第20話 勇み足

 やっと空調が効き始めた感じのする篠森さんの衣装部屋。徐々に僕の汗が乾いていくのを肌で感じる。予定では篠森さんがその手で作った服やコスプレ衣装を着て、僕が彼女の写真を撮るはずの日だが、僕達はこうして望まない対談をしている。


「ノートはいつから無くなるようになったの?」

「今月」


 短く答えた篠森さんだが、ただそれでもノートが無くなったタイミングは中間テストの終わった後なのが幸いだと思う。


「じゃぁ、期末テストの前は僕のノート貸すよ。字汚いけど」

「ありがとう」


 そう言った時に篠森さんが首を横に振ったのは僕の字が汚いと言ったことに対してだろうが、そんなことよりこれは深刻だと思う。ノートが無くなることが続けば確実にテスト勉強に響く。そんなことを考えていると篠森さんは続けた。


「その書き込み掲示板は確かに昨日の夜、見た。だから学校で沖原君はもう私に絡まないようにしてほしかった。その前からもそういう類のことは書かれてたか――」

「言ってほしかった!」


 僕が篠森さんの言葉を遮って強く言うと、篠森さんはビクッと肩を上下させた。少し興奮した状態の僕は一度自分を落ち着かせて続けた。


「頼ってほしかった。気づいてあげられなかった自分も凄く情けない。僕は人に言われるまで掲示板も見なかったから」


 話題に出ている掲示板に書かれていたのは、今朝高橋さんに聞いたことがそのままだ。篠森さんが僕をたぶらかしているとか、そのせいで僕が他校の人気女子である三島さんを振ったことになっていることとかである。

 更に加えて他に、僕のこともクラスで仲間外れにしようとグループラインでやり取りをしているグループもあるというものだった。所謂ハブだ。


 正直言うと、僕は周囲のことに無頓着なので、匿名掲示板の書き込みなんかは気にしないし、そもそも見ない。しかし、篠森さんが悪く言われていることや、いじめられていること、そして僕とのことで学校では距離を取ろうとしていることに納得がいかなかった。それを篠森さんにぶつけると彼女も同調した上で反論した。


「私だって言いたい奴は勝手に言ってればいいと思ってる。自分に攻撃が来ようと勝手にやればいいって思ってる。けど、私のことで沖原君まで巻き込まれるのは違う。沖原君は私と違うの。友達もいるし、クラスで仲良くしてる子もいる。だから沖原君にまで攻撃の手が向きそうな今、私が沖原君を離さないと手遅れになると思った」


 篠森さんは俯いたままだが、肩を震わせていて、その声は力んでいた。これは当初の予想どおりの回答であった。工場で会うことまで拒否しなかった篠森さんなので、学校での態度は僕を庇うためだと薄々感じていたのだ。尤も、この予想が外れてもし単純に嫌われたのだとしたらと考えると、気が気ではなかったことは彼女には内緒だ。


「篠森さんをいじめてる犯人って誰?」

「わからない」

「じゃぁ、僕がそんなクラスメイトより篠森さんの方を求めてると言ったらどうする?」

「え?」


 きょとんとした表情の篠森さんはこれでやっと顔を上げてくれた。こういうことを言うのはやっぱりどこかむずがゆいのだが、僕は我を通すチャンスだとばかりにもう一声足す。


「そんなクラスメイトより篠森さんの方が大事だって言ったらどうする?」


 真っ直ぐ僕を見据えたままの篠森さんはこの時、澄んだ目をしているように感じた。今彼女は何を思うのだろう。相変わらず僕はむずがゆいし、こういうことを言うのは初めてなので緊張で手に汗を握るのだ。


「篠森さんの自分探しの旅、今年の夏休みに僕の撮影旅行と合同企画にして一緒に行かない?」

「は!?」


 これには驚いたように声を張る篠森さん。彼女を大事にしていることを伝えたくて言ったのだが、さすがに唐突過ぎたかと反省もする。しかしそれは篠森さんの困惑した表情を見て初めて思うから情けない。


「さすがに親が黙ってないか……」


 これには即答で篠森さんは首を横に振った。そして言うのだ。


「私が家を空けても何も感じない親だから。一年の時はここで寝泊りした日もあったけど、連絡もしない私に連絡を寄越すこともしなかった」


 さすがにそこまでとは思わなかった。心配しないのだろうか? まだ十代の女の子が無断外泊をして事件や事故に巻き込まれたとか不安にならないのだろうか? 男家庭の僕に詳しいことはわからないが、女子供とは縛りがきついものだと思っていたのだが。


