【SS① 聖夜の見せた奇跡】

 今日は、クリスマスイブ。


 といっても、そんな世間のイベントごととは別の素敵な世界で生きている私にとっては、あまり関係のない話だ。


 今日は学校のない貴重な休日だし、私は世間がクリスマスだと浮かれていようが今日も今日とて『ときめき★王国物語』をプレイする。家族はゲームに熱中する私を白けた目で見ているけれども、幸せの形は人それぞれであって、私にとっての幸せはここにある。誰がどう思おうと、私が幸せだと感じているなら、それが全てだ。私は、ゲームをしている時が最高に幸せだ。


 ちなみに、今日一日部屋に引きこもっていれば、エルシオハッピーエンドルート五周目クリアを達成できそうである。そういう意味では、今日はものすごく尊い日になりえる。


 大好きな彼のハッピーエンドを脳裏に思い描きながら、リビングのソファに腰かけて、ねぼけ眼をこすりながらぼんやりとしていた時のこと。


 妹が階段からどたばたと降りてきて、「寝坊した! 早く準備しないと、涼くんが迎えにきちゃうよ~っ」と朝から慌ただしくぱたぱたと駆け回り始めた。お母さんは妹が「早くお化粧して、髪を整えなきゃっ」と駆けずり回って焦っている姿も愛おしくて仕方ないらしく、幸せそうに微笑んだ。


「愛ちゃん、今日はやっぱり彼氏とお出かけなの?」

「そうだよーっ! 涼くん、十一時にはお家に迎えにきちゃうよ~」


 あれ? 私の記憶では、三か月前頃に付き合っていたのはたしか翔くんという名前だった気がするのだけれども……。

 まぁ、尋常でなくモテている妹のことだ。翔くんは涼くんと天秤にかけられた結果、あっさりとバイバイされたのだろう。翔くん、多分君は悪くなかったよ。妹を好きになったのが君の運の尽きだったんだよ、愛は可愛い顔してるけどその辺はものすごくシビアだから。と心の中で、顔も知らぬ翔くんにエールを送った。


 椅子に腰を掛けて、鏡を覗きこみながら高校に入学した瞬間に明るく染めた茶髪を丁寧に巻き始めた愛が、ぼうっとソファにもたれていた私にちらりと一瞥をくれる。


「お姉ちゃんは、どうせ予定ないんでしょ?」


 失礼な。


 私には、大いなる物語の結末を見届けるという大事な使命があるというのに、その言い草はなんだ。そこいらの男の子とのデートなんかよりも、私の予定の方がずっと建設的で、偉大で、感動的なのに。まぁ、実際に男の子とデートしたことないから、ちゃんと比べることはできないのだけれども……。


 そんなことを口にしたところで、愛の瞳が虫けらを見る目つきに変わるだけだということは重々承知している。私は無難に大人な回答を選択した。


「そうだね。今日もお家でゲームする予定――」


 ――ピンポーン。


 私の答えは、鳴り響いたインターフォンの音にかき消された。


「うそーっ! まだ十時半なのに、涼くん来るのはやすぎだよーっ。まだ髪巻いてないし、お化粧も全然終わってないのに~。ちょっとお姉ちゃん、出といて!」

「えええええっ!?」


 そんな……! 


 私だってついさっき起きたばっかりで、今日は外に出る用事が特になかったから、髪に寝癖はついてるし、全身スウェットのまんまでお家モード全開の悲惨すぎる恰好なのに! 

 今の私は、決して人様にお見せして良いものではない!


「そんな、こんな格好で人前に出るなんて無理だよ! っていうか、愛は少なくとも着替え終わってるじゃん!」

「髪のセットもお化粧もこれからだし、出られるわけないでしょ!? 女はなめられたら終わりなんだから、彼氏の前では常に完璧でいないとダメなんだよ! ほら、行ってきて、愛は準備中だからって言ってきて」


 髪と化粧どころか、寝間着から着替えてすらいない上に髪の跳ねている私を生贄に捧げて時間を稼ごうとする妹。


 理不尽の極みすぎる。


 でも、この家では、基本的に私に発言権というものはない。特にこのように口論になったが最後……どんなに理不尽であったとしても、私は妹には逆らえない。


 ええい。涼くんとやらもどうせ三か月後には愛と別れているのだろうし、そうだとすれば金輪際私とも会うことはないだろう。

 これが最初で最後の彼との対面だ。そう思えば、この格好で人前に出てくる勇気も出てくるというものだ。


 やけっぱちになった私は意気込んでおずおずとドアの前に立つと、そうっと押し開いた。


「私を待たせるとは良い度胸だな、ネリよ。……いや、この世界では、鈴子だったか」


 その耳を震わせるような甘くて低い声は憮然としていたにもかかわらず、およそこの世のものとは思えない程の艶があった。


 冬の凍えるような寒い風にさらわれて靡くは、日の光を紡いで作った黄金の髪。朝の陽ざしにさらされて、猫っ毛気味の髪がきらきらと金の光を散らしている。その少しやさぐれたような切れ長の瞳は、ルビーを溶かして作ったような燃えるように赤い真紅。控えめにつきでている白い喉仏があまりにも美しい曲線美を描いていて、その艶めかしさは異常だ。


 古代ギリシャ像ばりの完璧なスタイルを地で行く彼が現代日本の若者風の黒いコートを羽織って、私よりも頭二つ分高いところから、不遜に見下ろしていた。


 ………………………………は?


