第27話 彼女の想い

 篠森さんが昏睡状態になった事件の翌日、十七歳二日目を迎えた僕は学校にも行かず、私服のまま篠森さんの工場に来た。鍵は篠森さんのお母さんから預かっているのだが、僕はまだ気持ちが整理できないでいた。昨日の今日で当然である。

 篠森さんのお母さんはこの工場を当面このままにしておくと言ってくれて、それは篠森さんのお父さんにも自身から進言すると言ってくれた。いきなり物を片付けなくていいことには幾分安堵する。


 初めて一人で入る篠森さんの工場。スタジオにも衣装部屋にも物はある。それこそ僕が今いる衣装部屋は衣類で埋め尽くされている。けど、何も無い。篠森さんがいないだけでここは何もないと思えてしまう。そう、それは僕の心の中だ。


 僕はハンガーラックに掛けられた服を見て回る。照れてカメラから視線を外す篠森さんや、手で顔を隠す篠森さんが思い浮かぶ。どの服を見ていてもそれは鮮明に思い浮かぶ。しかしそれは夢だったのではないだろうかと思う。

 無口で、人を寄せ付けず、恥ずかしがり屋で、素直じゃなくて、けど素直で、甘えん坊で。そんな篠森さんの一つ一つの表情と仕草が鮮明に僕の脳裏に浮かぶ。しかしここに篠森さんがいないだけで、それは全て幻だったのではないかと思う。


 僕はいつも篠森さんがミシンを扱っていた隣の、デスクトップパソコンが置かれた席に座る。いつもこの席に座って篠森さんの手元を見ていた。小さな体で大きな動作を伴って生地を回す彼女を見ていた。作業に打ち込む彼女の目はとても真剣で、とても綺麗で、僕はそんな彼女が本当に好きだった。


 僕は目の前のデスクトップパソコンの電源を入れた。いつも篠森さんがいる時は電源が入っているので、それが当たり前だったから。けど、彼女の領域だから一度も触ったことはなかった。僕は初めてこのパソコンに触れてみる。

 インターネットブラウザを開くと検索サイトがまず表示される。僕はブックマークをクリックした。


「あれ……」


 その時に抱いた違和感。僕もブログをやるからわかる。記事投稿用のマイページと閲覧用のタイトルページをそれぞれブックマークしている。リンクはあるのだが、面倒だからどちらもブックマークする。篠森さんもその二つをブックマークしていた。

 しかし、その下にもブログのマイページとタイトルページがある。これはどういうことだろうと思い、マイページの方をクリックした。しかしログイン画面で詰まってしまう。パスワードがわからないのだ。それなのでタイトルページに移った。


『モモのブログ』


 するとそんな表題のブログが表示された。僕は日付の新しいのから投稿記事を見てみる。


『七月四日

 明日は彼の誕生日。放課後、私達のアトリエに来て飾り付けをした。ケーキも用意した。賞味期限がもつからカップだけど、喜んでくれたら嬉しい』


 それを読んで僕ははっとなり席を立つと休憩室のドアまで駆けた。真っ直ぐ入ったのは給湯で、迷わず僕は小型の冷蔵庫を開ける。するとそこにはカップケーキが数個入っていた。消費期限は昨日までになっている。


「篠森さん、一日で食べきるつもりだったのかよ……」


 僕は次に休憩室に入った。すると和室のその部屋は綺麗に飾りつけがされていた。テーブルは座卓ながらもテーブルクロスが敷かれていて、これは篠森さんが得意の裁縫で用意したものだろうか。壁際は折り紙のリングがチェーンになって吊るされている。

 思わず込み上げてくるものがあり僕は手で口を押さえたが、涙は止まってくれなかった。霞む視界の中、僕は再びパソコンが置かれたデスクに戻る。

 桃の花は篠森さんの誕生花。アトリエとはこの工場のこと。彼は僕のこと。そしてコメントもいいねも付いていないこのブログは篠森さんのプライベート日記だと確信した。恐らくアクセス数もほとんどないだろう。


