第13話 緋色の過去
その言葉は刃となり、エルシオ様の心臓を滅多刺しにして、血で染め上げました。
彼は呆然としました。
しばらく、お母様が亡くなったという事実を受け入れられませんでした。
こんな時なのに、浮かんでくるのは彼女の優しい微笑ばかり。エルシオ様を甘やかすことをお父様に禁止されながらも、会っている間は無情の愛を降り注いでくれた、唯一無二のお母様。
エルシオ様の心は、彼自身を巣食って壊してしまうのではないかと思える程の強い憎しみで燃え盛りました。
王妃様を死に追いやった、この国が憎い。
お母様が苦しみ悶えながら亡くなった時、繋がれているばかりで何もできなかった無力な自分すらも憎い。
何もかもが、憎らしくて仕方がない。
身を焼き焦がすような、憎悪の炎でした。
その狂おしい程の憎しみを、全てを焼き尽くす現実の炎へと変えてしまう力が、彼にはあったのです。
気づいた時には、エルシオ様の周りをパチパチと火花が爆ぜ始めていました。彼を中心として回り始めた異様な熱を、軍人が不審に思い眉をひそめた時にはもう遅かったのでした。
エルシオ様の周りに火の波が溢れはじめました。
現れた炎は踊るように燃え広がり、一瞬にしてシネカ王国の地下牢を焼き尽くしました。間抜け面でエルシオ様を見つめていた軍人も、眠りこけていた囚人も、例外なく全員焼け死にました。
エルシオ様の憎悪の炎が燃やしたのは、地下牢だけではありませんでした。
地下牢から悪魔のように立ち昇ってきた炎は、民家、教会、店に燃え移り、ひいては城にまで及びました。エルシオ様ご自身は、自分の生み出した炎に触れても熱くなかったらしく、燃え広がる炎の中、紅蓮の灼熱を引き連れて、ただ一人悠然と燃えていくシネカ王国の中を歩いてゆきました。
シネカ王国は、あっという間に焼け滅びました。
砂の国に残ったものは、煙と灰の他、何一つとしてありませんでした。
エルシオ様は自分が焼き滅ぼした国を、空っぽな心で見つめていました。
全てが悪い夢のようでした。
王妃様がこの国で殺されたことも、自分がこの国を焼き滅ぼしたことも。
それは、あまりにも一瞬の出来事だったそうです。
我に返った彼は、涙を流しました。
自分はもう人ではなくなってしまったと。
お母様を殺された。
だからといって、決して許されないことをした。
だって、シネカにもたくさんの罪のない人が住んでいたのに。
それなのに、自分がまとめて全て焼き尽くしてしまった。
エルシオ様は一国を滅ぼしたという罪悪感から、何度も自殺しようとしては、踏みとどまりました。一国を滅ぼしておいてさえ、自殺する勇気すらない自分に吐き気が催しました。
自殺する勇気が無いのならば、せめて飢えて野たれ死のう。そう決意して、シネカ王国の跡地で、震えながら眠りました。日に日に痩せ細っていくエルシオ様が、あともう少しでお亡くなりになるかと思われた一歩手前で、国王様が灰の上で倒れていた彼を見つけ出し、抱きしめたのでした。
それが、十年前に起きたシネカ焼失事件。
ラフネカース王国は、あの語ることすら躊躇われる非劇的な事件以来、ぴたりと平和になりました。
建前としては、隣国との貿易が盛んになり、対外関係も良好になってきているためとされています。しかし、本当はそうではないということを、国民の誰もが知っていました。
その真の理由は、エルシオ様が、紅蓮の悪魔として、その名を王国外にまで轟かせたからなのです。
曰く、ラフネカース王国に攻め込んだが最後、その国は焼失すると。
これが、この国の第一王子、エルシオ=ラフネカース=ヴィグレントの抱える、凄絶すぎる過去です。
彼は今でも、あのおぞましい緋色の過去に繋がれています。
出かけていってから数週間後、シネカ王国からやっとのことでお戻りになったエルシオ様が、身も心もボロボロで、今にも死んでしまいそうだったのを目にした時、私は彼を抱きしめながら泣いたのでした。
その時のことを思い出すと、今でも私は胸が切り裂かれる様な痛みを感じます。
私は、前世からあんなにも敬愛していた彼のために、とうとう何もすることができなかった。
悲しさと悔しさと虚しさがごちゃ混ぜになって渦巻いて、胸が張り裂けそうになる。
苦しくって、眉根を寄せながらうつむきました。
涙があふれて、とまらない。泣いたところで、彼の心の傷が癒えるわけでもないのに。
エルシオ様がそっと長い指を泣きじゃくる私のまぶたに近づけて、滑り続ける涙を一粒掬い取りました。
私の涙にぬれて光る自分の御指を見つめ、ぽつりと一言。
「……ネリは、昔から本当に泣き虫だ」
「だってっ……! エル、シオッ様がっ……」
「うん、分かっている。お前が泣くのは……私が不甲斐ない所為だ」
違う。
