ティア~私が王城で過ごした日々~②
×月×日
どうしようどうしようどうしよう!
まさか、初日からホントにあのお方にまたお会いできてしまうなんて思ってもみなかった……!
今でもあの時のことを思い返すとドキドキが止まらない。ああ、さっきやっと落ち着いていたのに、また心臓がうるさくなってきた。
とりあえずは……落ち着いて、今日起きた出来事を整理しよう。
馬車から降り立った私は、ドキドキしながらお城に足を踏み入れた。
目が回りそうなくらいにたくさんの人々が、私のことを盛大に出迎えてくれた。
お城って、想像以上に何もかものスケールが全然違う。広いだけじゃなくて、置いてある物の一つ一つの素材と色合いがすごく上品で、一目で高価だと分かる。
働いている人の数も桁違いで、圧倒される迫力があった。
それに……お城での生活ではなんと、私の身の回りのことをお世話してくれる専属のメイドさんまで付くらしい。びっくりしちゃった。
お付きのメイドさんだなんて、なんだか貴族様にでもなったみたいで少し気が引けてしまうけれど……私についてくれるネリというメイドさんは話しやすそうな愛嬌のある女の子だったから、ホッとした。
ネリの案内してくれたお部屋で荷物の整理を終えた私は、一息ついてから城内を散策した。
噂に聞いていた王城の裏の森にだけ自生しているという草花の下にすぐにでも駆けつけたい気持ちもあったけれど……私の足は、無意識のうちに、あのお方のことを探してしまっていた。
まさか、初日からお会いできるわけないよね。
そう思って、ほとんど諦めてはいたんだけど。
そのまさかが、起こってしまった。
ほとばしるような艶で溢れているのに、どこか物哀しいピアノの音色。
それは、一年前に一度聴いてからずっと心惹かれていたその音色だった。
その音にとらわれたあの瞬間、まるで自分が磁石になってしまったみたいだった。吸い寄せられるままに進んでいった先に辿り着いた扉を、私は迷うことなく開いた。
そのお部屋で優雅にピアノを奏でていたのは……やっぱり、シャルロ様だった。
ステンドグラスから差し込む虹色の光にあらわれながらピアノを弾いていた彼は、まるで空から舞い降りた、天使様みたいだった。
その白い手から紡がれる悲哀に充ちた旋律も、シャルロ様ご自身も、胸が震えてしまうほどに綺麗で……それなのに、触れたら、透けて消えてしまいそうだった。
彼は以前に一度お会いした時と同じように、澄んだ淋しさに充ちていた。
*
日記を閉じて、瞳を閉じた。
机に身体をあずけるようにしてうつぶせになりながら、一年前のあの時のことをなぞるように思い返す。
一年前。
私は一度だけこのお城を訪れていて、彼の演奏を聴いた。その日はシャルロ様のピアノのコンサートが開かれていて、私たちは家族で観に行った。
この国の国民なら、誰もが彼の比類なきピアノの才能を知っている。
膨大な需要に対して滅多に人前で演奏しない彼がたまに開くコンサートは、非常に希少価値が高い。そうなると、演奏会のチケットの値段はどんどん高騰する。いつしかそのチケットは庶民がやすやすと手を出せるものではなくなってしまっていた。
でも、一年前のあの時は、妹が元気になったお祝いだからって、お父さんが大枚をはたいて家族みんなの分のチケットを手に入れてくれたんだ。
お城の中に悠然と構えている演奏ホールは圧巻だった。
そこは第二王子の為にだけしつらえられた設備だと聞いたけれど、たった一人の為だけにこんなお部屋を作ってしまうのかとすっごく驚いた。
それだけの期待に見事応えるどころか、それ以上の功績を残しているという彼は、一体どれほど素晴らしい演奏をするのだろう……?
開演直前まで、大勢の観客が歓談していて騒がしかったのに、シャルロ様が舞台に現れた瞬間、一瞬でその場の空気が切り替わった。
月光を吸い込んだような銀の髪が、さらさらと揺れる。
黒いタキシードが、本当によく似合っていた。
舞台の中央で立ち止まり、観客にむかってお辞儀をして微笑む。
彼は、言葉では言い尽くせないほどに美しかった。
音楽ホールという巨大な空間を一瞬にして支配する凄まじい美貌に、観客全員が息をひそめて彼を見つめた。
彼は、そんな視線を向けられることには慣れ切っていたようで、一瞬たりともたじろがなかった。固唾をのんで大勢の観客に見守られる中、優雅にピアノの前に腰かけて、鍵盤の上にそっと手を置く。
迷いなく彼が奏で始めた次の瞬間、またホールの雰囲気が切り替わった。
その音色は、彼と同じくらいに艶があって、上品だった。
そして……同時に、胸を締め付けられるような、儚さが香っていた。
私は、音楽とはさっぱり無縁の世界で生きている。
それでも、彼の演奏が、どうしてそれだけ多くの人に愛されて大事にされているのかは、ひとたびその音色を聴いた瞬間にすぐに分かった。
だってその演奏は、心を掴んで、直接揺さぶってくるみたいだった。
それに……胸を締め付けられるような透き通った切なさに充ちていた。
全身の神経を研ぎ澄ませて、彼の演奏を脳に焼き付けるようにして、必死に聴いた。彼の演奏は、一時も私の眼と耳が休もうとすることを赦そうとしなかった。
どうして、なんだろう。
音の洪水に身をさらしながら、ずっと考えていた。
神様に愛されて、この世の奇跡を集めたみたいに美しいお方なのに。
どうして、彼の紡ぎだすメロディは……こんなにも悲哀に濡れているのだろう。
演奏が終わった後も、しばらく彼の作り出した美しい夢のあとの余韻に浸ってぼうっとしていた。
