第33話 解放


 泣きそうになりました。


 シャルロ様が震える唇でそう言った時、彼が今どんな思いでそのことを口にしているのか、痛い程に分かったからです。


 彼は今、こんな嘘みたいな話を信じてもらえるかどうかという恐怖に震えながら、自分の抱えている弱さを、血を吐くような思いで口にしているのでしょう。


 狼少年のように本当の自分を偽り続けてきた彼は、『誰からの愛も欲しいままにしてきた貴方が、淋しい? 馬鹿なことを。寝言は寝てから仰ってください』と、私に一笑に付されることを酷くおそれているはずだ。

 信じてもらえなかったら最後、彼はまた自分の淋しさを心の奥底に沈めて、『そう、だよね。僕は、皆から愛されているのだから』と、作り笑いを浮かべるしかないのだから。 


 シャルロ様。

 貴方は今、弱い自分と向き合うことに決めたのですね。


「思いません。だって私は、ずっと昔からそのことを知っていましたから」


 私は前世にシャルロルートをプレイしていた時から、このことを知っていました。


 シャルロ様は、誰からも愛されるようなお人だ。


 前世にそんな彼が青く澄んだ淋しさを抱えていたことを初めて知った時は、心が震えるようでした。


 この淋しさを、前世の私は痛いくらいに知っていたからです。


 もちろん、前世の私と、シャルロ様とでは全く境遇が異なります。


 シャルロ様は、誰の心をも奪い去って、がむしゃらに生きてきました。

 それに対して前世の私――小野寺 鈴子は、両親から向けられるべき愛を妹に掻っ攫われて、空気みたいに扱われてすら文句の一つも言えずに弱々しく笑っているだけでした。


 でも、私たちはただ普通に愛されたかったという意味では、本当によく似ていたのです。


 シャルロ様が真に望んでいたのは、焦がれられるように熱望されて、すべてを赦されることじゃなかった。気づけばいつも神様か何かのようにひれ伏されてきた彼は、本当は悪いことをした時に、きちんと叱って、自分を正してくれるような存在を求めていた。


 シャルロ様はずっと、自分のことを神としてでなく、対等な一人の人間として見てくれる女性を探し求めていたのです。


 彼は探し求めてもがき続けたけれども、ついぞ誰も彼の本当の望みには気づけなかった。その前に、みんな彼の魔性に呑み込まれ、彼のことを神に仕立て上げてしまったからです。


 そのたびにシャルロ様は孤独になっていきました。


『何人もの女を一夜限りで棄てた。こんな酷いことをしているのに、その中の誰一人として、僕のことを叱ってくれなかったんだよ。こんなのイカレてるって、思うでしょ』


 ゲームの中でシャルロが痛ましげにティアにそのことを語った時、前世の私の瞳からは涙が滑り出ました。


 テストで悪い点数を取った時、私のことを叱ってくれる人は誰もいなかった。

 あの時、前世の私の心は、シャルロ様の痛みに共鳴して震えました。


 叱るという行動は、その人の未来を慈しんでいるからこそできること。

 それがどれだけ美しい愛情に充ちている行動なのかということを、私は誰よりも知っていて、切望していたからです。


 神のように崇められて何をやっても赦されてきた彼と、家族から何をしていても興味の欠片も向けられなかった前世の私。


 前世の私とシャルロ様とでは全く境遇が違っていたけれど、抱えていた孤独と淋しさの種類は、よく似ていたのです。


 目の前のシャルロ様が、ごくりと唾を飲み込んで、月光にさらされた白い喉仏が弱々しく震えました。


「どう、して…………」

「どんな女の子も、貴方と接しているうちに必ず恋に落ちて、貴方の愛を得るためならばどんなことでもするようになっていった。でも、私はそうではなかった。貴方は、その理由が知りたくてたまらなくなり、ムキになって私を振り向かせようとしたくなった。……そうではないですか?」


