第17話 暴走
今や日はすっかり暮れて、白銀の月光がラフネカース城の大理石の壁を銀色に輝かせておりました。
本日も一日が終わろうとしています。
エルシオ様とティア様はどのような出逢いをなされたのでしょうか。
夕日に染め上げられた庭園は息を呑む美しさなので、ゲーム程のクオリティは保障できないにせよ、それなりに感動的な出逢いを演出できたかと思います。
私はシャルロ様と分かれた後、しばしの間、談話室で一人きりで過ごしました。
エルシオ様が会食中にフォークを取り落とされたという話を聞いてからというものの、彼のことが心配でたまらなくて、どうにも気分が沈んでしまいます。本当なら、今すぐにでもお会いして話をお聞きしたいところなのですが……今日も今日とて、エルシオ様のご予定は詰まりに詰まっていらっしゃる。一メイドに過ぎぬ私のために時間を割くことができぬのは百も承知済みです。もう子供のふりもできませんし、できぬ相談は致しません。
それに、一日遅れてしまったけれども、これから彼はようやくティア様と逢うことができる。
彼女との出逢いが、エルシオ様に巣食っている何か悪いものを解き放ってくれるかもしれない。
暮れなずんできた頃、本当は庭園まで二人の出逢いを覗きに行きたい気持ちはやまやまでしたが、無難にやめておくことにしました。もし仮にも覗きがバレて、折角出逢うことのできた二人の雰囲気をぶち壊すようなことがあったらもう二度とエルシオ様に顔向けできません。
もう、同じ轍は踏めないのです。
そうはいっても何もしていないと気になって仕方がなくなり、足が勝手に庭園へと向かいかねない。そのため、あえて庭園から離れた馬小屋まで足を運び、お腹をすかせてへばっている馬たちに餌をやりにきたのです。
餌に群がる馬たちの鼻をなでながら、ぼうっと考えておりました。
お二人はどのような会話をなされたのでしょうか。
エルシオ様はゲームと同じように、あの見る者を凍えさせるような無表情を浮かべていたのでしょうか。そして、ティア様はそんな彼におびえつつも、その目も醒めるような麗しさから目が離せなかったのでしょうか。
なにはともあれ、出逢ってさえしまえば、ティア様は徐々に、底なし沼のように深いエルシオ様の魅力に引きずり込まれてゆくことでしょう。目には見えなくとも、お二人は運命の赤い糸で結ばれているのですから。
そんなことを悶々と考えている内に、視界が揺らいできてハッとしました。目の前の馬の黒目がちのつぶらな瞳には、頬を涙で濡らした私が映っていてぎょっとしました。
これはきっと、エルシオ様が幸福への道を歩まれ始めたことへの感涙に違いない。
まだ出逢ったばかりだというのにこの始末では、エルシオ様がティア様に愛を告げるその瞬間、私はどれだけ泣くことでしょう。きっと体中の水分がなくなっちゃいます。
そんなことまで想像して、思わず苦笑しました。
急に泣き始めた私を哀れにおもったのか、濁りの無い瞳でじいっと私のことを見つめている馬の顎をなでました。その後、袖で顔を拭い、お城に帰りました。馬小屋で服と髪に染みついてしまった臭いを取るべく熱いシャワーを浴びてから着替え、食堂で食事を取ってから、お部屋に帰って眠りにつきました。
翌日。
朝食を持ってノックをしてからドアを開くと、ベッドに腰かけたティア様が眉間にしわを寄せて「うーん」と可愛らしくうなっておりました。
「ティア様……?」
恐る恐る声をかけると、彼女はやっと私に気づいたようでした。
「あっ、ネリ! おはよう」
いつものように、やわらかく微笑みかけてくださいました。
先ほどまで随分と浮かない顔をされていましたが、何を考えていらっしゃったでしょうか。
「昨日ね、第一王子のエルシオ様に、お会いしたよ」
胸がどきりと高鳴りました。
「城下町にいた頃から、彼の噂は伺っていたから、正直お会いするまで少し怖かったけど……」
彼女の顔に陰りが差したのを見て、すぐに彼女はエルシオ様の過去のことを言っているのだと分かりました。
しかし、怖かったけど、という逆説がきたということは……。
「実際、死ぬほど怖い人だったよ。本気で殺されるかと思った」
「ごふっ!?」
盛大にむせました。
エルシオ様!? 貴方一体何をされたのですか!?
