第7話 第二王子

 王城の談話室にて。


 開いたオーブンからふっくらとしたスコーンが顔を出した時、頬が緩みました。

 成功だ。

 この出来であれば、シャルロ様にお出しすることも許されるでしょう。

 焼きたてのスコーンから立ち昇るやさしく甘い匂いを嗅いでいると、心まで浮き立ってきます。


 時計の短針を見やれば、あともう少しで3の字を指そうかという時間。

 そろそろ、シャルロ様との約束の時間です。

 折角ならば焼き立てを召し上がっていただきたいと考えておりましたが、焼きあがる時間も計算通りでした。


 狐色のきれいな焼き色のついたスコーンをお皿に載せ、先日庭園で採れた苺を煮詰めて作った新鮮なジャムを添えます。真っ白なお皿に真紅のジャムはよく映えました。それぞれを丁寧に盛りつけ終えた私は、満足しながら出来上がったものを眺めて、頷きました。


 自画自賛ながら、中々の上出来だと思います。


 後は、紅茶を淹れるためのお湯を沸かせば、シャルロ様をお出迎えする準備は万端だ。


 軽く鼻歌を口ずさみながら、お部屋にもっと日差しを取り込もうとモスグリーンのカーテンを勢いよく押し開いたその時でした。


 王城の談話室は、庭園の一角に面しております。


 抜けるような清々しい青空の下、色とりどりの花々が鮮やかに咲き誇る花壇の脇を、颯爽とこちらに向かって歩いてくるのは、紛れもなくシャルロ=ラフネカース=ヴィグレント様その人でした。


 月光を集めて作った銀の髪に、切れ長の妖しいアメジストの瞳。

 大理石のきめ細やかな白い肌に、スッと通った鼻梁。形の良い唇は、日差しを受けて誘うように艶めいている。尋常でなく顔が整っているばかりでなく、古代の彫像ばりの完璧なスタイルです。


 流石は乙女ゲームの攻略対象。


 小さい頃から彼のことをよく存じ上げている私は流石に慣れてはきましたが、この美の化身のようなお方が、生きて動いているという事実には常に驚かされます。


 エルシオ様が絵本に出てくるきらきらの正統派王子だとすれば、シャルロ様には夜が似つかわしい。 


 彼は、夜を総べる、魔性そのもののような人です。


 ぼうっと、遠くから歩いてくるシャルロ様に見とれかけていたその時、ウェーブのかかった長いローズ色の髪の女性が、彼を追いかけて走ってきました。


「シャルロ様……っ!」


 息を切らして走ってきた彼女の呼びかけに、シャルロ様は足を止めて振り向きました。


「やあ、ルヴィアンヌじゃないか。今日も可愛いね」


 砂糖菓子よりも甘い笑顔に、艶やかな色香をふくんだ声。

 彼のそのたったの一動作だけで、彼女の頬は、たちまち燃えるように真っ赤に染まる。


 一見、少女漫画のワンシーンでも見ているかのようですが、ここでときめくのは早計です。


 深々と、盛大にため息をつきました。


 はぁ………………また始まったよ。


 目の前で始まった少女漫画もどきのような光景に胸を白けさせながら、私は二人に見つからぬように身をかがめて、事態の成り行きをひっそりと見守ることに決めました。


 彼女は未だに頬を赤く染めたまま、もじもじと上目遣いでシャルロ様を見上げました。


「み、身に余るお言葉ですわ……。ところでシャルロ様、どこへ行かれる途上だったのですか? 本日の休憩時間は、私と過ごしてくださると仰っていたではないですか」


 頭が痛くなってきました。

 ああ……この王子は本当に懲りないな。


 うるうると子犬のように潤んだ瞳でシャルロ様を見つめるルヴィアンヌさん。

 しかし、これまで幾千もの修羅場を潜り抜けてきた彼は、これしきのことで心動かされる純真な人間ではありません。全くと言っていい程に顔色を変えず、いまだに悠然と微笑んでおられます。


 彼は少し思案した後、流れるような動作で彼女の顎を掬い上げて、その耳元で囁くように言いました。


「ゴメンね。急にどうしても対応しなければならない執務ができちゃったから、今日は無理になっちゃった。そのかわり、今度会った時はたっぷり可愛がってあげる。ルヴィアンヌは、待っていられる良い子でしょう?」


