第10話 ティア=ファーニセス
かくして、あっという間に夜が更けて日が昇り、エルシオ様をお救いする希望の星であるティア様がついにお城にやってこられたのでした。
「今日からこちらでお世話になります、ティア=ファーニセスです。よろしくお願いします」
アーモンド色の瞳はぱっちりと大きく、長い睫毛が縁取っています。肌なんか、すべすべで真っ白です。頭を下げたのと同時に肩上辺りでそろえられた桃色の髪が揺れました。
ティア様が私を含めた召使い一同の顔をぐるりと見渡し、恥ずかしそうに笑った瞬間、私のハートは完全に撃ち抜かれました。
なにこの子! 超絶可愛いのですが!
ゲームではスチルという形で何度もそのお姿をお見かけしておりましたが、こうして実際に目の前にすると、尋常でなく愛らしさが際立っています。ちなみにスチルというのは、ゲーム作中で特定のシーンに至った際に、ゲーム画面いっぱいに表示される絵のことです。
前世では、このティア様の目を通して王子様方と恋愛を楽しんでいたということになりますが、これは王子様方が恋に落ちるのも納得の可愛さです。むしろ、恋に落ちない方が異常です。
彼女は正に、理想の乙女像を具現化したようなお方でした。
私が性別すらも超えてティア様へ恋に落ちる一歩手前のような状態になっていると、彼女がとことこと私の方へ近づいてきました。思わず背筋が伸びてしまいます。
ティア様が、私を見つめながらことりと首を傾げました。
「城のことに関しては、何でもあなたから聞くようにと使者の方から聞いたのですが」
鈴を鳴らしたような可愛らしい声を間近で聞いて、またもや胸が高鳴ってしまいます。想像を絶する美少女を前にすると、人は緊張してしまうようです。
私は、すぼまりそうになる喉を押し開き、なんとか彼女に声をかけました。
「ティア様。よくぞ、ラフネカース城へ来てくださいました。是非、国王様のお力になってくださいませ」
「ええ、私にできうる限りのことはさせていただきます。恐れ入りますが、あなたのお名前は?」
しまった!
緊張のあまり申し遅れる等、なんという無礼の極み!
「申し遅れました。私は、ネリ=ディーンと申します。城のことで分からないことがあれば、何でも申し付けてください。それから、王子様方のことも」
「王子様方?」
彼女がまた首をひねりました。サラサラの桃色の髪が揺れます。つやつやのその髪からは、シャンプーの甘い匂いがかすかに香ってくるようでした。
「ええ。この国には三人の王子様がいらっしゃるのです。とりわけ、第一王子のエルシオ様はあなたにご興味がおありのようでしたよ」
もちろん、真っ赤な嘘です。
エルシオ様、私の小さな嘘をどうかお許しください。これも貴方様の為を思ってのことなのです。
私が仮にも彼の為であるとはいえ、エルシオ様のお言葉を偽ったことに関して少々胸を痛めている中、ティア様は驚いたように目をぱちくりさせていました。
えっと、私、何かおかしなことを言ったでしょうか?
少々不安になりながらティア様の言葉を待っていると、その瑞々しい唇から想定外の言葉がぽろりと漏れました。
「第一王子、だけですか?」
「えっ? あっ。も、もちろん、シャルロ様とリオン様も、ティア様の到着を待ちかねておられましたよ!」
私が慌てて積み重ねた小さな嘘を聞いて、ティア様は心の底から安心したというようににこりと微笑みました。
「そうですか。とにかく、精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いします」
うっ。
これは、私が嘘をついているのかもしれないという疑念等欠片ほどもない清らかな笑みです。清廉潔白とは正にこのこと。あまりにも美しい心に触れると、自分の醜さを見せつけられるようで胸がちくりと痛みます。
流石は乙女ゲームの主人公。顔だけでなく、心まで美しい。
やはり、ティア様こそが、エルシオ様を闇から救い出す女神様です。
あとは、彼女が無事に、エルシオ様との幸福な恋を成就させてさえくれれば、めでたしめでたしです。そのために私の為すべきことは、彼らの恋の成就を全力で応援することのみです。
「それでは、早速ティア様が城に滞在される間の客室と研究室をご案内しますね」
彼女は微笑みながら、こくりと頷きました。さり気ないしぐさの一挙一動全てが愛らしいです。
ティア様には、彼女専用の客室と、薬草を調合するための研究室があてがわれていました。彼女にその特別にあしらえた客室と研究室の場所をご案内したところ、感嘆の息を漏らしながらしきりに目を見張っていました。
国王様の病の治癒を目的にここにやってきた彼女はもちろんのこと貴賓にあたります。しかし、ティア様はこれでまだ私と同じ十七歳だというのだから驚きます。可愛さと性格の良さに加えて知性まで兼ね備えているとは、向かうところ敵なしです。
ティア様がお荷物を整理するとのことでお部屋に入ってゆかれたのを見届けたところで、私の口角は興奮を抑えきれずに吊り上りました。
だって。