私は、彼に襲い掛かる残酷な運命を知っていたのに、結局のところ無能で役立たずだった。生まれ変わってすら誰の役にも立てない自分が腹立たしくて、自己嫌悪でいっぱいになって、悲しみで張り裂けそうになって、そのたびに泣いてしまう。泣いても、何も変わらないのに。
エルシオ様は何も悪くないって伝えたいのに、喉に熱い塊が押し寄せてきて、全然言葉にならない。
彼は何も言えずに喉を詰まらせている私を見て、切なげに視線を落とされました。
「……もうネリが泣かなくてすむように強くなると、決めたばかりだったのに」
「っ」
エルシオ様は、お優しい。
本当は、ご自分が誰よりも辛いはずなのに。
無力で泣くことしかできない私なんかのことを、いつも、あたたかく気遣って下さる。
やっぱり、私の幸せは、目の前のこのお方に幸せを掴んでいただくことだ。
それ以外は、なにも、望まない。
残虐な運命に押しつぶされた彼の御心を抱き上げるのは、運命の恋だけだって痛い程に分かってる。
救いの女神が現れた今は、もうこれまでみたいに、泣いてる場合なんかじゃない。
泣いたって、どうにもならないんだから。
私は、このお方が幸せな恋を掴めるように――――死に物狂いで、頑張るんだ。
あたたかくて寂しい沈黙が私たちを包み込みました。
決意を新たにし、涙でぬれてしまった頬を手でごしごしと拭った時、ふとある疑問が湧いてきました。
「ところで、エルシオ様。どうして私がここで迷っていることをご存じだったのですか?」
「リオンから、お前が裏の森に出かけていったと聞いた。日が暮れた頃、念のために門番に確認をとったら、案の定まだお前が帰ってきた形跡はないという」
なるほど。
もしエルシオ様がここまで迎えに来て下さらなかったら、折角この世界に生まれついたというのに、淋しく森の中で野たれ死んでいたかもしれない。危うく、あまりにも無念すぎるを終焉を迎えるところだった。リオン様には頭がありません。今度談話室にいらっしゃった時には、彼の好物の林檎クッキーを焼いてさしあげなあければ。
ん…………? いや、待てよ。
私は、ある大変な事実に気づいてしまいました。
本来は裏の森で迷子になっていたティア様を迎えにくるはずだったエルシオ様が、間抜けにも迷子になってしまった私のことを迎えにきてくださってしまった。
ということは…………。
「ええと……ここに来る間に、ティア様とすれ違ったりはしなかったのですか?」
「知らぬ。ネリのこと以外は頭になかった」
あっさりと淀みなく言い放たれて、ドキリとしてします。ともすると誤解を生みかねない恐れ多いお言葉に、また顔が熱くなってきました。無自覚そうなところが怖いです。
って、いやいや。
エルシオ様に慈悲をかけていただいて、胸を高鳴らせている場合ではありません。
彼のご様子を鑑みる限り、二人はまだ出逢っていない。
冷や汗が頬を伝ります。
「お、おかしいですね。ティア様はどこへ行かれたのでしょう」
「……やけにあの女のことを気にかけるな」
エルシオ様の表情が、分かりやすく一気に曇った! 見るからに、面白くなさそうな顔をしています。彼女こそが正にエルシオ様を過去の闇から救い出す唯一の希望だというのに、そんなことは露知らず、まるで他人事のような顔です。
私がおろおろと青ざめてゆく中、エルシオ様の赤い瞳は、獲物をロックオンした時の肉食獣のようにすうっと細まってゆきました。
「それは、目の前の私のことよりも、行方の知れぬその女のことを考える方が楽しいということだろうか」
「え、えっ?」
「よりにもよって私の目の前で私以外の者のことを考え出すとは……これまで、甘やかしすぎたようだ。どうやら、まだ調教が足りなかったらしい」
今、とんでもなく物騒なワードが彼の麗しい唇から飛び出た気がするのですが。
「ネリが私のこと以外考えられなくなるよう――」
「私は昔からエルシオ様のことしか考えてません!!!」
というか、ティア様のことを気にかけているのも、元を正せば貴方のためを思ってのことです!! と叫びだしたいのをぐっと呑みこみました。
呼吸困難になるかと思われるほどに胸をドキドキさせながら恐る恐るエルシオ様のご尊顔を伺うと、彼は唇の端だけ吊り上げて不敵に微笑んだのでした。
「今回は、その言葉に免じてくれよう。……さぁ、もう夜も遅い。城に帰ろう」
すっと立ち上がり、迷いなく森の中を突き進んでいくエルシオ様のお背中を見つめながら、私は後悔と幸福のない交ぜになった複雑な気持ちを抱えたまま彼についてゆくのでした。
ああ、どうしよう。
私はどうやら三歳の頃より心待ちにしてきた、ティア様とエルシオ様の感動的な出逢いを完全にぶち壊しにしてしまったようだ。
お二人を結びつけると再決心したは良いものの、初っ端から前途多難すぎます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます