後日談② 狂気的な愛、後、心変わり?Ⅲ

 大粒の涙をぼろぼろと零しながら、息も切れ切れにどうにか事の次第を語り終えると、話を聞いたリオン様は「あー……最近、エル兄の機嫌がすこぶる悪かったのは、そのせいか」とぼやきました。


 それから、部屋の隅でうずくまる私をのぞき込むように屈まれました。

 

 初夏を思わせる瑞々しい緑葉を閉じ込めたような澄んだ瞳が、弱っている私を心配そうに見つめている。彼は、以前に慰めてくれた時と同じようにすっと手を伸ばして私の頭に手を載せようとしたけれど、その直前で躊躇うように引っ込めてしまいました。


 あれ? と首を傾げた私に、リオン様は困ったように微笑みました。


「ごめん。昔からの癖で、泣いているネリを見るとつい頭を撫でたくなっちゃうんだけど……もう、こういうのは、あんまり良くないよね」


 行き場を失くした手を力なく見つめるリオン様に、ここ一週間のエルシオ様のつれない態度で弱り果てていた心が疼いて仕方なくなって。


 どうしようもない淋しさに感染した私は、気づけば逃げていった彼の手を縋るように掴んでいました。


「ネリ……っ?」

「……さみ、しいです」

「あ、の……さっきの僕の話、聞いてた?」

 

 おろおろとしながら徐々に白い頬に朱色を滲ませていくリオン様を見ていたら、また涙が零れてきて視界がぐらりと歪みました。


「リオン様は……やっぱり、おやさしいですね」

「へ?」

「本当は真相をご存じだけれども、私の為を思って隠しているんでしょう? もう、良いんですよ。あのお方の態度で、なんとなく察してしまいましたから」



 一週間前、エルシオ様はそれまでの甘やかしぶりが嘘だったかのように、無慈悲になられました。


 一体何が悪かったのだろうかとぐるぐる思い悩んだ末……なんと、明確に思い当たる節が一つだけあったのです。


 それは、エルシオ様から冷たく突き放された数日前のこと。


 エルシオ様たち王子様方は、古くから王家との親交が深い有数の貴族であるフィーユ家主催の舞踏会に招かれて、お城を留守にしました。


 それまで散々エルシオ様から砂糖漬けにされていた私は、たかだか数日間でも彼がお城を出て行かれて離れ離れになることが辛くて、内心では死ぬほどショックを受けていました。


 しかし、当然のことながら、私の個人的な我儘で引き留めるわけにはいきません。お見送りする際には、『私のことは欠片ほどもお気になさらず、楽しんできてくださいませ……!』と無理に笑顔を繕いました。そうしたらエルシオ様が痛ましげに瞳を伏せながら『ネリは……私と離れて、淋しくないのか?』としょんぼりなさったので、ぎゅーっと心臓を締め上げられて危うく本音を漏らしそうになりましたが、ぐっと呑み込んで『大丈夫ですからっ!』とその背中をぐいぐい押したのでした。


 しかし、送り出したすぐ後になって、津波のように押し寄せてきた猛烈な淋しさが私を蹂躙しました。とぼとぼと一人淋しくラフネカース城に戻った時、いつになくだだっ広くて冷たい場所に思えました。


 すぐに孤独に耐え切れなくなった私は、どうにか心を慰めようと癒しの聖女たるティア様の下に向かいました。


 その日も研究室で熱心に薬草の調合に励んでいた彼女は、私の姿を認めると手を止めて、あたたかく迎えてくださいました。


 晩餐会の夜以降、いつにも増してエルシオ様のことで頭をいっぱいにしていた私は、それまでティア様とゆっくりお話をする時間もとれていませんでした。しかも、積み重ねた誤解故に多大なご迷惑をおかけしてしまったという罪悪感も拭いきれておらず、その日にきちんと顔を合わせてお話するまではどこか後ろめたい気持ちを抱いておりました。