私が前世の記憶を取り戻したあの日から待ちかねたあの名シーンが、もうすぐ現実にこの目で見られるのですから。
ゲームでは、このあとティア様が三人の王子様達とそれぞれ運命的な出逢いを果たします。トップバッターはもちろん、第一王子であるエルシオ様。
前世で私が脳の焼き切れるほどに繰り返した二人の出逢いのシーンは、彼女が城にやってきた日の夕暮れ時でした。
つまり、本日の夕刻にいよいよお二人は出逢うのです。
ゲームでのエルシオとティアとの出逢いは、それはもう運命的でした。
あのシーンは、今でも、もちろん色鮮やかに思い浮かべることができます。
自然に人一倍興味のあるティアはまず第一に、王城の裏の森に野生している珍しい草木に興味を持ちます。自分の暮らす城下町では見たこともないような花や草が生い茂っていたのです。行動力も兼ね備えているティアは、召使いに自室を案内されてから一息つく間もなく王城の裏の森の散策に出かけていくのです。麗しの王子様よりも草といった姿勢です。
王城の裏の森は、ティアにとって実に興味を掻き立てられる場所でした。彼女は夢中になって、今まで見たことのなかった野草を採取します。
しかし、野草積みに邁進するあまり、いつのまにやら随分と遠くまできてしまっていた彼女は、帰り道がわからなくなってしまうのです。王城の裏の森は、想像以上に広大でした。聡明ながら、ゲームの初っ端から迷子になってしまうお茶目さも兼ね備えているなんてやはり彼女は最強のヒロインだと思います。
日も暮れてきて、鬱蒼と草木の茂る森がなんだか急にうす気味悪く感じられたその時です。
どこからともなく聞こえてきた馬の蹄の音に、ティアは振り向きます。
そして、あっと息を呑むのです。
ぼんやりと光を散らしているようにも見える、黄金の髪。透き通るように白い新雪の頬。スッとしている、男性らしい顎のライン。彼のまとった純白の絹の服の裾が、風に吹かれてなびきます。
見る者を凍りつかせてしまうほどに冴え冴えとした無表情。それが、彼の鬼すらもひれ伏す美しさをますます引き立てているのです。ティアは、視線を縫いとめられてしまったかのように、唐突に目の前に現れた彼から目をそらせなくなってしまいました。
まるで、時が止まってしまったかのような、一瞬の後。
燃える火よりも赤い紅蓮の瞳で気怠げにティアに一瞥をくれ、エルシオが言います。
『乗れ』
たった一言。
その一言だけでも、この方は生まれながらにして王族なのだということを悟らせるような凄みがあり、それでいて艶のある声で。
ティアにも、それが彼であると言われずとも分かりました。
彼こそが、肖像画で目にしたことのある、かの有名なラフネカース王国の第一王子であると。
エルシオの有無を許さない気迫に、彼女はぎこちなく近寄って彼の後ろに乗せてもらいます。エルシオはそれっきり口を引き結んだままですが、彼女が安全に馬に乗れるようにきちんとさりげなくエスコートだけはしてくれます。そのまま、二人は白馬に揺られて王城に帰ってゆくのです。
王城に帰る間、ティアは胸をドキドキと高鳴らせながら、そのたくましい背中をじっと見つめています。
彼女は声をかけるのすらためらわれるほどに凍てついたオーラを放っている彼に恐る恐る話しかけます。
『エルシオ、様ですよね……?』
恐々と問いかける彼女に、エルシオは氷で作ったナイフのような冷たい言葉を放ちます。
『……お前に名を名乗る謂れ等ない』
ぞっとするほどに冷たく虚ろな声でした。
ゲームを繰り返しプレイした前世の記憶とネリ=ディーンとしてこの世界のエルシオ様とともに暮らしてきた記憶を持つ今となっては、彼はあの過去によって心を凍らせてしまったがためにティアに冷たく振る舞ってしまったのだと分かりますが、初回プレイ時はとにかく衝撃的でした。
当時の私はこう思ったものです。
なにこの王子! なんでここまで冷たくあしらわなければならないのか全くもって謎だけど、美しすぎてそれすらも許せる!
前世で初めてこのシーンをプレイした瞬間から雷鳴で打たれたような衝撃が脳を走った私には、慧眼があったといえましょう。
だって、その姿は、まさに小さい頃に読んでいた絵本の中の王子様そのもの! ただし、絶対零度の無表情でさえなければ。
でもその、最初は主人公に一ミクロンも興味の欠片すら持ってない冷酷無慈悲ぶりもたまらない! 彼にあの凍てついた視線を向けられると、興奮して背筋がぞくぞくする。
かくして、前世の私はあっというまにエルシオに心を掴まれました。
ちなみにこの出逢いのシーンこそ、『ときめき★王国物語』において、最初にゲットできるエルシオのスチルになります。ちなみに前世の私は、彼の全スチルを携帯画像としてもばっちり保存していました。いついかなるときでも、エルシオを眺めてニヤニヤできるようにするためです。
さて。
いよいよ、この世界においてもその感動的なシーンを迎えようとしているわけです。
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