第27話 彼と歩いた城下町
彼はお忍びで城から抜け出たことが万が一にもバれたら後々面倒なことになると、白いニット帽を目深にかぶり、赤い絹のマフラーを口元まで巻き上げたのでした。
彼のトレードマークであるふわふわの金の髪と、切れ長の紅の瞳はすっかり覆い隠されており、この様相であれば私レベルのエルシオ様のストーカーでもない限り彼であると気づかれることはないと判断し、こっそりと秘密の裏口を使って二人で城から抜け出たのでした。
雪が降りしきり、一面銀世界となった城下町を、いつもよりもずうっとドキドキしながら彼と歩いたものでした。隣には他でもないエルシオ様が歩いていらっしゃって、ただのちょっとしたお買い物にすぎないのだと分かっていても、いつになく緊張したのでした。
幼かったあの頃はまだ、城内ではよく隣を歩かせていただいていたものの、城の外をあのように一緒に歩いたのはあの時が初めてだったのではないでしょうか。
道行く人々に彼がエルシオ様であることがバレてしまうのではないかという不安は拭いきれませんでしたが、帽子からたまにのぞく彼の瞳にいつになく生気が宿っているように感じられて、ぽかぽかと心が和んだのでした。
彼の口数は相変わらず多いとは言えなかったのですが、その日はいつになく優しい表情をなさり雪に染め上げられて様変わりした城下町をきょろきょろと見渡していらっしゃって、それを見るにつけてもうるさく小言を言う気もそがれてしまい、ただあたたかくて柔らかい気持ちになるのでした。
私たちはまず第一に目的の品を手に入れるため、お砂糖専門店に入りました。そのお店は世界各国のあらゆるお砂糖を取り扱っている珍しい専門店で、一般的によく使用される白砂糖から、虹色に輝く味の想像が全くつかないような代物まで並んでいるのでした。
エルシオ様はまるで魂ごと奪われてしまったかのように、一つ一つのお砂糖にぼうっと見入っていました。その時の彼の瞳は、星のようにきらめいていて、頬もうっすら赤らんでおりました。言葉には出さずとも、全身からあまーいお砂糖が大好きだという気持があふれ出てとまらないといった感じで、見ているこっちまで朗らかな気持ちになったものでした。当時八歳だった私はティア様がいらっしゃるまでの間のエルシオ様の心の支えは甘いものなのだと心に刻み込んだのでした。
ひとしきりお店中を眺めまわして悩みに悩んだ挙句彼が選んだお砂糖は、シンプルな白い粉砂糖でした。『折角のお忍びでのお出かけなのですし、記念に気になった商品は全て購入なさっても良いのでは?』と申したところ、『そんなことをしたら、この店の商品がなくなってしまう……』と困ったようにしょんぼりされていたのでした。可愛すぎて萌え禿た。
私がごく自然な成り行きでその商品を購入しようとしたところ、エルシオ様は私を制して自分で買ってみたいと言い出したのでした。
あの時は本当に驚きましたし、すごく焦りましたが、他でもないエルシオ様のお望みを踏みにじることなどこの私にできるわけもなく、私は後ろから固唾を呑んで彼の会計を見守る他選択肢がないのでした。
結論から申し上げると、正真正銘の生粋の王子様に、庶民の買い物の仕方など分かるわけもありませんでした。
エルシオ様が腰につけた金貨袋から、適当に金貨を一枚無造作に選んで店主に渡した瞬間、私は青ざめました。
店員さんはぎょっとして、その金貨を穴の開くほどに見つめました。
無理もありません。その金貨一枚にはそのお店の品を全て買ってもお釣りがくる程の価値があったのですから。それを、こんな年端もゆかない少年が事もなげに差し出すなど、もはや訝しんでほしいと言っているに等しいようなものでした。
『お、お客様…………恐れ入りますが、これ程の額となりますと、お釣りを用意できないのですが……』
『そうか。ならば、釣りは要らぬ』
いや、その台詞だけ切り取ると恰好良さげだけど、この場面でそれはまずすぎる!
