後日談② 狂気的な愛、後、心変わり?
心臓が、嫌に苦しく高鳴るのを、どうやっても止められない。
この胸の内で膨らみ始めた世にも恐ろしい考えが紛れもない現実となって突き付けられた時、私は絶望のあまり死んでしまうかもしれない。
あのお方は、なんて惨いんだろう。
この二週間、彼からどろどろに甘やかされ続けてきた私は、もう、彼の愛なくしてはどうやって生きていたかもわからなくなってしまったというのに。
それでも、どんなに胸がキリキリと痛んで苦しかろうと、吐き気のしてくるほどに拒絶したくても、あのお方の決めたことならば受け入れない訳にはいかない――
――エルシオ様の御心が、私ではなく、別の女性に向き始めているのかもしれないという悪夢を。
*
あの魔法にかけられたような夜……エルシオ様と想いを結び合った晩餐会から、実に一か月が経ちました。
しかし、奇跡の夜の翌日から一週間ほどは、以前にも増してかぐわしい色香の漂っているエルシオ様をまともに直視することすら叶いませんでした。
その麗しさで私の心臓を破裂させんとしてくる彼から逃走しては、深い自責の念に囚われるという魔のループを繰り返し続けること一週間。あろうことか、私の愚かにも程のある行動が、あのお方を思いつめさせてしまったのです。
その結果、痺れを切らしたエルシオ様の腕の中に捕獲され、息も絶え絶えに、胸を渦巻く爆発しそうな思いの丈を彼に吐露することとなったのが、三週間前の出来事。
そして。
私の行動の真意を知り、迷いのなくなったエルシオ様はというと――凄かった。
『ときめき★王国物語』では、非常に惜しいことにハッピーエンド後の後日談は本当にさらりとしか描かれていません。
だからこそ、私は今まで、知りえなかったのです。
普段氷の相貌を貫いているエルシオ様は……恋人に対しては、とんでもなく、甘やかしたがりなのだということを。
その事件は、自分に触れられるのが嫌なのではないだろうかというエルシオ様の誤解がほどかれた翌日に起こりました。
おやつの時間ごろ、一休憩をしようとすっかり気の緩んでいる状態で、談話室に訪れた時のこと。
その日のエルシオ様は珍しく銀縁の眼鏡をかけなさっていて、熱心にその視線をテーブルの上に広げた本の上に落とされていました。眼鏡を装備し、華やかさに加えて知的な色香まで漂わせたエルシオ様に早くもドギマギし始めていたら、ぼうっと呆けている私に気づいた彼が艶やかに微笑なさりました。
『ネリか、ちょうどよいところに来てくれた』
そして。
形の良い唇を綻ばせた後、その問題の一言を、さらりと放たれたのです。
『幼い頃、お前と一緒によく絵本を読んだだろう。夢中になって読んでいたこの絵本を図書館で見かけた時、無性に懐かしくなって借りてきてしまった。ほら、一緒に読もう。ここにおいで』
と、あまりにも自然にご自分の膝の上に座るよう促されました。
って、エルシオ様の膝の上…………!?
無理だ、レベルが高すぎる。
想像してみただけでも、どうやっても心臓が持たない。
少し思い浮かべてみただけで、身体中のどこもかしこもが熱くなり、苦しいくらいにドキドキしてしまった私は膝に座るよう指示されたことは華麗にスルーしました。
内心の動揺を悟られまいと、素知らぬ顔で彼の隣の席に腰をかけたのですが、エルシオ様は不満そうに唇を尖らせて『私は、ここに座れと言ったのだ』と仰いました。
くっ、そんなに簡単に見逃してはくれなかったか……と動揺した、次の瞬間。
伸びてきたエルシオ様の腕に軽々と腰を持ち上げられた私は、気づけば、あっさりと彼の膝の上に乗せられておりました。
そのまま背中からすっと腕を回された時、痺れるような甘い快感が体中を駆け巡って、ふにゃあってそのままとろけてしまいそうで――
――――って、ちょっと!?!?