 その節は大変ご迷惑をおかけしましたと恐る恐る頭を下げたところ、ティア様は

『あー、そんなこともあったね。懐かしいなぁ』と全く気にしていないご様子でくすりと微笑みました。それどころか、『ネリ! きちんと言えていなかったけど、おめでとう……! ネリがエルシオ様と結ばれて、本当に本当に良かったっ』と心の底から祝福してくださった時には、本気で彼女の背中に白い羽がうっすらと透けて見えました。女神だ! ここに正しく女神がいる…! と目頭を熱くした私を見守るようにやさしく笑っているティア様を見つめながら、強張っていた心を和らげたのでした。


 談話室に移動して、ティア様と楽しくおしゃべりに花を咲かせること一時間ほど。


 ふと気の抜けた瞬間に、『エルシオ様は今頃どうしているでしょうか。舞踏会ということは、綺麗な女の人と踊ったりとかするのかな……』と考え始めている自分がいて、愕然としました。


 浮かんできてしまった邪な考えを振り払うようにして小刻みに頭を震わせたその時、ティア様がむうと頬を膨らませて、ジト目で私を見つめていることに気が付きました。


『ちょっと、ネリ。私の話をちゃんと聞いていた?』

『うっ! ご、ごめんなさい……ちょっと考え事をしていて』


 ハッとしてあわあわと手を振る私を見ながら、ティア様はにやにやと、いつになく悪い微笑を浮かべました。


『妬けちゃうなぁ。エルシオ様がお出かけしている時くらい、ちゃんと私に構ってよ』

『ふあっ!?』


 私は一言もエルシオ様のことだとは口にしなかったのに、ティア様は私の脳内なんてお見通しだと言わんばかりにハッキリと仰いました。


『まぁ、日々あんなに愛されてたら、頭がいっぱいになっちゃうのも仕方ないかぁ……というよりも、そうなるように仕向けてるんだろうけど』

『あ、愛され……っ』


 瞬時に、彼に抱きすくめられた時の熱や香りやドキドキが鮮明に再生されて、耳の裏がじんわりと熱を孕みだしたところで、ティア様は更なる追い打ちをかけるようにニコニコと続けました。


『この前も、廊下でネリを見かけて声を掛けようと思ったんだけど、前から歩いてきたエルシオ様に先を越されたんだよねー。エルシオ様がするっとネリを抱きしめたかと思ったら、いつもの無表情が嘘かと思うぐらいやわらかい笑顔になっててさ。所かまわずいちゃつかないでくださいって窘めようと思ったのに、あんなに幸せそうな顔をされたらなんも言えなくなっちゃうね。ズルいなぁ』

『えええええええ!?!? そ、そそそそそれはい、いつの話ですかっ!? というか、その、み、みみみみ見てたんですかっ』


 慌てふためきまくって顔まで真っ赤にした私に、ティア様はきょとんと首を傾げて、微笑みました。

 

『いつっていうか、もう何度も目撃してるよ? 今や城中の名物って感じじゃない?』

『め、名物!?』

『そうだよ! エルシオ様の溺愛ぶりは重々分かっていたつもりだったけど、これはちょっと予想を上回る愛の深さだったなぁ。ネリに対してだけ、人が変わったみたいに甘くなるんだもん。でもさ、ちょっと悔しいんだけど、二人がらぶらぶしてるのは微笑ましくて、見てるこっちまで和んじゃう雰囲気なの。だから、人目も憚らずにちゅーしてても許せ『あああああああああごめんなさいいいいっっ!!!』


 キスまで見られてた……! 無理だ! 恥ずかしすぎる! 穴があったら埋まりたい! いや、いっそのこと、海の底まで沈みきって貝になりたい……! 


