第15話 軌道修正
私の漏らした言葉にこくりと頷いた彼女は、夢見る少女のような瞳で、その時のことを語り始めました。
「城内を散歩していた時にね、どこからともなく聞こえてきた哀愁の漂う音色にドキっとした。素敵な音色に導かれて、そのまま部屋の扉を開いたんだよ」
彼女の語るその内容を、私はあまりにも緻密に想像できました。
だってそれはゲームにおける、ティアとシャルロの出逢いのシーンそのものでしたから。
ゲームでも、不思議な哀しさに満ちた美しい音色に誘われたティアは、その部屋の扉を開くのです。
ステンドグラスから差し込む七色の光のこぼれる、神聖なそのお部屋。
その真ん中に置かれた重厚感のあるピアノを奏でている人物こそが、シャルロなのです。
時折、サラサラの銀の髪を揺らしながら、紫水晶の瞳を伏せて、白魚の指から魔法のような音色を紡ぎだすその姿には、厳かな神聖さすらあります。
まるで魂を捧げているかのように真剣にピアノに向かう彼は、最初、部屋に入ってきたティアに全く気付くことなく、ピアノを弾き続けています。そして、ティアもすっかりその音色に聴き入り、ぼうっと彼の姿に見入ってしまうのです。
一曲弾き終えた彼は、ようやくティアが部屋の隅でこっそりと自分の演奏を聴いていたことに気が付きます。
その瞬間に彼はピアノを弾いていた手を止め、長い足でつかつかと彼女の方へと歩み寄ります。そして、流れるような自然な動作で彼女の顎をそっと持ち上げて、悠然と微笑むのです。
『君、初めて見る顔だけどとても可愛いね。僕の演奏を気に入ってくれたの?』
『さ、触らないでください!』
対するティアは瞬時に彼から距離を取ると、毛を逆立てた猫のようにシャルロに対して警戒心をむき出しにします。
よく考えなくとも彼女の行動は初対面の男性にいきなり直に素肌を触れられた女性の反応として限りなく正しいものなのですが、これまでの人生においてかなりの大胆な行動も全て許されてきた彼にとって、ティアの取ったその行動は理解の域を超えていました。
『えっ』
『軽薄なことをする人は嫌いです』
ツンと顔を背けたティアは、石のように固まってしまったシャルロを残して颯爽と部屋を出ていきます。
シャルロはメドューサに睨まれたように、その場にコチコチに固まってしまいます。
今、まさか、あの女は…………こともあろうにこの自分を、ち、痴漢扱いしたのか? これまで落とせなかった女など存在しない、この僕のことを。
そんなのありえない。絶対にあってはいけない。これはきっと何かの間違いだ。
そのことを、なんとしてでも証明しなければならない……!
と、彼が心に固く誓うところまでが、ゲームにおけるティアとシャルロの出逢いです。
「シャルロ様は……なんというか、とても、女性慣れしていそうなお方だね」
ティア様はお優しいので言葉を選んでいるようですが、あの行為を女性慣れなどという生易しい言葉で表現することにはそこはかとなく抵抗感があります。あれは完全に女性慣れの域を超えています。本人もうっすらと自覚しているようにほとんど痴漢に相違ないです。
「ええ、彼の根無し草加減は天下一品ですよ。それに比べてエルシオ様は誰よりも一途で――」
「うん……。でもね、ピアノを弾いていたシャルロ様の姿が……なんだか、頭に焼き付いていて離れないの」
私の言葉を遮り、ぼんやりと呟いた彼女は昨日のことを大事に思い返すように目を伏せたのでした。
……たしかに、彼女が言わんとしていることも、分からなくもありません。
シャルロ様のピアノの才能は、本物です。三人の王子様方の中でもずば抜けています。
神は彼に二つの才能をもたらしたようです。
一つは、女たらし。
そしてもう一つが、ピアノの才能。
ピアノを弾いているシャルロ様は、音楽の天使そのものといっても過言ではありません。
彼の手は、磨き上げた宝石のように虹色に輝く音の数々を、これ以上はないという最高の形で魔法のように配列してゆく。
彼が真剣にピアノを弾いている時だけは、不覚にもあの浮ついたシャルロ様に心奪われてしまいそうになります。もっとも、私の心臓は、敬愛するエルシオ様に捧げているものですが。
「た、たしかにピアノを弾くシャルロ様は魅力的ですが……それはあくまでも、ピアノを弾いている時だけではないでしょうか?」
なんだかシャルロ様の悪口を言っているみたいになってしまいました。申し訳ございません、シャルロ様。ネリはもちろん貴方様の魅力も重々存じていますが、緊急事態故、致し方のないことなのです。
しかし、ティア様は私の必死の第二王子ディスリにも屈しませんでした。
「……ううん。私は、皆が彼に惹かれてしまう気持ち、ちょっと分かるな」
彼女が視線を床に落としてぽつりとつぶやいた瞬間、頭に金盥を落とされたような衝撃が走りました。
ゲームの展開と全然違う! どうなっているんですか!?
てっきりティア様はあの浮つき王子に平手打ちの一つでもくらわして、颯爽と部屋を出て行ったのかとばかり思っていました。
ところがこの様子では彼のちゃらちゃらした態度に嫌悪感を抱いているどころか、むしろ、好意を抱いてしまっている!