「私は沖原君が一番親しくしてる人だから、沖原君とならその旅行も楽しそうだなって思う。けど……」

「けど?」


 相変わらず手に汗を握っている僕だが、今凄く嬉しいことを言ってくれたような気がする。期待してもいいのだろうか? 自信と謙遜の狭間で葛藤するものがある。


「沖原君にとっては目標にしてた撮影旅行じゃないの? なんで私なの?」


 さて、どう答えようかと頭の中で思考が回る。ただ考えたところで打算的な行動はしたくないので、それならばここは真っ直ぐ気持ちを伝えるしかなさそうだ。


「篠森さんのことが好きだから」


 人生初めての告白だ。僕の心臓はさっきから落ち着きがないのだが、篠森さんから目を逸らすわけにもいかないし、その篠森さんは目を見開いている。そして彼女は俯いて言った。


「ごめん。私まだそういうのよくわからなくて……」


 肩を落としそうになるが必死で堪える。どうやら僕の初恋は散ったようだ。これから篠森さんとどう接したらいいのだろうか。クラスのことがあって篠森さんとの関係を維持したくて行動を起こしたのに、行き過ぎて完全に勇み足であり空回りだ。ほとほと自分が滑稽である。


「だから沖原君と一緒に旅行できるのは憧れる気持ちもあるけど、男の子と二人でっていうのはやっぱり怖さもある」


 よくわからない。憧れる気持ちがあるのか? それは僕にとって嬉しい言葉のように感じるのだけど、僕は振られたのだよな? そう思わせる前振りがあった。篠森さんが言う怖さ……それはもしかして。


「もしさ、旅行中に僕が一切篠森さんに手を出さないって誓ったら?」

「え? できるの?」


 少し期待を窺わせる篠森さんの表情を見て、僕はやはりそういうことかと思った。一度は僕の目の前で平然と昼寝をしておきながら僕を信用しているのか否かよくわからない。ともあれ、それならば話を続けてみようと僕は再び前向きになる。


「うん、できる」

「本当? 同じ部屋に泊まっても?」

「うん、約束する」

「それがダブルの部屋でも?」

「……うん、約束する」


 それはさすがに想定外のことだったので一瞬言葉に詰まった。それに対して篠森さんはジトッとした目を一瞬向けたのだが、僕が約束をすると言ったことでなんとか表情を戻してくれた。


「それなら沖原君と一緒に行きたい」


 彼女は間違いなく今、僕と一緒に行きたいと言った。これに僕の心がどれだけ踊ったことか、彼女は気づいているだろうか。僕がどれだけ喜んでいるか、彼女は感じているだろうか。


「じゃぁさ、その……」

「ん?」


 暴れる僕の心臓に落ち着けと言い聞かせて僕は言葉を続ける。


「旅行が終わって帰って来て、その約束をちゃんと守れてたら僕の彼女になってくれない? その約束を僕から篠森さんに対する誠意にしたいから」


 ぼっと上気だって篠森さんが顔を真っ赤にした。好きだと言った時は困惑の表情だったのになぜ今は照れるのだろう。本当に篠森さんは気持ちも先も読めないし、そもそも女って難しいと思う。尤も、過去に比較するような経験は持ち合わせていないのだが。


 すると篠森さんは目を伏せながらも首を縦に振った。そして言った。


「わかった」


 篠森さんは確かにそう言った。


「本当?」

「うん」

「本当に本当?」

「うん、約束する」


 篠森さんが条件付きだが僕の彼女になることを約束してくれた。夢か? 夢なのか? 僕は舞い上がりそうになる自分を必死で抑え込む。その前にその条件があるのだから。とは言っても、篠森さんが彼女になってくれるのなら、僕はその約束を守れる自信があるのだ。篠森さんの気持ちが付いて来るのはそれまでゆっくり待つことにしよう。

 そう言えば、と思い、僕はそもそもの趣旨に話を戻さなくてはらならないことに気付いた。


「だから僕は学校でも今までどおり」

「え? それは……」

「カップルになるかもしれない二人が避け合ってるのって変じゃない?」

「そんなの屁理屈だ」


 そんな恨み言を言う篠森さんだが、この後幾らかの押し問答を経て、結局彼女が折れた。最後は「クラスでどうなっても知らないから」と捨て台詞を吐き、この日の撮影に先立って彼女は着替えるため休憩室に消えた。

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