第14話
「助けは不要。杖? いい加減にしたまえ、中佐」
廊下に出た瞬間に聞こえてきたのは、そんなリンドバーグ准将の声だった。そこには怒りよりも、呆れの念が浮き出ている。追随する部下たちも落ち着きがない。
「准将、ご指名の者たちを連れてまいりました」
バルシェ少佐が、准将の背中に声をかける。准将は振り返りもせずに『ご苦労』とだけ。
今俺たちが歩いているのは、格納庫や修理倉庫と同じ敷地にある会議棟の廊下だ。すっかり日は落ちて、窓の外は真っ暗になっている。
このあたりは攻撃対象になっていなかったようで、特に被害は見受けられない。振り返ると、ブリーフィング・ルームを出た者たちが、三々五々、格納庫に向かっていくところだった。大破した敵機やこちらの損傷機など、後片づけをするべき対象は多い。
俺が再び顔を前方に戻すと、ちょうど作戦指令室の前に来ていた。バルシェ少佐が先回りして扉を引き開け、そこから准将がゆっくりと足を踏み入れる。
俺がこの部屋に入るのは初めてのことだった。全体的に暖かみを感じさせる造りだ。床には絨毯が敷き詰められ、正面には執務机。その手前には、左右に向かい合うようにソファが置かれている。ソファの間にあるのは背の低いテーブルで、ウィスキーの瓶とグラスがちゃっかり載っていた。照明は、茶色みがかった穏やかなライトが使われている。
オルド大尉の趣味ではないな――。数日前から、リンドバーグ准将のために設備や間取りが変更されていたのか。
俺が部屋を見渡すと、部屋の隅でまるで衛兵のように立っている人物がいた。
「リアン中尉……」
どっと溢れた安堵感から、俺は声を漏らした。そんな俺に向かって、中尉は軽く笑みを浮かべて首を傾げた。
「失礼します」
突然隣から聞こえた声。気づけば、俺の隣にはルイが立っていた。俺たちと同道していたのか。
「さ、デルタ」
「ああ……」
俺は状況もロクに把握できずに、覚束ない足取りで入室した。
ここに連れてこられたのは、俺、ルイ、リアン中尉。それにもう一人、小さな人影が中尉のそばにいた。
「あっ、お前……!」
俺は思わず息を詰まらせた。
「あの時のガキじゃねえか!」
思わず場所も立場も忘れて、素っ頓狂な声を上げてしまった。
中尉の背後から顔だけ出してこちらを窺っている少女。彼女は間違いなく、先ほどの戦闘に巻き込まれていた少女だ。
少女は一旦目を見開き、俺を目視確認。その後、すぐに中尉を盾にするように全身を隠してしまった。中尉は眉を八の字にして、俺に向かって『ごめんなさいね』と言った。
「ほらリール、怖がらないで。味方の兵隊さんよ」
「嫌!!」
中尉の背後で声を上げる少女、もといリール。その声は思ったよりも低く、俺を怖がっているというより嫌っているように聞こえた。
「お姉ちゃんの言うことが聞けないの? この兵隊さんは、あなたの命を守ってくれたのよ。そうよね、デルタくん?」
「え、あ、はい!」
慌てて肯定する俺。首を小刻みに上下させる。
「それなのに、あなたはこの兵隊さんが嫌いなの?」
「だって、鉄砲持ってるもん!」
その返答には、流石の中尉も黙り込んだ。しかしそれも一瞬のこと。こちらに背を向けた中尉は、パチリ、と軽くリールの頬を叩いた。
「鉄砲を持ってるのは、自分やあなた、それにお姉ちゃんのことを守るためなのよ、リール。仕方ないの」
「だったら私は自分で鉄砲持って、自分のことは自分で守る! あたしだって、鉄砲撃てるもん!」
「駄目よ!!」
突然、中尉が叫んだ。リールのみならず、俺やルイまでもがぴくり、と肩を震わせる。
「忘れたの? 私たちのお父さんもお母さんも、鉄砲に撃たれて死んじゃったのよ! 鉄砲を持っていれば、それだけあなたも私も狙われるんだから!」
「お姉ちゃんだって鉄砲持ってる! あたしだって戦いたいの!」
「……ッ!」
俺は中尉の背中を見て、ぞっとした。まるで中尉の全身が、炎に包まれたかのように見えたのだ。それは紛れもなく怒りの表れであり、とても『落ち着いて』などと声をかけられる状況ではなかった。
パキパキと音が立っているのに気づき、僅かに視線をずらすと、中尉はぎゅっと拳を握りしめていた。あまりに強く握りすぎて、指の関節が鳴ったのだろう。
こちらに背を向けているため、中尉の表情は窺えない。そもそも、そんな表情の中尉と顔を合わせる度胸はない。
そんな張り詰めた空気を破ったのは、バルシェ少佐だった。
「姉妹喧嘩は後にしてもらえるか、リアン中尉、リール軍曹。リンドバーグ准将の前だ」
すると、二人は准将の方へ向き直り、声を合わせて『失礼しました』と一言。二人共、実に落ち着いた声音だ。
ん? 待てよ?
