第19話 核心

 午前中はやがて本降りになったものの、午後は雨が上がり下校中にレインコートを着なくて済むと安堵する自分がいる。この日アルバイトのシフトは入っていない。そして昼休みに隣の席の篠森さんからラインでメッセージが届いた。


『今日は工場には別々に行こう』


 篠森さんはこの日一日何を話し掛けても応えてくれなかった。露骨に僕を避けていて、それに僕は思うところがあり、だからラインのメッセージに返信をすることはしなかった。

 ホームルームが終わった放課後、部活のためにスポーツバッグを肩から提げた前の席の匠が、僕と篠森さんの間を通り際に僕の肩を叩いて言う。


「セイ、お先」


 普段帰り際に肩を叩くまではしないので、匠の耳にも何かしら入っているのだろうと読み取れた。匠を見送った僕は行動に移った。通学鞄を肩に掛けて篠森さんの真横に立つ。彼女も通学鞄を肩に掛けて立ってはいたのだが、僕と目を合わせない。それに構うことなく僕は言った。


「篠森さん、行こう」


 篠森さんは僕を無視して背中を向けたので、すかさず篠森さんに追いつくと僕は彼女の手を握った。


「ちょ、沖原君?」


 怒りとも取れる、困惑とも取れる声で篠森さんが僕の名前を口にする。僕はそれに構うことなく篠森さんの手を引いて教室を出た。その時に背後から張った声が響く。


「沖原君! どういうこと!」


 恐らく高橋さんの声だと思うが、教室を出たばかりの僕は構うことなく廊下を進んだ。篠森さんは廊下でも困惑を声に表す。


「沖原君、みんな見てる。離して」

「別に今までだってこうして歩いたことあるんだからいいじゃん」


 僕は開き直った態度で篠森さんに言う。篠森さんは今のところ強引に手を離そうとはせず、むしろ力の入っているのが僕の方なので無意識に篠森さんを引き込んで篠森さんの肩が僕の腕に密着する。薄着である夏服なのだが、この時はあまりそのことに意識が向かず気持ちが高揚することもなかった。


「今までとは場所が違う」


 篠森さんは前方と僕を交互に見ながら反論をする。尤も、僕はずっと前方を見ているので、篠森さんの様子は横目に感じているだけだ。


 やがて昇降口に到着すると僕は篠森さんの手を離し素早く靴に履き替えた。困惑した様子が収まらない篠森さんの動作が緩慢なのは都合が良く、先に校舎を出る準備が整った僕は出口で彼女を待った。その時初めて、篠森さんが言うように周囲の視線が集まっていることを自覚する。

 靴に履き替えた篠森さんが僕の脇を伏せがちに足早に過ぎ去ろうとするので、僕はすかさず彼女の手を握った。篠森さんは小さく溜息を吐き、そして彼女が手を握り返すことはない。


「ねぇ、目立つから止めて? 沖原君のためにならない」

「やっぱりそういう理由か」

「え?」


 その後は無言で駐輪場まで到着した。篠森さんはここまで終始俯き加減で手は僕に引かれるままであったのだが、僕が手を離して自転車を解錠している時に聞いてきたのだ。


「どういうつもりか説明して」

「篠森さんこそなんで僕を避けてるの?」

「それは……」


 鋭い視線で言葉を投げ掛けた篠森さんだが、僕の言葉で途端に視線を落とした。僕はすかさず言葉を続ける。


「とりあえず向こうに行こう。ここじゃ話しにくいこともあるし」


 校内で「工場」という言葉を口にできないので「向こう」と言ったのだが、この言葉で篠森さんは大人しくなり、自転車を押す僕に付いて歩いた。そして校門を出て緑の葉が生い茂った桜並木の途中から篠森さんと二人乗りで自転車を走らせた。

 幹線道路にはすぐに出て、すると途端に篠森さんが僕の腹に腕を回してくるので、僕の心臓が大きく脈打った。しかし僕はなんとか冷静に自転車を漕ぐのだ。

 学校帰りにこれをされるのは初めてどころか、通算でも二回目で、背中に篠森さんの頬と眼鏡のテンプルを感じる。心なしか前回よりきつく締めているようにも感じて、それで篠森さんが学校で避けていたことは不本意だったのだと理解し、僕は安堵した。


