第21話 贈りもの

 学校のことでの重い話を終えて撮影スタジオに姿を現した篠森さんは、薄く化粧を施していてその綺麗な黒髪を背中に流していた。こめかみ辺りは可愛らしいヘアピンを使って留めている。

 服装は体のラインがわかりそうな締まったインナーで、それは袖がノースリーブとタンクトップの中間くらいに感じる。下はレザーのショートパンツだ。加えてポンチョのようにも見え、ショールのようにも見える、ゆったりとした薄手のアウターを羽織っていた。


 ちょうどスタジオの準備が整って手が空いたところでの登場だったのだが、篠森さんの容姿に見惚れて僕は一瞬固まる。毎度毎度、この変化に彼女は慣れさせてくれないのだが、これは僕しか見ることを許されない彼女の領域なので、優越感は多大にある。


「どうかな?」

「うん。凄く格好良くて可愛い服だと思う」


 篠森さんの質問の意図が服にあることはもう十分認識しているのだが、本心を言うならばその服を着た篠森さんが可愛いのだ。

 本当は篠森さんのことこそ褒めたいのだが、彼女がそれを望んでいないし、そもそもそれをストレートに口にできるほど僕は女の子に慣れていない。だから僕は僕の前でやや俯き加減に立つ篠森さんの頭を撫でる様に優しく、そして髪型が崩れないように気をつけながら二回ポンポンと叩いた。


「さ、始めようか……ん?」


 篠森さんに背中を向けたところで制服のシャツを引っ張られるので振り向いた。相変わらず篠森さんは俯いたままなのだが、その手は僕のシャツを離さない。


「今のもう一回して」


 今の? ……と言われて一度は頭に疑問符が浮かんだのだが、僕が篠森さんに対してした行動は頭を撫でたことしかなく、すぐにそのことかと気づいた。それなので僕は、カメラを抱えたまま篠森さんの頭に手を置くと、今度はポンポンではなく先程よりは少し深く撫でた。


「ありがとう。頑張れる」


 そう言って篠森さんは床まで下げたロールスクリーンの上に立った。

 服を作ることは好きだが、その社交性からモデルを頼める人がいない篠森さんは自身がモデルをすることを本心では嫌がっている。そもそもここでの活動を隠しているから僕の人脈で頼むわけにもいかないし、僕にそれほどの人脈もない。

 そんな感じだから篠森さんはカメラ目線では手で顔を隠すし、そうでなければカメラから極端に視線を外す。そんな篠森さんを前向きにできるのなら頭を撫でるくらい幾らでも協力しようと思う。


 僕のイメージで人物撮影とは、カメラマンがモデルを褒めて煽るものだと思っていた。尤も、それはテレビの特集やドラマなどが媒体の薄い知識なのだが、僕と篠森さんは違う。撮影中は基本的に雑談だ。そうは言っても、撮影会が始まった当初は無言だったのだから随分雰囲気も変わったものだと思う。


「沖原君、来月のバイトのシフトはもう決まってるの?」

「まだだけど。そう言えば、もうそろそろ休みの希望を出さなきゃいけないな」


 僕はシャッターを押しながらカメラから視線を外す篠森さんの質問に答える。そしてアルバイト先の七月の休みの希望を出さなくてはいけないことを思い出し、明日の出勤の時に提出しようと頭の中で予定を組んだ。


「七月五日は空けられない?」

「ん? ん? ん?」


 僕は思わずカメラを下げて篠森さんの顔を窺う。なぜピンポイントでその日のシフトを空けるように言うのか、その日付は僕の耳に馴染む日なのだが、篠森さんはまさかそれをわかっていて言っているのだろうか。


「ちゃんと手を動かして」


 一度キリッと睨むと僕を咎める篠森さん。彼女の言葉に気圧されて僕は慌ててカメラを構えた。篠森さんが睨む時の目は本当に怖いので、僕はカメラのシャッターを押し続ける。


「今ならまだ間に合うけど、その日がどうしたの? 平日だよね?」

「だ、誰かと過ごすとか……ある?」


 その口調から動揺した様子が明白な篠森さんは耳が赤い。頬はチークを施しているので変化はないが、そのまま写真を撮ってしまっていいのだろうかと心配になる。とは言え、後から上手く明るさとかの質感は加工するのだろうが。


