第14話 真夜中の城

 時計の針が一二時を回った頃に、ようやく私とエルシオ様は城門へとたどりつきました。


 城門の門番たちは、こんな時間にやってきた私たちを怪しい闖入者だと勘違いしたのか最初は怪訝な顔つきをしていましたが、ややもしてそれがエルシオ様であることに気づいた瞬間、まるで幽霊でも見たかのように飛び上がって驚き、慌てて開門に取り掛かりました。


 彼らが作業をしながらびくびくと必要以上にエルシオ様の顔色をうかがっているように見えて、胸がちくりと痛みました。彼が第一王子という絶対的な権力者であり、畏れ敬うべき対象であることを差し引いてもあまりにも慄きすぎです。まるで、化け物でも見てしまったかのような青ざめた顔をしています。


 『それが、敬愛する主君に対する態度なのですか?』と皮肉の一言でも言ってやりたいところでしたが、当のエルシオ様ご本人が全く気に障ったご様子でもなく無言を貫かれていましたので、私も口を噤んでいる他ありませんでした。


 しかし、本当はそんな風に扱われることにすっかり慣れきってしまっているという風のエルシオ様を見るにつけても、心が痛むのです。


 あの悲劇的な事件から十年経った今となっても、城内で本当の彼のお優しさを知る者は稀です。あの事件によって深く御心を閉ざしてしまった彼が、普段ほとんど無表情を貫き通していることが主な要因でした。その冴え冴えとした虚ろな無表情が美しい氷像を想起させることから、陰ながらに、氷の王子という異名がついてしまっているという有様でした。


 開閉作業を終えた彼らは、微かに震えながらエルシオ様のご様子をちらちら伺っております。

 一瞥をくれてから彼は特に感慨もなさそうに頷くと、


「門番よ。尋ねたいことがあるのだが」

「は、はいっ! な、ななななんでございましょうか」

「本日、普段見かけない顔の女が王城から出ていくのを見なかったか?」


 ティア様のことだ! 

 エルシオ様なりに気にかけてくださっていたんだ。


 門番たちは早々と記録帳を手に取るや、尋常でないスピードでノートをめくってゆきました。


「その方の外見的特徴は?」

「桃色の髪に、アーモンド色の瞳の、小柄でとても可愛らしい女性です」


 エルシオ様に代わってすかさずこたえると門番は首をひねり、


「今日一日分の記録を遡りましたが、その特徴に当てはまる方がここを通った記録はなされていません」


 と告げたのでした。


 あの裏の森へ赴くには、必ずここを通ることになります。


 ということは、ティア様は本日森には行かなかったようです。少なくとも、今だに彼女があの不気味な森を彷徨っていて、迷子になっているのではないかという心配はなくなりました。


 ほっと胸をなでおろしたのと同時に、別の疑問が浮かび上がってきます。


 森に行かなかったのであれば、彼女は今日一日、一体どこで何をしていたのだろう。ゲームの進行とは明らかに逸れているこの状況に、不安が募ります。 


「ならば、問題ない。手をわずらわせたな」


 城門をくぐり、王城に足を踏み入れた時には、前を歩く彼はすっかり普段の鉄面皮に戻っていました。少し寂しい気持ちになりながら、そんな彼の後を黙ってついていくのでした。


 前を颯爽と行くエルシオ様がご自分の部屋の方に向かわれず、『夜も遅い。部屋まで送ってゆこう』と至極当然のように下々の者が寝泊まりする部屋のある方へ降りていこうとするのを慌てて引き止め、『まさか、エルシオ様をそこまでわずらわせるわけにはいきません! 本日は助けていただいて、本当に深く感謝しております…! それではおやすみなさいませ』と言い残し、猛ダッシュで自分の部屋に帰り着いたのでした。


 何だかものすごく色々なことがあった一日だった。


 手早くパジャマに着替えてベッドに横になった瞬間どっと疲労感と眠気が押し寄せて、瞬く間に眠りの世界へと引きずりこまれたのでした。



 窓辺から漏れる朝日をまぶた越しに感じ、私は飛び起きました。


 眠りの水底から浮かび上がってきたばかりのまどろんでいた意識が段々と覚醒してきた段階で、私は青ざめました。


 結局、昨日、この世界のティア様がどこで何をしていたのかまだ確認できていない!