 雨上がりの屋外は夏の蒸し暑さの到来を告げるようで、雨がアスファルトを濡らした臭いが鼻を突く。途中の角のコンビニ近くの横断歩道を渡った先に、中年の女性が何をするでもなく立っていたのだが、水溜りの水を飛ばさないように気を付けながら脇を駆け抜けた。

 雨雲から覗かせる日光は見事な光柱となって遠くの街に降り立っていた。僕と篠森さんは密着した状態ながらも会話はなく、篠森さんは何を見ているのだろうかと思う。すぐ後ろにいるので声を掛ければ会話はできるのだが、なんだか今の状態が心地よくて僕はそれをしなかった。

 所々上り坂もありその時僕は立ち漕ぎをするので篠森さんは僕を離す。しかし僕がサドルに腰を戻すと同時にすかさず腹に腕を回して、背中に温もりをくれる。僕は汗を掻いているのだが、一度それを気持ち悪くないと言ってもらったことがあるので今は篠森さんの感触に甘えたいと思った。


 やがて途中の脇道を折れて、生活道路くらいの幅の道を何度かハンドルを切って進み、僕達はいつも二人で活動をしている空き工場に到着した。僕が自転車を施錠する時も、篠森さんが工場の鍵を開ける時も、工場内のスタジオを通過する時も、僕達に会話はなかった。

 いつものとおり衣装部屋に通学鞄を置くと篠森さんは給湯に一度消え、二人分の麦茶を持って四人掛けのテーブルに置いた。その時に篠森さんが衣装部屋のエアコンを作動させたのだが、この広い部屋の間仕切りは後付けで天井も雑に貼られているので気密性が低く、設定温度を極端に下げている。それでなんとか効き目を感じるのだ。


 僕達は四人掛けのテーブルを挟んで座り、対峙した。切り出したのは僕だ。


「強引に手を引っ張ってごめん」


 篠森さんはそれに弱く首を横に振るが、俯いているので僕に目を合わせてくれない。基本的に僕が口を開かないと話が進まないことは理解しているので、僕は続けた。


「手を引かれてたとは言っても篠森さん、傘立てに気を取られることはなかったね。朝は傘も差さずに登校したの?」


 徒歩通学の篠森さんが、午前中に雨が降っていたこの日に傘を持たずに登校したとは考えられない。城田高校の傘立ては教室前の廊下にあるのだが、僕が篠森さんの手を引いて教室を出た時に篠森さんは傘を気にする素振りを見せなかった。


「傘は差して登校したけど、沖原君の勢いに押されて忘れてここまで帰って来た」

「それ本当?」


 消え入りそうな篠森さんの声だが、僕の追撃に篠森さんは何も答えなくなった。僕は質問を続ける。


「これは人から聞いた話だけど、最近よく購買で文房具や上履きを買ってるそうだね?」


 これにも俯いたまま何も答えない篠森さん。僕に対して言いにくいことがあるのは手に取るようにわかる。しかし、僕は自分のスマートフォンを取り出して画面を表示させると、篠森さんに差し出して核心を言った。


「篠森さんいじめられてたんだね」


 篠森さんは、テーブルの上で自身に向けられた僕のスマートフォンに伏せがちなまま目を向ける。彼女の長いまつ毛が動いたことを僕は見逃さず、それは篠森さんの目が見開いた証拠だと思った。


「篠森さんも昨日の夜、この掲示板の書き込みを見たんでしょ?」


 途端に肩を落とす篠森さんは小さく溜息を吐いたようにも見えた。どうやら観念したようで少しずつ言葉を繋ぐように話し始めた。


「傘は体育の授業が終わった後、体育館と校舎の間の渡り廊下に破られて捨てられてた」


 昼休みに確認した時に篠森さんの傘が見当たらなかったことは知っていたのだが、午前の体育の授業のタイミングでそんな所にあったことは初めて知った。


「物が無くなるのは二年になってからちょくちょくあって、最初は教科書だったんだけど、沖原君が二回見せてくれて、その度に机の中に戻されてた。それ以降は筆記用具やノートや上履きが無くなるようになった」


 この日の朝、クラスの女子から呼び出された僕はその女子の中の高橋さんからこのことを聞いていた。篠森さんの上履きが新しくなっていたことにも気づかず、人から聞いて初めてその事実を知った自分が情けなかった。

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