『エ、エルシオ様! いつシャルロ様やリオン様が入ってこられるかも分からない談話室の中で、こ、こここここんなにくっつくなんてっ』
『……望むところだ。奴らが来たら、むしろ見せつけよう』
『は!?!?』
顔から火を噴きだしそうなほどに慌てふためく私をよそに、エルシオ様は私をお気に入りのぬいぐるみかなにかのようにぎゅーっと抱きしめ続けながら、いじけた子供のように言うのでした。
『……ネリは、可愛い。シャルロはいうまでもなく、リオンだって男なのだから、いつ変な気を起こすとも知れない。奴らには、お前は私の恋人なのだということを今一度ハッキリ知らしめる必要がある』
はずした片方の手でやさしく私の髪を撫でられながら耳元で囁かれたあの時は、本気で死ぬかと思いました。
いつシャルロ様やリオン様が入ってくるかも分からないスリル満点なこの状態でエルシオ様から惜しみなくもたらされるあたたかな温もりと甘い心地は、いつにも増して甘美で、背徳的で、本当にどうにかなってしまいそうで……。
あああ、いくらとろけるような夢見心地だからって、流されちゃダメだ!
恋人同士になったとはいえ、節度というものを忘れてはいけない!
頭の片隅に残っていた羞恥心が騒がしく喚き始め、瞳の淵に涙がたまり始めてきたところで、どうにかしてエルシオ様の腕の中から抜け出そうともがいたのですが――
『暴れるな。これは、未だに私から逃げ出そうとするお前への罰でもあるのだぞ』
――耳元で低く吐息とともに囁かれて気を失いかけたのも束の間、そのまま耳をかぷりと食まれて、心臓を吐き出してしまうかと思いました。
その後、軽く生死を彷徨いかけながら、机の上に広がっていた絵本をエルシオ様と一緒に覗き込むこととなったのでした。
幸い、実際にシャルロ様やリオン様が談話室の中に入ってきて、大変な事態に陥ることはなかったけれども……エルシオ様とぴったりとくっついている中で、絵本の内容なんてこれっぽっちも頭に入ってこなかったことはいうまでもありませんでした。
そして、あろうことかこの事件は、エルシオ様の仕掛ける甘美な罠のほんの氷山の一角に過ぎなかったのです。
このことがあってから、エルシオ様は箍が外れたように、私の心臓を崩壊させようとしてくるようになりました。
廊下ですれ違えば、人目も憚らずに抱きしめてくるのは日常茶飯事。
さらには、隙あらばちゅーをしようとしてくる。
『うううっ……もっと、人目を忍んでください!』
真っ赤になりながら怒ってみても、『どうせ二人きりになったところで、ネリは私から逃げようとするではないか』としれっと言い返されて、ぐうの音も出ませんでした。そうはいっても、こんなにも激しい愛をまともに受け止めていたら、心臓がいくつあっても足りないし……と考え始めたら頭がぐるぐるしてきて、沸騰しそうだったから考えるのをやめました。
談話室で顔をあわせたら最後、私がめそめそと泣こうが、顔をトマトよりも赤くして拒否をしようが、あの日と同じように問答無用で膝の上に座らせられる。それから……思い出しただけで身体中が火照ってきてしまうくらいに、可愛がられる。
もう、なんていうか――彼の愛は、狂気そのものだ。
エルシオ様は、いつか確実に、私の心臓を破壊するだろう。
ドロドロに甘やかされ続けて、本気で狂ってしまいそうでした。しかも、そうやって彼にもたらされる甘い心地の中で、ドキドキしながら息を引き取れるならそれはそれで本望かもしれないと考え始めるくらいには、私の頭は洗脳されつつあったのです。
しかし。
そんな、傍から見ていたら吐き出しそうなくらいに甘やかされ続けていた日々は、一週間前、あまりにも唐突に終わりを告げました。
*
「……ううっ……もうっ、私は……一人きりでは、生きて、いけない、のにっ」
「!? ネリ、どうしたの……?!」
涙でぐしゃぐしゃに歪んだみっともない私の顔を、あの、いつ何時でも包み込むようにやさしいリオン様がギョッとしたお顔で見下ろしていました。
以前――私が酷い勘違いをして、あのお方とティア様を結び付けようと奔走していた時にも、こんなことがあった。
あの日も、談話室で泣いている私の下に、偶然にもリオン様が通りかかられた。彼には、私のピンチを感じ取るセンサーが備わっているのかもしれない。
淋しく苦しくてしんどくて、私はなりふりかまわずに、涙をぼろぼろと零し続けることしかできませんでした。
「……もう、もう……どう、したら、良いのか……わから、なくてっ」
「え、ええと……全く話が読めてこないんだけれども」
戸惑い気味のリオン様に向かってえぐえぐと涙を零し続けながら、私は口にするのも恐ろしい残酷な事実を、胸を刺し抜くような痛みを感じながら口にしたのでした。
「…………エ、ルシオ様、が……心変わりを、されたのです」
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