九、ここのステッパーやそのデータを盗み出すことが目的であることを意味している。最悪の場合、敵は技術強奪を諦め、この基地全体を爆破するかもしれない。今、どのくらいの範囲が包囲されてしまっているのだろうか。


 そんなことを考えながら、俺は弾倉が空になるまで窓に銃撃を続けた。背後からは、皆が駆け出してくる気配がする。それでも敵に外周を囲まれ、一斉に爆弾でも仕掛けられようものなら一大事だ。

 俺は一旦立ち上がり、ボタン横の受話器を手に取った。


「敵襲! 敵襲だ! 敵はこの基地の外周を包囲しようとしている! すぐに上から銃撃してくれ!」

《了解した。敵の規模は?》


 落ち着いた声音。これはオルド大尉のものだ。


「詳細不明! 外周警備中の兵は全滅させられた可能性が大!」

《敵にステッパーはいるか?》

「不明! もしいた場合は――」


 その言葉の途中で、俺は受話器を取り落とした。窓の向こうに、ステッパー状のシルエットが見えたからだ。


《おい、デルタ、どうした? デルタ、応答しろ!》


 俺は受話器を取り落とした。そして伏せることさえできずに、棒立ちになった。

 ステッパーが、襲ってくる。かつてのチームメイトを殺したステッパーが。


 その直後、頭上から音が降ってきた。ガシュン、という機械の屈伸音だ。敵のステッパーが、屋上に着地したらしい。

 屋上が占拠されては、こちらを包囲しようとしている敵の歩兵を狙うことが困難になる。

 どうしたらいい?


 その時、はっと思いついた。ステッパーにはステッパーだ。俺は正気に戻り、伏せながら受話器を手に取った。


「戦闘員は基地の周辺部を警戒しながら窓に銃撃しろ! ステッパーのパイロットは少し待ってくれ、今武装をA2からB1へ切り替える!」

《はあ!? 何言ってんだよ!?》


 聞こえてきたのはロンファの声。大尉は既に退室し、こちらに向かっているらしい。


「よく聞けロンファ、天井は今敵に占拠されている。一番いいのは、お前らが屋上を奪還することだ。武装タイプB1の意味は分かるな?」

《あ、ああ、グレネード弾とサーベルの装備――》

「そうだ。お前の腕が必要なんだ、ロンファ。グレネードで天井を破って、そこから飛び出せ!」

《おいおい、俺は曲芸師じゃないだぜ!?》

「でもお前だってエースパイロットの端くれだろう!!」


 俺は一瞬、しまったと思った。あのプライドの高いロンファのことだ、『エースの端くれ』などと言われて素直に従うはずがない。と、思ったのだが。


《端くれだと? ふざけたことぬかしやがって! 俺は立派なエースだ!》

「じゃあ、できるんだな? その曲芸を!」

《やってやるさ!!》


 その言葉を最後に、通話は切れた。

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