第11話 裏の森
この世界に生まれてきたからには、あの名シーンを見ないわけにはいきません。
もちろん、邪魔はしないようにひっそりと敢行する心づもりです。
息の音にすら気を配り、細心の注意を払う所存です。
城で少し待機してから、ティア様に見つからないようにこっそりと彼女の後をつけましょう。羽でも生えてきたかのような軽い足取りで、私が廊下の角を曲がろうとしたその時でした。
歌うような軽やかな声を聞いたのは、久しぶりでした。
「ネリ、久しぶり。相変わらず元気そうだね」
「リオン様!」
濡場色のしとやかな髪に、大きな翡翠の瞳。薄桃色に色づいた頬は、健康的な丸みをおびています。しなやかなお身体に、本日は柔らかい素材の緑のガウンを羽織っておられました。
先日十五歳になられたリオン様は少年特有のあどけない可愛らしさを残しつつ、今正に青年になろうとしているというその年頃にしか見られない独特の色香を放っており、お兄様方とはまた違った魅力をお持ちです。今でも十分にお美しいですが、三年後辺りが楽しみすぎます。
自然と伸びてしまいそうになる鼻の下を持ちあげて、慌てて彼に声をかけました。
「リオン様はどこへ行かれるのですか?」
「城内を散策していただけだよ。そういうネリは、どこかへ行く途中だったの?」
「ええと、裏の森へ」
「裏の森? 珍しいね、何をしにいくの?」
ことりと首を傾げられてしまいました。
しまった!
脳内があの感動的なシーンで占められていたあまり、うかつに本当のことを言ってしまった!
リオン様のこぼれ落ちてしまいそうなほどに大きな瞳にじっと見つめられて、喉が詰まります。まさか、裏の森に行く真の目的を話すわけにはいきません。
答えに窮した私がどうにかして吐いた嘘は、我ながら見苦しいものでした。
「じ、実は、本日城にいらっしゃったティア様から、裏の森に咲く野草を取ってきてほしいと頼まれたものでして!」
もっともらしい嘘をつくには、真実の中にひっそり紛れ込ませるべきだ。
その誰だったかのお話を鵜呑みにしすぎたあまり、リオン様の中でのティア様のイメージを早速損なってしまったかもしれない! 私の馬鹿! あっ、でも、ティア様がリオン様と恋仲になってしまったらとても困るので、その意味では成功だったかも。
顔を赤くしたり青くしたり大忙しの私を見て、彼はその無垢な瞳をぱちぱち瞬かせていました。長い睫毛だなぁ。
「そうなんだ。でも、素人のネリに野草の見分けがつくの?」
うっ。
リオン様はいつもお優しいけれど、変なところで妙に鋭いです。
「きちんと特徴をうかがってきたので大丈夫です! では、そろそろ行かないと。リオン様、お暇ができましたらまた談話室に遊びにいらっしゃってくださいね!」
あわあわと大きく手を振って、リオン様から逃げるように小走りで退散したのでした。
彼は不思議そうに私のことを見つめながらも、「気を付けるんだよ、暗くなるまでに帰っておいでね」と慈悲深い声をかけてくださいました。やはり、リオン様はこの世界における最強の癒しです。
逢魔が時。
どこからか烏の鳴く声が聞こえてきて、憂愁を誘います。
振り返れば、悠然と聳え立つラフネカース城の白亜の壁がほんのりと蜜柑色に染まりつつありました。普段この時間帯に外に出ることはあまりないので見る機会も少ないですが、夕日に染まるラフネカース城も昼間とは違った趣があり惚れ惚れするほどに美しいです。
さて。
ゲーム通り、順調に事が運んでいれば、ティア様は私がリオン様とお話している間にも早速裏の森に出てきているに違いありません。二人が出逢うのは日が落ちた頃なので、それまでにはティア様を見つけてバレないように後をつけねば。私には絶好の鑑賞スポットを陣取るという使命があるのです。
はずむ足取りで、裏の森へと繋がる道を歩いてゆきます。
しかし、長年ラフネカース城で暮らしてきた身ですが、こうして裏の森に出てくるのは初めてのことでした。お菓子や紅茶作りのための果実や茶葉の採取ならば、整備された庭園に赴きます。王子様方と遊ばせていただいていた時も、世話役の方に危ないからと止められて裏の森には決して行かせてもらえませんでした。私はともかく、王子様方にもしものことがあったら大変ですからね。
裏の森に足を踏み入れた瞬間、その圧巻の眺めにしばしぼうっとしてしまいました。