演奏会が終わった後、ホールの外はシャルロ様が出てくるのを今か今かと痺れを切らして待っている観客で溢れかえった。
彼の演奏が終わった後の恒例行事として、簡単な握手会が催されるらしかった。演奏自体よりも、その後の彼との一瞬の会話を求めてはるばるここまでやってくる人もいるというのだから恐れ入る。
私の家族は、彼の素晴らしい演奏には胸を打たれたようだったけれども、この長蛇の列に並んでまで握手をしていくか悩んでいるようだった。
でも、この時の私は一言でもいいからどうしても彼とお話してみたかった。だから、家族には先に帰ってて良いよと言い残し、その長い列に加わることを選んだ。
それから、どれくらい待ったかは全然覚えていない。
思わず列に飛び込んでしまったけれど、彼を前にしたら、なにを話そう。
そうやってずうっとそわそわしていたら、思っていたよりもあっというまに私の順番が回って来てしまったことだけハッキリ覚えている。
いざ目の前にした彼は、演奏会で遠くから眺めていた時よりも妖艶に思えた。
『とても……素敵な、演奏でした』
『有難う。こんなに可愛い子にそんな風に言ってもらえて、僕は幸せ者だ』
握手を交わした後、シャルロ様は艶やかに微笑んだ。
間近で見たその笑顔は、やっぱり見惚れてしまうほどに綺麗だったけれど……私には、どうにもそれが本心からの言葉ではないように思えた。
『ほんとに、そう思われていますか?』
気づいたら、心の声がするりと口に出ていた。
私としたことが、王子様相手に、なんて大それた失礼な発言を。
『どうして?』
焦る心に反して、そう促されてしまったら、もう止まれなかった。
『貴方の奏でる音色はとても綺麗なのに……なんだか、泣いているようにも聴こえました』
口にし終えた後、喉がひりつくように熱くなった。
こんな詩人めいた発言を……よりにもよってご本人様にぶちまけるなんて!
ただの私の勘違いで、考えすぎかもしれないのに……ああ、ああ、どうしよう。
恥ずかしさで今すぐにでも逃げ出したくなっていた私に反して……私の言葉を聞いた彼は虚を突かれたようにその瞳を見開いて、驚かれた。
シャルロ様はしばしの間呆然としたように私を見つめた後、弱々しく微笑んだ。
『……ばれちゃったか。参ったなぁ。僕も、まだまだだね』
今度は、私が驚く番だった。
彼は俯くと、かすかに震えているような声で、仰った。
『…………一番聴いてほしかった人が、来てくれなかったんだ』
彼の抱いていた淋しさがハッキリと透けて見えた瞬間、私の胸はぎゅっと締め付けられた。まるで、喉が締め付けられたように、息苦しくなった。
『どうして、ですか?』
『……アイツが、風邪を引いたんだ。あの子が、駆けつけないわけがないでしょ』
『えっ』
予想外の返答に、思わず言葉に詰まってしまった私に一瞥をくれると、シャルロ様は先程の淋しさを閉じ込めるようにして華やかに微笑んだ。
『突然変な話をして、ゴメン。今のは、聞かなかったことにして』
その笑顔は空に輝くお星様よりも綺麗だったけど。
やっぱりどこか、儚さが香っていた。
彼の演奏を聴いたのも、会話を交わしたのも、あのたったの一度きりだった。
彼は、噂に聞いていたよりもずっとずっと美しくて、正に神様に愛されたようなお方だった。
でも、私が何よりも惹かれたのは――
今日。
あの切ないメロディに導かれるようにして辿り着いた先で、私は彼に再会した。
『君、初めて見る顔だけどとても可愛いね。僕の演奏を気に入ってくれたの?』
予想通り、シャルロ様は一年前のことなんて覚えていなかった。
無理もない。あの時、彼にとっての私は大勢の観客のうちの、たったの一人にすぎなかったから。
あの演奏会の日以来、第二王子にまつわる噂にとても敏感になっていたから、世間から彼がどのように噂されているかは息苦しくなるほどに知っていた。
曰く、常に周囲に女の子をはべらせていて、とっかえひっかえを繰り返し続けている、節操の欠片もないダメ王子だと。
最初その噂を聞いた時は頭に金盥を落とされたようにびっくりして、すっごく悲しくなってしまった。
友達には真剣な顔をして、忠告までされてしまった。
『第二王子のことが気になる!? 万が一にも機会が訪れたところでそれだけはぜっったいやめておいた方がいいよ! 彼、実はしょっちゅうお忍びで城下町にも遊びに来ているらしいけど、そのたびに町娘を堕として泣かせてるらしいよ。私は、あの色ボケ王子にティアみたいな良い子の純情を弄ばれるなんて耐え切れないっ。お願いだからやめて!』
泣きそうになりながら訴える彼女に苦笑いを浮かべたっけ。
それからも彼から立ち上る悪い噂は尽きることがなかった。
今日一年ぶりに再会した時に、彼の方では私とは初対面だと思っているにも関わらず、いきなり顎を掴まれた時もさほど驚かなかったのは、その良くない噂にあまりにも心を慣らされきっていたせいなのかもしれない。
『ええ。貴方の演奏は……ホントに、素敵ですね』
手を伸ばせばすぐに触れられるほどの近距離で、彼が私に向かって艶やかに微笑んだ時、一年前に私の前で弱々しく微笑んで見せた彼の姿がぴたりと重なった。
ねぇ、シャルロ様。
馬鹿な私にはやっぱり……どうしても、貴方がただの悪い人には思えません。
私の心を掻っ攫って、飽きたら簡単に棄ててしまおうとしている貴方を前にしてすらも。
再びお会いして、あらためて確信した。
私はやっぱり――貴方の中に透けて見えた淋しさに、今でも惹かれている。
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