第22話 茨の道
ある時から、私なんかがこんな素敵な王子様たちから永遠の愛を誓われるという異様な状況に、とてつもない違和感を抱き始めていた。
だって、王子たちは――とりわけ、エルシオ=ラフネカース=ヴィグレントは、私にとって雲の上に君臨しているような殿上人だった。
彼の徹底した冷たさ、そして、実はその裏返しである激しくて不器用な愛情。
全てが私の心を掴んで離さなかったのに、同時にそんな彼の愛情が私というちっぽけな存在に向けられることには酷く戸惑った。
でも、それは少し考えてみれば、至極当たり前な話だった。
だって、ティアは、最初から私なんかではなかったのだから。
彼女は、生まれながらにして、運命的に決定づけられている物語のお姫様。路傍の石ころと、澄みきった夜空で清らかに輝くお月様くらい、かけ離れている存在だった。
私から完全に羽ばたいていったティアは、その瞬間に、正に王子様から愛されるにふさわしい完璧な少女として覚醒した。
それからも、私は飽きることなく『ときめき★王国物語』に熱中し続けた。いや、むしろ、それまで以上に入れ込むようになっていたかもしれない。
主人公のティアを、あえて登場人物の内の一人として見ることによって、第三者視点で主人公と攻略対象達の恋の行く末を見守る。分かりやすくいうと、少女漫画を読んでいるような気分で、ゲームに熱中した。
その時から、ゲームは私にとって、愛されるために生まれてきたような可憐な少女と、彼女を愛する素敵な王子様との、完璧な夢物語を見せてくれるものになった。
それまでゲームをプレイする上で生じていた迷いや葛藤はこれで完全に消え去った。
それでも私の幸せは相変わらず、エルシオが幸せな恋によってその凍りついた心を溶かす瞬間を眺めることだった。
私はティアにはなれなかったけれども、彼女の目を通して、その瞬間を眺めることに何よりも幸せを感じていた。彼が幸せを掴むことこそが、私にとっては一番大事なことだった。
そして、それこそが今でも変わらずに私の幸せであり、この世界に生まれて落ちた意味なのだと思う。
*
「ネリ…………? だい、じょうぶ……?」
「…………諦められるわけ、ないじゃないですか」
「へっ?」
ぼんやりとおぼろげな視界がくっきりと明確になった時、リオン様の翡翠の瞳が心配そうに私を覗き込んでいました。
談話室に差し込む光は、ほんのりと橙色を帯びていて
長いこと、前世の夢を見ていた気がします。
私にとって前世は、決して明るいものではありませんでした。
完璧な妹という存在に、常に脅かされていた。
ずっと所在がなくて、生きづらかった。
でも、そんな時に木下さんが霞んでいた私を見つけて、彼に出会わせてくれたのです。
彼はどんどん存在が消えかかっていきそうになっていた私に、甘い夢を見させて、心を取り戻してくれた。彼に出会えたからこそ、前世の私は死ぬ直前でも、ああ、生まれてきてよかったなって心の底から思えたのです。
私は、神さまに愛されようだなんて、そんな大それた願いは持たない。そんな思いは、前世の頃にとっくになくしてしまったけれども。
彼の幸せを諦めることだけは……私はやっぱり、出来そうにありません。
「たとえ茨の道であろうとも……私は、必ずやお二人を結び付けてみせます」
例え少々卑劣な手を使ってでも、悪魔に魂を売り渡すことになろうとも。
私は彼のためならば、地獄に堕ちることだって厭わない。
リオン様に宣言して談話室を飛び出たあの日から、私はティア様の行動にくまなく目を見張るようになりました。
彼女が少しでもシャルロ様ルートに進もうとしたら、それを阻止し、彼女を歩むべき正しい道に進ませるためです。
あの宣言から二週間ほどが経ちましたが、私の調査によれば、あの日以降ティア様はまだシャルロ様と接触をはかれていないようです。しかし、油断は禁物です。緊急事態とは、気が緩んでいる時に限って起こるものなのですから。
「ネリ、最近私の仕事をかなり手伝ってくれているけれど、自分の仕事の方はちゃんと進んでいるの? なんだかあまりにも手伝ってもらっちゃって、申し訳ないな」
ぎくり。
そんな風に心底申し訳なさそうにされると、ものすごく良心が痛みます。彼女は私にこんな下心があるとは露とも思っていないのです。お気遣いが、痛い程に心に染み入る。
今日も今日とてティア様のお傍について、午前中は薬草の元となる野草摘みに邁進してきたところでした。野草をたくさん詰め込んだバスケットを両手で抱えながら、私は作り笑顔を浮かべました。
「ティア様は国王様のご病気を治癒するという国家的な使命を請け負っているのですから、その一助となれることは素晴らしく光栄なことなのですよ。自分の仕事の方はある程度融通がききますし、ティア様からは学ぶことも多いですし、何よりも楽しみながらお手伝いさせていただいておりますので、ティア様が気にされる必要は微塵もないのです」
実際には自分の仕事を終わらせるために睡眠時間を削る日々が続き、目元にでき始めた濃い隈を隠すのに必死であることなど口が裂けても言えません。