『七月二日

 今日は彼の家の近くの公園に連れて行ってもらった。なぜか流れでツーショット写真を撮ることになったのだが、それが嬉しいのに素直に喜びが表現できなかった。けど、このツーショット写真は内緒でスマホの待ち受けにしよう』


『六月十九日

 彼の友達である男子のクラスメイトと先週に引き続き一緒にお弁当を食べることになった。うまくしゃべれなくて戸惑う。けど助けてもらっているわけだし、感謝の方が大きい』


『六月十六日

 言わんこっちゃない。結局彼までいじめの対象になってしまった。けど彼と彼の友達が助けてくれた。嬉しかった。友達ってやっぱりいいな』


 次に開けた六月十五日の記事は一番文章量が多かった。僕にも濃く残っている一日だ。


『六月十五日

 彼を避けた。とことん避けた。けど彼は構わず私に話し掛けてきた。挙句の果てには放課後、彼は私の手を握って学校から連れ出した。目立つから止めてほしかった。それなのに彼の手は大きくて温かった。

 いつものように彼の後ろに乗ってアトリエに来た。その途中、彼の背中を見ていたらまた込み上げてくるものがあって、甘えた。汗を掻いていたけどそれは彼の証だから好きだし、何よりその背中が広かった。心地良かった。

 そしてアトリエに着くと今後の学校生活について話し合ったのだが、なんと、彼に告白されてしまった。パニックでうまく答えることができなかった。

 けど彼は誠実だった。本当にとても誠実だった。それなのに私はギリギリ合格点なんてまた素直じゃないこと言うから、私って何様だろうと思う。それでも誠実な彼を見て、私もちゃんと自分の気持ちと向き合おうと思った。そうでないと彼に対して失礼だ。そのことはちゃんと言えたから自分を褒めたいと思う。

 そしてずっと頭にあった自分探しの旅が、彼の撮影旅行と合同企画になった。ちょっと戸惑う。中学生の時から友達を作らないようにしてきたから、性の話とかもわからないし、正直そういうことは怖い。けど彼はそれも誠実だった。だから彼を信じてみようと思う』


 僕の涙は止まらない。篠森さんは感情が読みづらいところがあるから、今でも誤解しそうになることがある。けど篠森さんは僕のことを考えてくれていた。嬉しくて、嬉しくて、けどだからこそ今眠っている彼女がとても悲しい。


『六月十四日

 溜息が出る。匿名掲示板、ここに彼も標的にするような書き込みがある。これはダメだ。学校で話すのは控えよう』


『六月九日

 次はノートか。教科書に始まって、筆記用具や上履きが盗まれる。学校の裏サイトである匿名掲示板を見てみたが、私のこと凄い書かれてる。股開いて彼を誘惑したとか、そういうネタ苦手だからご遠慮願いたい。どうやらいじめの標的になってしまったようだ』


 それは僕も篠森さんのいじめを知った時に見た。本当に腸煮えくり返った。けど篠森さんは一人で我慢してきたのか。彼女は強い。


『六月四日

 最近彼にうまく乗せられる。甘いもの買ってくるから喜んでミシンの手は止めてしまうし、「あ~ん」とかドキドキする。けどフォークを向けられたら勝手に口が開いちゃう。

 ただ最近、学校の裏サイトの書き込みが気になる。彼にも攻撃が向かないか心配だ』


『五月二十四日

 最近筆記用具が無くなると思ったら、今度は上履きが無くなった。教科書が無くなることはもうないけど、これってもしかしていじめかな』


 僕は涙を流しながら『前の記事』をクリックしていく。泣くことを止める気なんて更々なく、誰もいないのだからいいと開き直っている。中には僕とは関係のないこともあるのだが、洋裁の活動のことはヒナ名義のブログがあるからだろう、基本的に書かれていない。

 ただ僕と関係のないことは極僅かで、彼女から洋裁を取ったら僕ばかりだと可笑しくなり、泣きながら笑った。そしてまた『前の記事』をクリックした。

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