「リール『軍曹』だって……?」
思わず呟いた俺に向かい、リアン中尉が口を開きかけたが、説明を始めたのは少佐の方が早かった。
「信じ難いとは思うが、ここにいるリアン・ネド中尉の妹、リール・ネド氏の階級は『軍曹』だ。君やルイくんより、階級的には上になるな」
開いた口を塞げない俺。目を真ん丸に見開くルイ。
その呆気ない態度に、この場が沈黙した。聞こえてくるのは、エアコンの稼働する重低音のみ。
「こ、これは失礼いたしました、リール軍曹……」
頭を下げるルイ。つられて俺もお辞儀をするが、どうにも相手が上官だという実感が湧かない。
「鉄砲持ってる人なんて嫌いよ、あたし」
「こら、リール! そんなことで軍属は務まらないわよ! 相手が年上でも年下でも、上官でも部下でも、ちゃんと敬意を払いなさい!」
「だって……あっ!」
リールが発した、何かに気づいたかのような声。俺が顔を上げると、俺の隣の人物に向けて目を光らせるリールの姿があった。紛れもなく、ルイに注目している。
とととっ、と子供らしい足取りで、リールはルイの前にやって来た。
「あなた、ルイ・ローデン伍長よね?」
「は、はッ!」
ルイは敬礼しようと試みるが、相手の背が低いので視線が定まらない。
「西部方面基地では、あなたとても有名なのよ! 凄腕のメカニックなんですってね!」
「お、恐れ入ります!」
「だから、あなたの整備技術を見せてもらいたかったの!」
ああ、それでか。先ほど格納庫でぼんやりしていたのは、ルイに会おうとしていたからなのだ。
「とっても優しい目をしてる! こっちの鉄砲お馬鹿さんとは違うわね!」
「なんだと?」
躊躇いなく俺に指を突きつけるリール。俺は怒声を浴びせかけようとしたが、飽くまでリールは上官だ。そういうわけにもいくまい。我慢、我慢。
そうこうしていると、『失礼します』と再び声がした。入ってきたのはロンファだ。准将に向かってすっと敬礼をする。それに合わせて、長めの癖っ毛が揺れた。
「突然呼び立てて申し訳ない、ロンファ伍長。オルド大尉との別れは済ませたかね?」
准将は淡々と、しかし気遣いに溢れた口調でそう問いかけた。
ロンファは少し唇を噛みしめてから、『はッ』と復唱した。
「これで人員は揃ったか。間違いないかね、バルシェ少佐?」
「はッ、准将ご指名の者たちは、皆集っております」
「そうか」
呟いてから、准将は立ち上がった。ゆっくりと背後で腕を組む。
「准将のお言葉だ。心して聞くように」
バルシェ少佐がのたまう。少なくともあんたよりは、俺は准将に敬意を払っているつもりだ――と、言うことができたらどれだけスッキリするだろうか。
そんなことを考える俺の前で、准将はすっと息を吸い込んだ。一体何を話し出すのか。緊張で背筋を伸ばした俺は、しかし拍子抜けすることになった。
准将は喉を鳴らさずに、冷たいため息をついたのだ。エアコンなど不要なのではあるまいか。それほどの冷感をまとった吐息だ。
一度眉間に手を遣ってから、准将は唐突に切り出した。
「諸君らを、明日付けを以て首都防衛部隊に編入する」
「!?」
なんだって? 俺たちに首都防衛をしろと――ここを離れろというのか?
「すまないがこれは命令だ。しかし、私の独断でもある。諸君の身に何かあった場合、私が全責任を取る」
すると、慌てた様子でバルシェ少佐が割り込んできた。
「し、しかし准将、彼ら抜きではこの基地はもちません! あっという間に占領されて――」
「分かっている!」
准将は苛立ちを叩きつけるように、少佐に口角泡を飛ばした。
「この基地の防衛は、ゲリラ部隊に任せることとする」
俺ははっとした。どこか疲れた様子の准将を前に、一歩踏み出す。
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