「特にないけど……もしかしてその日が何の日かわかってて言ってるの?」


 元々カメラに視線を向けていなかった篠森さんだが、更にプイッと顔を背けた。どうやらその日が僕の誕生日だとわかって言っているようだ。


「ほ、放課後、ここここここここでお祝いしましょう」


 その言葉が僕の心臓を射ったかと思うと、ふわっと脳が浮遊するような感覚に襲われ、思わずカメラを持つ手がまたも下がる。するとまた篠森さんがキリッと睨むのだが、なんだかもうどれだけ罵られてもいいやという気分になる。


「よく知ってたね、僕の誕生日」


 鋭い視線の篠森さんに今一表情が締まらない僕は問い掛けるのだが、好きな人が自分の誕生日を知っていて、お祝いする予定を組もうとしてくれているのだから、こんなに嬉しいことはない。


「沖原君のブログのプロフィールに書いてあったから」

「そっか、そっか」


 僕のブログを見てくれていたのかとこれもまた嬉しくなる。お互いにブログをやっているもの同士、僕同様篠森さんも僕のブログをチェックしてくれているようだ。僕も本名を明かしたブログではないとは言え、篠森さんは完全な覆面活動だ。プロフィール欄も内容が薄いので、実は篠森さんの誕生日を僕は知らない。


「篠森さんの誕生日っていつなの?」

「三月三日」

「なるほど」


 僕が納得の言葉を発した理由は篠森さんの名前とハンドルネームの由来が垣間見えたからだ。小柄で童顔で可愛らしい彼女にはぴったりの名前のようにも思う。


「私のことはいいから、手を動かして」


 僕はまだ表情が締まらないのだが、篠森さんのきつい言い方になんとか気持ちを入れてカメラを構えた。まったくもって篠森さんは素直じゃない。けど、時々しおらしくて素直だから観察のし甲斐があり、見ていて飽きない。


「沖原君はどこに旅行行きたいと思ってるの?」

「北海道を回りたいと思ってるけど」

「ふーん。そう言えば、沖原君のバイト先にラベンダー畑の写真が飾ってあったね」

「気づいてくれたんだ!」


 思わず声が弾む。カメラから目を離し、肉眼で篠森さんを見ると相変わらず篠森さんは明後日の方向を見ていた。

 篠森さんと喫茶店パノラマに行った時はたくさん写真の話を聞いてもらったのだが、僕が一番気に入っているラベンダー畑の写真については特段触れなかった。それでも篠森さんもその写真を見てくれていたのかと嬉しくなった。


「あれはマスターが撮った富良野のラベンダー畑の写真でね、僕があの店で一番好きな写真なんだよ」

「沖原君にぴったりの花ね」

「え?」

「七月五日の誕生花なのよ」


 それは初めて知った。それを聞くとまだ見た事のない花なのにより一層愛着が沸くし、憧れも強くなるので心が躍る。


「花言葉は『献身的な愛』とかだったかな」


 献身的な愛か……。篠森さんに気持ちを曝け出した僕はこれから篠森さんに対してそれができるだろうか。恋愛自体が初めてなのでピンとこない部分もあるが、その花言葉を胸に留めようと思う。


「それじゃ、行き先は北海道かな」

「いいの? 篠森さんの希望は?」

「私はどこに行きたいとかまで決まってなかったから構わない。夏休み中なら開花時期もなんとか合うと思うし」


 それは朗報である。自分の希望の行き先に篠森さんが不満なく同意してくれるのはありがたいと思う。


「それにしても篠森さん、花に詳しいんだね」

「服を作る時、よくテーマにするから」

「なるほど」


 納得すると同時に篠森さんが河川敷の公園で手を伸ばしていた紫の花を思い出した。ラベンダーと同じ紫ではあるのだが、違う花であることはさすがの僕にもわかったし、開花時期も違うように思う。もしかしかして篠森さんなら知っているかもしれないと思い、僕は聞いた。


「篠森さんと河川敷の公園に行った時に咲いてた紫の花って何かわかる?」

「あぁ、あれは杜若。花言葉は確か……『幸運は必ず来る』とか『幸せはあなたのもの』とか『贈り物』とかだったかな。私には不釣合いな花言葉ね」


 自虐的にそんなことを言う篠森さんだが、彼女の抱えているものの全貌とは一体何なのだろう。社交性を拒み、時折見せる寂しそうな目は幸せとかそんな類のことを意図的に排除しているようにも感じる。それにあの日僕は篠森さんへの気持ちを確信した。だからそれは篠森さんからの立派な贈りものであり、花言葉にぴったりだと思うのだが。


「ちょっと。手を動かしなさい」


 三度篠森さんから咎められるので僕は意識を戻し、篠森さんを撮ることに集中した。

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