 仕上げとばかりに、妖しい菫色の瞳でたっぷりと彼女を見つめてから、ニコリ。


 超絶至近距離でシャルロ様に輝くような笑みを向けられて、言いくるめられない女性などこの世には存在しないのでしょう。


 ルヴィアンヌさんも、こちらが心配になる程に顔を真っ赤にしたかと思うと、息も絶え絶えな様子でこくりと頷いたのでした。


 その甘く艶やかな言葉は、向けられた女性本人にとってはアルコール度数の高いお酒のようなのだと思います。シャルロ様の声には、女性の心臓に甘い毒をふりかける作用でも含まれているのではないかと思います。


 彼はあっという間に骨抜きになった彼女から、そっと手を離しました。

 それから、流れるような動作で彼女の頭に手を載せて、優しく撫でました。


「またね。僕の可愛いルヴィアンヌ」


 魂まで奪いつくされたようになって立ちつくしている彼女からひらりと身をひるがえし、シャルロ様はルヴィアンヌさんに別れを告げたのでした。



 それにしても……よくもまぁ、あんなにもすらすらと胸焼けがしてきそうな甘い言葉と仕草を量産できるものです。あそこまで華麗に堂々とやってのけられると、いっそのこと清々しさすら感じます。女性を垂らしこむ才能にかけては、シャルロ様の右に出る者はいないと断言できます。


 彼の根無し草のごときちゃらつきぶりは、今に始まったことではありません。


 これまで幾度、涙目になっている女性&悪びれもせずに宥めるシャルロ様の構図に出くわしたことか。

 本日は、女性の人数が一人であっただけ、マシな方です。

 四・五人の女性が一気にシャルロ様を責めたてて、カオス状態になることもザラにあります。


 あれだけの甘言と約束を量産するシャルロ様ですから、結果として約束を守りきれず、女性にもたらした言葉が嘘になってしまうということは往々にしてあります。

 しかし、どんなに彼女たちに泣きつかれようとも、最終的には甘い言葉と艶やかな微笑を振りかざしさえすればどうとでもなることを心得ている彼は、動じることもありません。なまじ王子というやんごとなき身分であるだけに、彼に愛されるのならば一夜限りで棄てられてもかまわない本気で考える女性も多いことが、彼のだらしなさに拍車をかけているように思います。


 『ときめき★王国物語』のシャルロルートは、そのままにしておいたら空にまで飛んでいってしまいそうなほどに浮ついた彼がティアと出逢ったことで一途に真っ当な本当の恋を知るまでの物語です。これはこれで素敵な物語なのですが、この世界のティア様が恋に落ちるのはエルシオ様でなければ困るし、それ以外のルートを辿ることはこの私が何としても許しません。


 ということは、この世界のシャルロ様は、一生浮ついたままなのかもしれない……。


 窓辺にもたれかかって彼の身の上を気の毒に思っていると、当のご本人様が私の顔をみとめて、駆け寄ってきてくださいました。目の前まで来た彼は、優雅に微笑みなさいました。


「ゴメン、ちょっと遅くなっちゃった」 

「これから急ぎで対応せねばならない執務があるのではないのですか?」


 間髪入れずに冷や水を浴びせかけるような勢いで言ってやると、シャルロ様は目を丸くしました。


「なんだ。ネリ、さっきの見てたんだ。もしかして、妬いちゃった?」

「スコーンなら焼きました。シャルロ様が浮ついてるうちに、折角の焼きたてが冷めちゃいましたよ。ほら、軽口を叩いてないで、早く上がって召し上がってください」


 全く。


 先日から本日はシャルロ様が休憩の合間に談話室に遊びにいらっしゃるとうかがっていたので、折角、彼の休憩時間にあわせて焼きあがるように計らったというのに台無しです。まぁ、シャルロ様に関しては一悶着か二悶着くらい起こして約束の時間に遅れるほうがしっくりきてしまうのですが……。


 白けた様子で冷淡に返すと、彼は見る見るうちにそのアメジストの瞳の端を吊り上げていきました。それまでの王子様然とした甘いマスクはどこへやら完全に放り投げ、その瑞々しい唇は見る見るうちに尖っていきました。


「ホントに、ネリは昔から色気もなければ、可愛げもない。もうちょっとルディアンヌを見習いなよ」

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