仰天したこの店員さんが人々にこの話を触れ回った結果、瞬く間にお城にまでこの話が届き、国王様にお忍びで城を出たことがばれてしまう未来まで見えた私は青ざめ、すかさず彼らの間に飛び込みました。流れるような動作で自分のポケットに入っていた銅貨を取りだし、店員さんに差し出すと、商品を左手に、右手でエルシオ様の手を掴んで逃げるようにお店を出てきたのでした。
専門店からだいぶ離れたところで、やっと歩調を緩めて、一息ついたのでした。
はぁはぁと吐くごとに白く凍えていく息を見つめ、息を整えました。落ち着いてからエルシオ様にむきなおると、彼は酷くばつが悪そうな顔をされていました。
『……無理を言って、すまなかった』
『べつに、謝られるほどのことではありませんが……どうして、自らお買い物をしてみようなどと思われたのですか?』
『私も、体験してみたかったのだ。お前の……いや、お前たちの生活を』
『エルシオ様……』
その立派な御志に感動し、心の中ではむせび泣きまくったものです。
エルシオ様は将来必ずや立派な国王様になられると、あらためて確信したのでした。
それから、彼と城下町の色々なお店を見て回りました。
エルシオ様はどのお店も物珍しげに眺めては、頬を淡く上気させていました。あの事件が彼の心を粉々に砕いてからというもののエルシオ様のことが心配でたまらなかったので、再び楽しそうなお姿を拝見することができたあの日は、私にとって忘れられない特別な時間になったのでした。
楽しい時間というものはすぐに過ぎてしまうもので、あの日もあっというまに日が暮れてしまったのでした。もう少ししたら夜ご飯の時間だったので、本来であればそろそろ城に帰らなければならない頃だったのですが、私たち二人はお互いともに城に帰ろうと切り出さなかったのでした。あのきらきらとした楽しい時間が終わってしまうことは、少なくとも私にとってはとても心淋しいことでした。
そろそろ帰らなくてはならない頃だと考えてうつむき気味になった時、隣を歩いていたエルシオ様が急に足を止めたので何事かと思って振り返れば、その瞳はいつになく焦点があっていなくて、若干潤んでいたのでした。
『…………熱い』
その華奢なお身体が急にふらりとよろめいた時、血の気が引きました。
エルシオ様を何にかえてもお守りするという脳髄に刻み込まれた信念によって私は咄嗟に彼の身体を支えられたのですが、そうでもしなかったらエルシオ様はそのまま雪の中に倒れこんでしまっていたと思います。
支えた彼の身体がまるで熱の塊に触れたみたいに熱くって、私は唖然としたのでした。
『酷い熱じゃないですか! どうしてこんなになるまで何もおっしゃらなかったのですか!?』
彼のお身体を心配するあまり少し強い口調になってしまった私に、彼は私にもたれながら、拗ねたように小さな声で言うのでした。
『…………熱があるとばれたら、城に引き戻されるだろう』
あっ。
エルシオ様も、まだお城に帰りたくないと考えていてくださったんだ……どうしよう、幸福過ぎて死んじゃいそう。
そのお気持ちは、私なんかには勿体なさ過ぎるほどに嬉しい。しかし、何よりもエルシオ様のご体調が最優先だ。ここは彼の身を慮り、心を鬼にしなくては……! 私は瞳の端を吊り上げました。
『早くお城に帰って、お医者様に診てもらわなくてはダメですよ!』
『……帰りたくない』
『ええっ!』
『…………まだ、ネリと、こうして一緒にいたい……っ。お願い、だからっ』
!?
熱で頭がぼうっとして弱気になっているせいなのか、いつになくエルシオ様が甘えんぼうになっている……!
力なく私の服の裾を掴み、寒さのせいか熱のせいか赤く染まったお顔で、潤んでいるような瞳で彼にそんな風に懇願されて、それ以上私が反論できるわけがありませんでした。
いつもの不遜な彼とのギャップが凄まじすぎて、あんな非常時だったというのに私は心臓を乱れ撃ちにされまくりでした。不埒にも、ドキドキが止まらず、鼻血が垂れているのではないかと心配になってそっと鼻に手をやったほどでした。
内心では心臓を撃ち抜かれ過ぎて多量出血の大騒動になっていたものの、外面はなんとかポーカーフェイスを保ち、エルシオ様に寄り添いながら、そこから一番近くの宿屋さんに入っていったのでした。
お部屋に入れてもらい、すぐにエルシオ様にはあたたかいベッドの上に横たわっていただきました。彼は温かいベッドの中に入るや否や、糸が切れたようにすぐに眠りにつかれたのでした。その時、その小さな身体に予想以上の負担がかかっていたことに初めて気づいたのでした。胸が痛くなるとともに、それだけ無理をしてでも楽しもうとしてくれたことが嬉しくて、じんわりと心が温まったのでした。
エルシオ様が眠りについたのを見届けて、私は彼から預かった硬貨袋を手に取り、急いで薬屋に向かったのでした。それはもう、息を切らして、全力で必死で走りました。
薬屋に到着するや否や店員さんに突進していきました。旋風の巻きあがりそうな勢いで突然現れた私を、店員さんは珍妙な生き物を見るような目つきで訝しむように見ていました。そこで、エステルが欲しいとすかさず申したのです。
エステルとは、ものすごく高価だけれども良く効くと評判の高熱薬なのでした。
最初はこんなに貧しそうなみすぼらしい娘が最高級の高熱薬を購入できるほどの大金を持っているわけがないとタカをくくられそうになりましたが、エルシオ様から受け取った硬貨袋から大きな金貨を一枚突きつけて『お釣りはいりませんから!』と口にした瞬間、店員さんは震えながらエステルの入った小瓶を差し出したのでした。
私が薬を手に急いで宿屋に戻ると、エルシオ様はお身体を起こして不安そうなお顔できょろきょろとされていました。
『…………置き去りにされたのかと思った』
『私がエルシオ様を置き去りにするなど、たとえ命を散らすことになろうともありえませんよ』
彼はぼんやりと私を見ながら、柔らかく微笑んだのでした。その微笑があまりにも眩しすぎて、鮮烈すぎたがゆえに本気で目が眩むかと思いました。
私はすぐさま彼のお傍にかけつけてしゃがむと、つい先ほど購入した琥珀の液体の入った瓶を差し出したのでした。
『薬を、手に入れてきたのです』
その小瓶に波打つ琥珀色の液体をみとめた瞬間、彼はハッと息を呑んだのでした。
次に彼が浮かべていたのは、私がそれまで見たこともないほどに、あからさま過ぎる程に嫌そうな表情でした。あの時は、本当にぎょっとしたものです。
彼はごくりとつばを飲み込み、震える指で瓶を指差したのでした。
『それは…………もしかしなくとも、エステルか?』
『はい。高熱によく効くと名高い特効薬です』
彼はそれきり力なく腕を落とすと、難しい顔で黙り込んでしまったのでした。
『エルシオ様。さぁ、お飲みくださいませ』
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