「うーん。いくらなんでも、ネリに本業の仕事まで手伝ってもらっちゃうのは申し訳ない気がするけれど……。ネリが本当に良いのならとても助かるけど、辛くなったら絶対に無理はしないでね?」
流石は聖女様。
彼女のような穢れ一つない心こそが、エルシオ様の闇を振り払うのですね。
そういえば、最近エルシオ様と全然お会いできていません。
最近は、談話室にぱったりと姿を見せなくなってしまわれたのでお目にかかれない日々がずっと続いております。
コバンザメのごとくティア様に吸い付いている私が彼とお会いできていないということは、当然のことながらティア様もエルシオ様と全くお会いしていないということを意味しています。嘆かわしいことに、彼女の中では未だエルシオ様は避けるべき危険人物のままだということです。
先週彼が尋常でなく動揺されていたという話の真相も謎のままですし、状況は依然として芳しくありません。
エルシオ様に一目でも良いからお会いしてこの目でしかとご様子を確かめたいものですが、かといってメイドの私が王族である彼に自ら会いたい等と差し出がましいことを申せるわけもなく、自分から謁見を望むのは躊躇われるのでした。幼い頃は、前世の記憶がありつつもあえて幼い故の無知を装い、犬ころのように彼のお傍についてまわっていたものですが、歳を重ねるごとに周りからの目も厳しくなっていったのです。それは、エルシオ様の王族としての尊厳を貶めないために重要なことだったのでしょう。
エルシオ様は旧知の仲である私に並々ならぬ情けをかけてくださっているので私がお会いしたいと申せば断られることはないと分かってはいるのですが……あまり彼の優しさにつけこんでばかりいるわけにもいきません。
そうはいっても、忙しい合間を縫って談話室にいらっしゃっていたので、こうしてお会いできていない日々が二週間も続くことは珍しいのでした。
正直に言って、とても心淋しいです。
翳りの差してきた心をどうにか持ち上げつつ、ティア様と肩を並べて、彼女の研究室を目指します。幸い彼女は私がしょげていることに気づいた様子はありませんでした。
そうして、すぐ目の前の廊下を曲がった、その時でした。
「痛っ…………」
談話室の付近の廊下の壁にもたれかかったシャルロ様が思いっきり苦渋に顔をしかめつつ、自分の指を凝視している姿に出くわしたのは。
こ、これは…………!
脳内でピコンと豆電球が光りました。
これと全く同じ光景を、私は前世で見たことがありました。ただし、ゲーム画面の中で。
これは、間違いなくあのイベントだ!
ゲームでは、ティアがすかさず苦渋に顔をしかめるシャルロに駆け寄り、彼が指に傷を負っていることに気づきます。
シャルロにあまりよくない第一印象を抱いていたティアですが、彼女の性格からして目の前の怪我人を放っておくことなどできるわけもありません。すかさず専門的な知識を発揮し、迅速にして丁寧な処置を手掛けるのです。
ちなみに彼が指に傷を負っていた理由はとても可愛らしいもので、その時ばかりは前世の私もシャルロに悶えてしまいました。
なんでも裏庭でたまたまお腹を空かせた子猫を拾い、自ら林檎を剥いて与えてやろうと談話室で包丁を手に取ったものの、高貴なご身分の王子様が包丁をまともに扱えるわけもなく……後はご察しの通りというわけなのです。
シャルロはいつもの余裕ぶった態度は何処へやら、照れながらもごもごとその経緯をティアに語るのですが、話を聞いた彼女は驚きに目をみはります。
『なにもシャルロ様自ら包丁を手に取って、林檎を剥いてやる必要はなかったのでは』
『…………僕が子猫を拾っただなんて噂が城に広まったら、困るでしょ』
曰く、薄汚い子猫を拾うなど、王族としての品位に関わるとのことでした。
『王族としての品位を気にかけるのならば、女遊びをやめるべきなのでは』
ティアよ、よくぞプレイヤーの声を代弁してくれた!
前世の私はうんうん、と頷いたものでした。
『可愛い女の子を愛でないなんて罪に値するからそれはできない相談だよ。……君は女の子なのに、可愛げの一つすらないけどね』
子供っぽい憎まれ口を叩いた後、シャルロは頬を赤くして、それから押し黙ってしまうのです。
今、目の前で繰り広げられているのは、正にこのイベントの冒頭だ!
私の隣に立つティア様は、シャルロ様を目にした瞬間小さく息を呑みました。所謂気になる人にこんなに突然出くわして、動揺しないわけがありません。
彼女の一瞬の躊躇いを私は見逃さなかった。
ここまでの思考にかかったのが、わずかコンマ三秒程。
脳髄反射的に身体が反応し、私は光速でシャルロ様の下に駆けつけていました。
ティア様に先を越されるわけにはいかない!
なんとしても、ティア様がこのイベントに関与することを私が阻止しなければ。
ここ二週間、ストーカーの如く彼女を見張り続けていた甲斐もあったというものです!
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