そこら中、一面を覆っていた柔らかい金色の草が私の足を優しく撫でてゆきます。桔梗色、銀色、虹色。今まで見たこともないような色や形の花がたくさん咲き乱れていました。その全てが夕日にさらされて、幻想的に燃えているのです。
甘い蜜に吸い寄せられてやってきたカブトムシのように、ふらふらと奥へ、奥へと吸い寄せられていきました。かぐわしい香りが鼻をかすめます。その香りにはまるで気分を恍惚とさせる催眠効果があるようでした。これはゲームのティアが、いつの間にか森の奥深くへ導かれてしまったのもうなずけます。
風が吹き、目を見張るほどに大きな黄金色のツリガネソウが、風鈴を鳴らしたような音をカランと涼しげに響かせたその時、私はここまで来た当初の目的を思い出しました。
ティア様はどこまで行ってしまわれたのでしょうか。
きょろきょろと辺りを見回しますが、人影一つ見当たりません。
あちらの、大きな木々が鬱蒼と立ち並んでいる方まで赴かれたのでしょうか。
どちらにせよ、ここにとどまっていても見晴らしがよすぎるため、すぐにティア様とエルシオ様に気づかれてしまいます。二人の邪魔をせずに、ひっそりと影から見守るためにも、もう少し奥の方へと進んでみましょう。
歩みを奥へと進めると、それまでとは打って変わって辺りが暗くなってきました。
背の高い木々がずらりと立ち並ぶ中を、恐々と歩いていきます。
ティア様どころか、先ほどから人の気配を欠片ほども感じられません。木々の大きな根がデコボコと張り出した地面は歩きづらく、気を付けていないと体がよろけてしまいます。
一度歩みを止めて、ゆっくりと辺りを見回しました。
しんと、気味が悪いと思える程に静まり返った森の中。
風が木々を揺らし、葉っぱ同士がこすれ、ザワザワと音を立ててゆきます。
どこからか獣の遠吠えのようなものが聞こえてきた気がして、心臓がびくりとしました。樹木の葉っぱに遮られて日の光もあまり届いてこないため、なんだか急に肌寒くなったように感じられます。
気づけば、辺りは真っ暗でした。
先ほどまでは夕日が微かに差し込んでいましたが、完全に落ちてしまったようです。
二人の出逢いをこの目におさめることができないのは悶える程に悔しいですが、そろそろそんなことを言っている場合でもなく、大人しく城に帰るべきなのかもしれません。
何の成果もなく王城に戻るという苦渋の決断を強いられた私は、来た道を振り返りました。
そこには、見渡す限り同じ光景が広がっておりました。
眩暈がしてきました。
やばい。
私、もしかしなくても、完全に迷子だ。
木々が、そんな私を嘲笑うかのように高いところから見下ろしていました。
背筋にだらだらと嫌な汗が垂れ落ちます。
私、どこから来たんでしたっけ。
足がガクガクと震えてきました。
来た道すらあっという間に分からなくなってしまった自分の無能さに絶望しました。
泣きそうになるのを必死で堪えてどうにか王城へ帰ろうと辺りを見渡した時、樹木の根っこに足を取られて、身体が大きく傾きました。
宙に浮かぶ身体。
小さく悲鳴を上げ、襲ってくるであろう痛みを想像しギュッと目を瞑った、その瞬間でした。
「ネリ!」
擦傷が私を襲うことはなく、代わりに、あたたかい何かに身体を包み込まれていました。
恐々と目を開いた瞬間、私が転ぶ寸前に、目の前に現れた人物が私を抱き留めてくれたのだと悟りました。
へっ…………?
「エルシオ、様……」
その、いつになく焦燥の色が浮かんだ真紅の瞳が、私の目と鼻の先にある。
気付けば鼻と鼻が触れ合ってしまうのではないかというほどに彼のご尊顔が近くにあって、私の心臓は側転宙返りを決めた。
しかも。
それだけにとどまらず、そのしなやかな腕が、私を優しく包み込んでいる。
触れ合っているところからエルシオ様の体温を直に感じた時、私の顔は真っ赤に燃え上がりました。彼から放たれる柑橘類に似た清涼な香りがほのかに鼻をかすめた時、身体が周り中のありとあらゆる熱を吸い取っていくかのように熱くなっていきます。
な、ななななななななななななななななななななななななななななんと!?
なにが、どうして、こうなった!?!????!!!!?!!?!
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