なんという重大なシステムエラーだ。
これは、非常にマズイ展開です。
昨日、エルシオ様が迷子になった私を迎えに来てくださったこととも関係があるのかもしれない……となると、私にも責任の一端があるのかもしれません。死にたい。
あぁ、彼女がエルシオ様と出逢ってさえくれれば、ちゃらシャルロ様のことなんぞ一瞬にして忘れて、エルシオ様に心奪われてしまうこと間違いなしなのに。
そうだ。
出逢ってさえくれれば良いのだ。
頭に、ふと名案が浮かびあがりました。
「話は変わりますが、ティア様。本日の夕刻はお忙しいでしょうか?」
「えっ? 特に用事はないけれど」
「是非、庭園に赴いてみてください。王宮の庭師が毎日手入れしているので、中々に見ごたえがありますよ。黄昏時は、特に美しいのです」
彼女はきょとんと首を傾げながら、「ネリがそう言うなら行ってみるよ」と朗らかに笑ったのでした。やはり、彼女はお豆腐のようにぴゅあで真っ白なお心の持ち主です。
ややもして、ティア様がこれから研究室に赴き、薬草の調合をするというので、お邪魔にならないように部屋を退散しました。
廊下を歩きながら、先ほど思いついた計画に思いを馳せて、私の口角は自然と吊り上がります。
つまり、エルシオ様とティア様が出逢えなかったというのなら、出逢ってもらえばよいのです。
たしか、エルシオ様は、本日はあまりお忙しくないと仰っていました。彼の些細な一言一句すらも、私はもちろん聞き逃さずにきちんと記憶しているのです。
ゲームのあの名シーンの再現とまではいかなくても、黄昏時の庭園で出逢うなんて、中々にロマンティックではありませんか。自分で思いついたことながら、あまりの妙案ににやけてしまいます。
そうと決まれば、なんとしてでもエルシオ様に、黄昏時の庭園に向かってもらわねば。
善は急げ。
というわけで、私は早速エルシオ様専属の侍従であるヨルン君を探し始めました。
ヨルン君は私よりも二つほど年下ですが、立派に王子様の侍従を務めています。彼のことを考えていたら、ちょうどはからったように向こうの角から現れてきました。ラッキーです。
「ヨルン君!」
「ああ、ネリさんですか。相変わらずお元気そうですね」
私に気づくと、にっこりと微笑んでくれました。
彼って、どことなく子犬っぽいです。
「会って早々なのですが、実はヨルン君にお願いしたいことがあるのです」
ぱたぱたと駆け寄っていって、前のめり気味になって言うと、ヨルン君は肩をすくめて言いました。やれやれとでも言いたげな顔つきです。
「はいはい。どうせエルシオ様は今どこで何をしているのか、とかそんなところでしょう?」
「うぐ。まぁ、たしかに、エルシオ様に関することではありますけれども……」
もじもじと声がすぼまっていく私を見ると、彼は淀みなくエルシオ様の本日のご予定を語り始めました。
「今は、臥している国王様に代わって引き受けている政務に取り掛かっておられます。それが昼過ぎま続き、その後は海の向こうの国からいらっしゃっている国王ご夫妻との会食です。その後は、社交ダンスの稽古で、それから……」
「ストーーップ! いつも思っていたことなのですが、侍従がそんなにも簡単にお仕えする主様のご予定をぺらぺらと話してしまって良いものなのですか!」
ヨルン君はきょとんとして、口を止めました。
これまで散々彼のご予定を話すようにせがんできた私が何を今更、とでもいいたげな顔つきです。たしかにそう言われてしまってはぐうの音も出ません。
「もちろん僕も、誰にでも主様のご予定を話したりはしませんよ。ネリさんには話しても問題ないと主様から許可をいただいておりますので」
なにか含みのある物言いです。私だからってどういうことでしょう。
長年のたゆむことのない努力が実り、ついにエルシオ様は私のストーカー行為の拒否を諦めたのでしょうか。それはそれで彼の危機管理能力が心配だ……! たしかに私が何か国を揺るがす大層な悪事を働くわけもなければ、そもそも働ける頭もないので、問題ないといえばないのでしょうが。
私は首を傾げながら、答えました。
「エルシオ様がお忙しいのは、聞くまでもなく分かっております。しかし、ヨルン君。そんな彼にも、本日の夕刻は少しお時間があると伺っているのですが」
「流石はネリさん。ボクに聞かずとも分かっているじゃないですか」
「ええ。そこで、ヨルン君に言伝をお願いしたいのです」
「言伝?」
「彼に、本日の夕暮れ時に、庭園に向かうようにお伝えください。必ず、お一人で」
意気込んで胸の前で拳をぎゅっとにぎりしめる私に、彼はどこか投げやりな表情を浮かべておりました。どうしてそんな面倒くさいことを言いだしたのか、と顔に書いてあります。
むっとしました。
人が一生懸命、あなたの敬愛する主様を幸福の道へと導こうとしているというのに、その顔はなんなんですか。
「どうしてそんなあからさまに面倒くさそうな顔をするんですか」
「はぁ。なんでボクが二人の茶番に付き合わなきゃいけないんですか。デートのお誘いなら、わざわざボクをだしに使わないでも、自ら正々堂々とお誘いしたらよいでしょう。その方が主様も喜ばれますよ」
デート…………!?
ヨルン君の投げやりに放たれたその言葉は、私の心臓をものすごい勢いで締め上げました。
開いた口が塞がりません。
顔にどんどん熱気が集まっていき、呼吸が苦しい。
ヨルン君が、何故だかわからないけれども、とんでもない勘違いをしている!?
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