咳き込んだ私を不思議そうに見やりながら、彼女は話をつづけました。
「でもね、噂から想像していたような人とは、全然違った」
耳がぴくりと反応しました。
「彼はすごく焦った様子で、誰かを探している様だった。それから私を視界にいれるなり、睨むような目つきをして『……お前が、かの薬草師か』って」
ティア様は獅子に睨まれた子鼠のごとく、震えながらこくりとうなずいたそうです。
それから彼女語った話は、こういうものでした。
肩上あたりまで伸びた夕日に燃える金の髪と、鮮血よりも紅い真紅の瞳を持つその人。その並々ならぬ圧倒的な存在感に、彼女はすぐに彼が噂に聞いていたあのエルシオ様であることを悟りました。
『き、昨日から、お城でお世話になっております、ティア=ファーニセスと申します。貴方が、第一王子のエルシオ様ですね』
ティア様は慌ててお辞儀したそうですが、それでも彼の、彼女を刺し殺しかねない鋭い視線が解かれることはありません。
『私が何者であろうと、お前には関係ない。それよりも、何故お前はここにいる』
『えっと、ネリというメイドさんが、夕刻の庭園は綺麗だから是非行ってみてくださいって教えてくれたんです』
『っ…………』
彼はそれきり眉間にしわを寄せて、哀しげにうつむいたとのだといいます。
二人の間に息の詰まるような沈黙が落ちる様を、私は鮮やかに思い描けました。
ティア様はどうしたら良いものかわからず困惑したまま、恐る恐る彼に尋ねたそうです。
『あなたはここに、誰かを探しに来たのですか?』
『……ああ。しかし……もしかすると私は今まで……恐ろしい思い違いをしていたのかもしれない』
うわごとのようにつぶやいた後、もう一度彼がその陶器の顔をあげた時には、真紅の瞳がさきほどまでとは比べ物にならない程、濃い赤色になっていました。
燃える夕日よりも、遥かに紅く濡れた彼の瞳。
彼女は、その鋭い視線にねめつけられた瞬間、本能的に命の危機を察したそうです。
『……酷く勝手な話だが、これ以上お前を見ていたら、焼き殺してしまうかも分からない。燃えたくなければ、さっさと私の前から消えろ』
彼は本気だと、ティア様は瞬時に悟りました。
そうして、逃げるようにして城に戻ってきたのだそうです。
ティア様が語り終える頃、私の背中には汗が滝のようにしたたり落ち、心臓が嫌というほどに高鳴っていました。
本気で殺されるかと思ったって……話を聞く限りでは、比喩でもなんでもなくて、
シャルロ様から伺ったあの会食のお話もそうでしたが、昨日から、エルシオ様のご様子が明らかにおかしい。ティア様のお話を鵜呑みにするならば、狂気の沙汰です。
エルシオ様に、一体何が起こっているというのか。
ぎゅっと締め上げられたように胸が痛くなりました。
ティア様は、その時のエルシオ様のことを思いだすように瞳を閉じました。
「噂では、感情の欠片も見せないビスクドールそのもののようなお方だと伺っていた。でも、実際に会ってみたら、どうしてそんな噂が触れ回っているのか不思議に思えたな。本当の彼は、火のように熱い心を持っているのではないかな」
彼女の透き通った声が、すっと染みわたるように心に響きました。
流石はティア様。
世間に蔓延ってしまった噂にとらわれることなく、最初からエルシオ様の本質を見抜いていらっしゃる。
彼女の聖女さながらに清く聡い心ならば、そんな恐ろしすぎる初対面をも乗り越えて、エルシオ様の良い部分にも目を向けてくれるのではないか。
うっすらと浮上した淡い希望の欠片は、次の一言によって、木端微塵に粉砕されました。
「まぁ、まだ死にたくはないから、当分彼には近づかないように気を付けることにするけどね」
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