 とどめの一言に衝撃を受けすぎてくらくらと眩暈すらしてきた私は、『羨ましいなぁ……シャルロ様はもし振り向いてくださったとしても、絶対あんな風には甘やかしてくれないよ』とティア様がなにやらぼやいたのを聞き逃してしまいました。


 一見ゆるふわな女子会で、思わぬ大火傷を負わされて瀕死寸前な私。

 それに対して私の心臓を熱湯風呂に突き落とした当の本人はやるせなさそうにため息を吐くや、次に口を開いた時には軽やかに違う話題へと飛び移っていました。

 

『それにしても、あのフィーユ家の舞踏会なんていいなぁ。私も行ってみたかった』

『ティア様も、ご興味がおありなんですか?』

『うん。とにかく盛大で、派手で、まるで夢の世界なんだってお嬢様の友達が言ってたよ。それに、噂のフィーユ家のご令嬢を、一度くらいは目にしておきたいし』

『えと、そんなに有名なお方なんでしょうか……?』

『えっ、知らないの? うっとりとため息が零れちゃうくらい色気のあるグラマラスな美人さんらしいよ。各業界の錚々たるメンバーと浮名を流しまくっていて、有名なんだよね。年に一回フィーユ家で開かれる舞踏会の裏の目的は、飽きっぽいヴィグレント嬢の新しい恋人探しの為って言われてるくらいだよ』


 何その不要すぎる裏設定!? 【ときめき★王国物語】の曲者ポジションはミルラ様だけだと信じて疑っていなかったのに……! と、先程とは別ベクトルで激しくショックを受けました。それと同時に、ゲームは何十周とやりこんだけれど、実際にはこの世界に生まれてからお城の中だけでのうのうと過ごしてきた私は、いつの間にやらすっかり世間ズレしてしまっていたのだということを強く思い知らされました。


『各界の名だたるスターはほとんど彼女に食われちゃってるって噂だけど……もしかして、今度の狙いは王子様方?』 


 顔が、引き攣りました。心臓が嫌に高鳴るのを止められず、泣きそうになりながら世にも恐ろしい話に耳を傾けました。


『流石に王子様方が相手となると、噂のヴィグレント嬢でも気が退けちゃうとは思うけど……びっくり箱みたいな人だし、何をしでかすかは分からないね』

『そ……そんなっ!』


 血が凍り付いていくような悪寒に身を震わせる中、ティア様は桃色の髪を揺らしながら呑気に笑ったのでした。


『まぁ、何もないとは思うけどね。…………シャルロ様を除いて』


 切実そうに『好きになるというよりも、あの人、ヴィグレント嬢と渡り合おうとしかねないからなぁ……はぁ』とため息を吐くティア様を見つめながら、何故、シャルロ様はこんなにも健気で可愛い彼女に惚れないのだろうか? と真剣に思い悩みはじめ、その時は、ヴィグレント嬢に対する言い知れぬ不安感が薄れていきました……が、しかし。


 舞踏会から帰城なさってから、エルシオ様はなにか葛藤しているような、辛そうなお顔をされることが多くなりました。


 それからの極めつけのあの冷酷な対応で、確信せざるを得なくなりました。


 きっと、ヴィグレント嬢の魔の手にからめとられたのは、シャルロ様ではなく、エルシオ様だったのだ。


 でも、おやさしいエルシオ様は自分の心変わりを私に言い出せなくて、きっと躊躇っているのだ。そう思うと、ここ数日間の暗い表情や、不自然に冷たい態度に、全て納得がついてしまう。


 呆然とするリオン様の手をぎゅっと握りしめながら、涙声交じりに続けました。


「王子様方は、先日、フィーユ家の舞踏会に出かけられましたよね?」

「うん」

「……フィーユ家のヴィグレント嬢は、誰もが恐れをなすほどの美人さんなのだと伺いました。リオン様も、そう思われましたか?」

「うーん……たしかに、綺麗な人だなぁとは思ったけど……」

「……お胸が大きくて、さぞ抱きしめ心地も良いのでしょうね」

「まぁ、たしかに大きかった気もするけど……って、何言わせんのっ!」


 顔を真っ赤にしてあたふたと動揺するリオン様を見るにつけても、ああ、やっぱりヴィグレント嬢は少し思い返しただけでも心臓がどきどきと高鳴ってしまうような人なのだと知って、胸が痛くなりました。


 哀しくなって眉尻を下げると、次の瞬間、リオン様がじっと繋がっている手を見つめながらぽつりと呟きました。


「……でも、抱きしめたさでいえば、ネリの方がずっと勝ってるかな」 

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