 言いたかったことを全て先に越されたようで、シャルロ様は唖然としていました。自分の理解を超えた信じられないものを見ているような、そんな目で、私を見ているのでした。


 シャルロ様は……もしかしたら信じてもらえずに深く傷つくかもしれないという恐怖を乗り越えて、自分の弱さを私に曝け出してくれた。


 だから……今度は私が彼に、私の抱えている弱さを曝け出す番です。


「何で分かったのって顔をしていらっしゃいますね。私は、王子様方のことをずっと昔……前世から、存じ上げていたのです。そんなの信じられないって思うかもしれないけれど、それで納得のゆく点がございますでしょう」


 絶句してしまうほどに驚いているシャルロ様に向かって、微笑みかけました。


「私は前世の頃に、貴方の美しさだけでなくて、弱さも知りました。貴方が本当は、ただ普通の男の子として対等に接してもらいたいのだということも分かっていたから、私は貴方の全てを赦したりはしませんでした。でも、それはすべて……生まれる前より知っていたからというだけにすぎないのです。私に前世の記憶がなかったら、私もまた、貴方の魔性に呑み込まれていたと思うのです。だから、貴方に好きになってもらえる程の資格は……やっぱり、私にはないんです」

「っ」


 選ばれる人というのは、運命的に決定づけられている。

 例えば前世の妹や、ティア様がそうであるように。


 残念ながら私は、そちら側の人間にはなりえない。


 でも、何かの間違いでシャルロ様のような雲の上のそのまた上の世界に君臨していらっしゃるお方に愛されたとするならば、それは私が彼の前世を知っていたということに過ぎないのでしょう。前世にゲームをやりこんでいた私にはその記憶が細胞にまで刻み込まれていたから、自然と、彼の琴線に触れるような発言や行動をしてしまったのだろうと思います。


 だから、こんな風に受け取る愛は……全然、フェアじゃない。

 私には、シャルロ様に愛されるような資格なんて、ない。


「絶対に、現れますよ。本当はただ普通に愛されたかった貴方のことをきちんと見抜いて、等身大の貴方を愛してくれるお方が」


 そう言って微笑んだ瞬間、シャルロ様のアメジストの瞳から一筋の涙が伝って、胸がズキリと痛みました。


 月光にさらされた彼の涙が、私の胸を突き刺すように光りました。


「やっぱり……君は、僕が思っていた通り、他のどの女の子とも違ったね。今だって……僕がこれ以上君を好きにならないように、そうやってわけが分からないことを言って、僕を突き放そうとしてる」


 涙を流しながらかすれた声で弱々しくつぶやくシャルロ様は、微笑んでいたのに今まで見たこともないほどに哀しそうな顔をしていて。黒いインクを垂らしたようにじわじわと広がってゆく彼の絶望が、私の心を引き裂いていくようでした。


「違うんですっ! 私に前世の記憶があるのは、本当のことでっ」


 喉がつまって、うまく言葉が出てこない。

 一度おさまりかけた涙がまたほろほろとこぼれ出てくる。


 なんて言えば、彼に前世のことを信じてもらえるのだろう。

 言葉はこういう時、あまりにも無力でした。

 自分の脳内にしか存在していないことを言葉で証明するなんてことが、できるのでしょうか。 


 シャルロ様は、思いを鎮めるようにそっと吐息を漏らしました。


「…………うん。たしかにそれは信じられないような話だけれど、今まで起きたことを考えると、全く信じられない話でもないんだ。でもね……同時に、もう一つハッキリしたことがある」


 一度そこで言葉を切ったシャルロ様は、私から瞳をそらさない。


 喉を震わせながら、その言葉を言うか、言うまいか逡巡したのちに、彼はきつく目をつむりました。


 そして、決定的なその一言を放ちました。


「僕は、君に恋をした。そして君は、僕が君のことを好きになったのは君に前世の記憶があったというだけにすぎないから、僕に好きになってもらう資格なんて自分にはないと言う。でも、君は同じことを兄様に対しても言えるの?」