 この世界の彼女は、あろうことにエルシオ様とまだ出逢ってもいないらしいのです。なんという由々しき事態でしょう。一刻も早く、ティア様にお会いして、事の真相をたしかめねば。



 急いで顔を洗いました。今ではすっかり着慣れた仕事着であるメイド服を身につけ、髪を少し高めの位置でくくって軽く身だしなみを整えれば準備完了です。


 さて。

 一刻も早く、ティア様の下に急がなければ!


 支度を終えた私は早足で、王城の食堂へと向かいました。ティア様の為に特別に拵えられた特製朝食プレートをカウンターで受け取り、彼女の部屋の前へ。


 私は控えめにその扉を叩きました。


「ティア様、ネリでございます。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」

「おはよう、ネリさん。大丈夫ですよ」


 扉を開くと、ティア様はベッドの上にお行儀よく腰かけていました。

 本日の彼女は、白いブラウスに、長めの丈の深緑色のスカートを身につけておられます。シンプルながらに、上品さもにじみでていてそこはかとなく素敵です。美人さんは、どんな格好もお似合いで羨ましい限りです。


 ティア様は私が片手に持っていた、ベーコンエッグとクロワッサンと果物入りのヨーグルトに目を止めて、アーモンド色の瞳をしばたかせました。長い睫毛がぱちぱちと音を立てそうです。


「ネリさん、わざわざ朝食を持ってきてくれたんですね! ありがとう」


 にっこり。


 女の私ですらうっかりときめいてしまう、尋常でない可愛らしさです。彼女のあまりの可憐さに気圧されて、しどろもどろになってしまいます。


「ティ、ティア様は、この城の大事なお客様なのですから、このくらいは当然なのです。それはそれとティア様、私に敬語を使う必要はございません。お気軽にネリとお呼びください」

「そう? それじゃあ、ネリって呼ばせてもらうね」


 屈託のない、眩しい笑顔。

 これが少女漫画だったら、今間違いなく、彼女の背景にはお花が舞い散っています。


 あまりの彼女の可憐さにぽーっとあてられたようになりながら、ベッドの脇にそえられた小さな机に、朝食のプレートを載せました。ティア様は小動物のように目を輝かせると、お腹がすいていたのかあっという間にぺろりと平らげてしまいました。


「ティア様、意外にも食べるのがお早いですね」

「えっ! べ、別に、食い意地が張ってるわけじゃないんだよ?」


 頬をほんのりと薔薇色に染めて、あわあわ手を振りながら言い訳をするティア様の可愛らしさは国宝級です。やっぱり、こんなの恋に落ちないわけがない。


 ネリもそんなところに立っていないでここに座ってよ、と彼女に隣に座るように促されて、恐れ多くも彼女の隣に腰かけました。


 そういえば、私は彼女に聞かなければならないことがあって急いでここにやってきたのでした。ティア様が可愛らしすぎて、危うく本題に入りそびれるところだった。


「それはそうと、ティア様! 昨日はどこで何をなされていたのですか」


 意気込むあまり、若干鼻息が荒くなってしまった気がします。

 彼女は私の勢いに少し尻込みしつつ、思案するようにして指を苺の唇にあてました。


「昨日? 昨日はね……音楽室に、行っていたよ」


 音楽室。


 その単語に、耳がピクリと反応します。


 ステンドグラスを通して入ってくる、虹色の光に照らされるそのお部屋の真ん中には、光沢のある一台のグランドピアノが置かれています。


 まだ幼かった頃に何度かそのピアノの鍵盤に触れさせてもらったことがあるのですが、とても重くて中々沈まなかったのをよく覚えています。どうにか鍵盤をきちんと押さえられたとき、素人の耳でもそうと分かる艶のある音が放たれて、ぼうっとなってしまいました。流石は、一流の職人が手をかけて作成したグランドピアノ。


「そこでね、彼に会ったよ」


 ティア様は、その時のことを思い浮かべるように、まぶたを閉じました。


 この先の展開が、読めてしまいました。


 だって、何を隠そう、その特別なピアノは、他でもない彼のために作られた物。


「……シャルロ様と、会われたのですね」


 あの浮ついた第二王子、シャルロ=ラフネカース=ヴィグレント様の為に。

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