 現代日本におけるごく平凡な木造戸建の玄関に、絵本から飛び出てきたかのようなきらびやかな王子様が憮然と立っている姿はあまりにもシュールすぎて、私は絶句する他なかった。


 え、ええと…………これは、ゲームのプレイしすぎによってついにいかれてしまった私の脳が生み出した、幻覚かなにかの類かな?


 落ち着いて考えよう。まず、ここは現代の日本で、住み慣れた我が家の玄関だ。それは間違いない。それならば、ここが外国であるならば問題ないのかと問われれば、そうでもない。というか、こんな美のイデアそのものみたいな化け物じみた存在には、外国に行ってもそうそうお目にかかれないだろう。


 こんなのまるで――エルシオ様が二次元の世界から、本当に三次元の世界へ飛び出してきてしまったみたいだ。


 本来存在しているべきはずの世界を違えているエルシオ様は麗しすぎるあまり、我が家のみすぼらしい小さな玄関においては異彩を放ちすぎていた。こんな所に立たせていることすらも申し訳なくなる。流石は乙女ゲームのメインヒーロー。きらきらオーラが半端なさすぎて目が眩みそうだ。

 

「鈴子……? 何故、固まっているのだ」


 途端、大量の脇汗が噴き出し始めた。


 たしかに妄想は大好きだし、得意分野だ。

 でも、だからといって…………いつから私の妄想は、実際に具現化する力を授かってしまったのだろうか? 


 目の前のエルシオ様は私の生み出した妄想にしては、恐ろしい程に鮮明にしてリアルだ。息遣いや体温もちゃんと感じられるし、その低くて甘い声は耳をじかにくすぐってくるようである。


 今私の目の前にいる彼は、たしかに、生きている存在だった。


 ナ…………ナニ、ゴト?


 流石にちょっと理解不能すぎて、脳内処理が全くもって追いついていない。


 今の自分が全身上下スウェットだとか、髪に寝癖がついているまんまだとか、そんなことは一瞬にして無に帰す程の絶大なる破壊力が、そこにはあった。


 思考能力を失った私は、氷像のごとくカチコチに固まる。

 テレビリモコンの停止ボタンを押されたかのように止まってしまった私を見て、何故だか三次元の世界に飛び出てきてしまったエルシオ様はますます怪訝そうに眉根を寄せる。


 まるで時が止まってしまったかのようなその時――小走りで玄関の方へ向かってくる足音が聞こえて、私の心臓は忙しなく働き始めた。


 愛だ!


 妹が、たどりついてしまう……!

 いや、でも……目の前のエルシオ様がもし私の作り出した幻覚なのだとしたら、妹には認識できないはずだ。だとしたら、そんなに焦る必要は……。


 立ちつくすことしかできないでいる私の隣にやってきた妹はというと――


「涼くん、お待た…………」


 ――大きな瞳をさらに見開いて、絶句した。


 うわあああああああああああああああああああ! なんか、収集つかないことになってるよコレ! どうしよう!!?


「え…………っと……お、おねえちゃ……ん。この人は、誰…………?」


 いつも自信に満ち溢れている愛が、こんなにもうろたえている表情をしているのを、私はこの時初めて見た。

 そして、こんな圧倒的非常事態にも関わらず私はというと――エルシオ様に感心してしまったりしていた。


 愛は、滅多なことで動じない。


 彼女は常にチヤホヤされてきた立場だからこそ、男の子は自分に尽くして当然と思っているような節が見受けられる。恋愛を器用にこなしてきた経験豊富な妹は、高校一年生にしてかなりの男性免疫をお持ちだ。そこいらのイケメンに動じるような彼女ではない……のだけれども。


 妹の瞳は、今、目の前のエルシオ様に完全に釘付けだった。


 怯えているにもかかわらず、惹きつけられずにはいられない。彼の持つ圧倒的カリスマ性と華々しさから、目を離せずにいる。


 学校の水面下で密かに行われているらしいカースト戦争の頂点に君臨した妹をすら、冷めた瞳で一瞥をくれただけで簡単にねじり伏せる。男女どちらからも羨望の眼差しを受け、学校では負け知らずだった彼女も、エルシオ様の前では単なる小娘の端くれだった。そこには、月とすっぽん、神と赤子くらいの差異があったのだ。


 流石はエルシオ様だ……というか、存在そのものがチートすぎて、人類が挑めるような相手ではなかった。

 

 彼は、愛からすぐに再び私へと視線を戻し、首を傾げた。


「鈴子よ。この者は、お前の家族であろうか?」

「あ、ああっ。そ、そそそそそそそ、そうであります!」


 驚きすぎて、心臓が飛び跳ねる。唇が震えすぎて、まともに言葉を発せない。


 今、私は、他でもないあのエルシオ様とお話しているんだよね……? 