 突然、透明な抜身の剣をすっと心臓に突きつけれたようで、びくりと肩が跳ねました。


「な、何を言って……」

「ネリの言う通り、たしかに君は、僕ら三人のことを前世の時からよく知っていたのだとしよう。その記憶が今の君の中にあるとするなら、腑に落ちることもたくさん起きている。でも……前世で君の見てきた僕たちと、今を生きている僕たちは、似ているようで全く違うものだと、僕は思う」


 この世界は、私の知っているゲームの世界とは、似ているようで……違うもの?

 そんなの……考えたこともなかった。


 呆然とする私にむかって、彼はやわらかく微笑みかけました。


「だって、僕らの傍には常に、前世の記憶があるというわけの分からない超常現象そのものみたいな君がいた。僕らは、少なからず君に影響を受けてこれまで生きてきた。君がいたかどうかによって、僕ら三人の世界は確実に変わっていたよ」


 その言葉は私の心の深い部分にまで染みこんで、スッと溶けこんでゆきました。


 前世の私は両親から……まるで空気かなにかのように、扱われてきた。

 彼らの眼はいつも妹の愛にだけ向けられていて、私がなにをしていようが彼らには全く関係がなかった。


 でも……シャルロ様は、そんな私が、自分に影響を与えてくれたのだと仰った。


 そのことが信じられなくて、胸が詰まって泣いてしまうほどに嬉しくて、張り裂けてしまいそうで。


 シャルロ様が、肩を震わせて嗚咽を漏らし始めた私の頭にそっと手を置きました。その手が、ひだまりのようにあたたかくて……君はたしかにここに存在して、生きているではないかと語っているようで。


 涙で歪みきった視界のむこうのシャルロ様が、私の頭をやさしく撫でる。


「君が前世で僕らの何を見てきたのかは、分からない。でも、今この世界は、そんな世界とは関係なしに回っているんだと思う。だって、現に君は、僕が君のことを好きだってことは知らなかったじゃないか」


 ハッとしました。

 それだけは、否定のしようがない……紛れもない一つの事実なのでした。


「僕は確かに、君に恋をした。君の言う通り、君は僕らのことを本当によく知っていて、だからこそ惹かれた部分も全くなかったとは言えないのかもしれない。でも、少なくとも……僕が君に恋をしたのは、それだけが理由じゃないよ。僕は……馬鹿で、間抜けで、常にひたむきに兄様のことを想う君の姿に恋をしたのだから」

「っ……」

「今の兄様が何を考えているのかは、正直な所、よく分からない。でも、ネリ。大切なのは、今自分自身がどう感じていて、何を望んでいるかだよ。しかも、それは相手に伝えなきゃ分かんない。君は、いつまで、目をそらし続けている気なの?」


 シャルロ様の剥き出しの言葉が、ずっとずっと昔に心の奥底に閉じ込めて固く封印した私の願いを、徐々に引っ張り上げてゆく。


 でも。


 私は、それに向き合うのが、とてつもなくおそろしい。


 だって、その願いを解き放つということは…………前世の頃から私が何よりも畏れてひれ伏してきた、運命と闘うということだから。


「で、でも……っ。エルシオ様はっ……ティア様と……結ばれる運命でっ……」

「そんなの関係ない。現に僕は、自分の本当の気持ちから逃げたくなかったから、今こうしてここに立っている。ねぇ、ネリ。君はほかでもない、この国の第二王子の初恋の女の子なんだ。君が自分の価値を信じないということは、僕の価値をも貶めるということになるんだよ」


 シャルロ様の言葉が、私の真の願いを解き放つ。


 もう、もう……目をそらしつづけることは――できそうにない。


「私は…………エルシオ様の、お傍にいたいですっ!!」

「馬鹿ネリ。早く行っておいで」

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