 これは、もうすぐ死ぬ予兆だったりするのだろうか? それならそれで、今この瞬間に、もうこの世に思い残すことはなに一つなくなった。終わりよければ全てよしとは正にこのことだ! 最後の最後で、この身には勿体ないほどの眩しい幸福をありがとう、エルシオ様…………!


 尋常でなくアドレナリンを分泌し続ける私の脳。ここまでくると、もはやアドレナリンの過多によって死んでもおかしくないのではないか。


「ふむ。ならば、きちんと挨拶せねばなるまい」  


 いつのまにやら玄関を上がり、靴を履いたまま私の方へと歩み寄ってくるエルシオ様。ここは日本なので、玄関で靴を脱いでくださいねと言う気すら削がれるほどの、尋常でないオーラにびびって圧倒されまくる。


 獅子の前で、為すすべもなく震える草食動物のように身構えていたら……唐突に、肩を抱き寄せられた。


 !?!!!?!?


「私は、エルシオ=ラフネカース=ヴィグレント。ラフネカース王国の第一王子だ。そして、鈴子は、私にとって……何にも代えられない、大事な存在だ」


 自然に回されている彼のしなやかな腕、柑橘類系のさわやかな香り、触れたところから伝わってくる熱、さりげなく投下されたとんでもない爆弾発言


 今にも泡を吹いて倒れそうになっている妹に対してもう一方の私はというと……それ以上正気を保っていられるはずもなく、鮮やかに昇天した。




「んん……あ、あれ……?」

「……ようやく目覚めたか」


 ぼやけている視界は、ぱちぱちと瞬きをするごとにクリアになってゆく。

 何だか妙に、身体の左側面があたたかいような……と疑問に思い、ゆっくりと顔をそちらにむけた時、私の時はぴたりと止まりました。


 座り込んでいるうちに眠ってしまったらしい私が倒れてしまわないように支えになっていたのが――他でもない、エルシオ様だったからでした。


 うわあああああああああああああああああああ!?!!! 


 まるで宇宙に飛翔するロケットのような勢いで心拍数があがってゆく。


 なにが、どうしてこうなったんでしたっけ……?! あああああ、驚きすぎて、記憶すらも吹き飛んでしまいました。

 驚きと羞恥心と申し訳なさとが一気に心の中を吹き荒れて、言葉も出せずに、ただ口をぱくぱくとさせることしかできない。

 エルシオ様は、私が彼の麗しすぎるご尊顔を見つめながら鯉同然に口をパクパクさせているのを見て、おかしそうにルビーの瞳を細めたのでした。


「談話室に訪れたら、ネリが壁にもたれかかって眠り込んでいた。きっと、疲れているのだろうと思って、見守ることにしたのだ」

 

 なんて心臓に良くない見守り方なの……!?


 エルシオ様の純真な無防備さは、時に、凶器と同じくらいに恐ろしいものに思えます。このお方はいつかその無自覚で、私の心臓を突き破って、死に至らしめかねない存在だ。

 未だに言葉を発せずにいる私を見つめる彼の真紅の瞳が段々とすわっていき、ジト目気味になる。なんだか、雲行きが怪しいような……。


「それにしても……さぞかし、幸せな夢を見ていたのだろうな。眠っている間中、ずっと口がゆるみっぱなしだったぞ。一体、何の夢を見ていた」

「えっ! そ、それは」


 先ほどまで見ていた夢の内容があまりにも鮮明に頭に蘇ってきた瞬間、私の顔はものすごい勢いで噴火した。


 あ、あんな妄想を極めたような、恥ずかしい夢を見てしまった自分を殴って殺したい……!! 敬愛する神様に対してあのような不埒な夢を見るなど、下僕として一生の不覚……! もう、いっそのこと、貝になって深い海の底に沈みきって、そのまま一生眠りについてしまいたい…………。

 

 脳内では騒がしく論争を繰り広げながら、頬を熟れた林檎よりも真っ赤に染めて黙りこくる私。そんな私を見て、淋しそうに瞳を床に伏せるエルシオ様。

 わあああ、もう、その顔、ズルすぎます! 反則です!


「……私には言えぬ内容か?」

「い、いえ。ただ……」


 勿論、様々な諸事情により、内容まで事細かに言うことはできない。

 神聖な存在に対して、あまりにも俗っぽい夢を見てしまったという罪悪感は、拭えない。


 それでも、あの夢は……前世の私に見せてあげることができたら、それだけで生き抜いてゆける糧になるような、そういう夢だったと思う。


「ただ?」

「夢でも……エルシオ様とお会いしておりました。私にとってあの夢は……何にも勝る、最高のプレゼントでしたよ」

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