第22話 即答

 この日の撮影は滞りなく済み、僕と篠森さんは衣装部屋の四人掛けのテーブルで一息吐いた。篠森さんは撮影時とは違って学校の制服姿で眼鏡を掛けているが、可愛らしいヘアピンを使った髪形はそのままで、化粧も落としていないので、とても綺麗だ。

 すりガラスの外はもう暗くなっていて、時刻は十九時半に差し掛かるところなのだが、篠森さんと少しでも長く一緒にいたいと思う僕は、彼女が帰ると言うまで動くつもりはない。コーヒーを飲みながら、あまり弾んだ会話ではないもののただ穏やかな雑談を二人で交わす。


 すると僕のスマートフォンが着信を知らせた。表示された発信者の名前を見て、あまり電話で話す人ではないので意外だと思った。


「誰?」

「えっと……バイト先の三島さん」


 篠森さんからの質問に思わずたじろぐ。この日の朝、クラスの高橋さんから三島さんの気持ちを知らされて、そして放課後はここに来て篠森さんに僕の気持ちを曝け出したのだから、僕の反応は致し方ない。尤も、匿名掲示板に書かれた他校の人気女子が三島さんのことだということを篠森さんが認識しているのかは知る由もないが。


「こないだ沖原君と同じ時間に出勤した人かな。出なよ」

「は、はい」


 恐らく篠森さんは自然体で電話に出ることを促したのだと思うが、後ろめたいような気持ちがある僕は変に畏まってしまうのだ。


「もしもし」

『あ、三島です。今大丈夫だった?』

「うん」


 と言ったところで、いきなり篠森さんが僕の耳に当てたスマートフォンを掻っ攫い、迷うことなくスピーカーフォンにした。これで僕は確信した。

 社交性のない篠森さんのことだから他校の人気女子が誰なのかを誰かに聞くことはないだろう。それでも一度は短い時間ながらも僕のアルバイト先の同僚として三島さんと顔を合わせているのだから、ある程度の予測はできているのだと。


『えっと、今日のことユキから聞いた』


 僕のスマートフォンのスピーカー越しに三島さんの声が響くが、僕は首を傾げる。すると篠森さんがすかさず自分のスマートフォンをフリックして『高橋由紀』と表示させ僕に向けるので、クラスの高橋さんのことかと思い当たった。それにしても篠森さんは高橋さんのことだとよくわかったものである。


『迷惑掛けちゃったみたいでごめんなさい』

「あ、いや……」

『私の気持ちもはっきり知られたよね……?』

「う、うん。恐れ多いです」


 篠森さんが正面にいるから僕は肩に力が入った状態で、一方その篠森さんは冷ややかな視線を僕に向ける。とにかくこれが恐ろしくて居たたまれないのだが、僕は何も疚しいことはしていないのになぜ? と思う気持ちも少なからずある。


『沖原君の学校では大変なことになってるって聞いて』

「気にしないで」


 大変なことなのだろうか? 面倒だとは思うが、それが大変だと思うかと言うとよくわからない。とは言え、これは三島さんに言ってもしょうがないので、口にはしない。


『それで、なんだけど……』

「ん?」


 三島さんが言いにくそうに言葉を発するのだが、どうしたのだろうと思う。正面からの鋭い視線は相変わらず健在で、それに狼狽えるのだが。


『やっぱり私じゃダメかな?』

「ごめん、好きな人いるから」


 三島さんのことを考えるともう少しタメを作ってから答えた方が良かっただろうかと、即答してから考え直す。しかし口から出た以上、もう取り返すことは叶わない。そんなことを考えていると三島さんは言葉を続けるのだが、電話なので感情は今一わからない。


『だよね。変なこと言ってごめん。これからもバイトでは仲良くしてくれる?』

「それはもちろん」

『良かった。明日シフト一緒だし、またよろしくね』


 そう言って僕と三島さんは電話を切った。僕は恐る恐る篠森さんに顔を上げる。やはり鋭い視線のままだ。


「えっと……」

「ギリギリ合格点」

「え?」


 ぽかんとしてしまったのだが、篠森さんはそのままそっぽを向いてしまった。篠森さんにとっては受け入れられる対応だということで解釈をしていいのだろうか。


「他校の人気女子が三島さんのことだって知ってたの?」

「知ってたというか、気づいてた。理由は二つ。前に沖原君のバイト先で容姿に優れた子を見た時に、その子が沖原君を見るなり嬉しそうな目をしたけど、私を見てすぐに表情が曇ったこと。それから写真が趣味のマスターのお店で沖原君から写真に関する話を聞いてるだろうなって思ったこと」

「ん? 写真に関する話?」

「沖原君って学校ではどこにでもいる普通の生徒だけど、写真の話をする時って凄くいい顔するのよ。バイト先の女の子がその沖原君を見てるのは容易に想像がつくし、それに惹かれるのは理解できるから」


 そうなのか。そう言えば確かにそんなことを三島さんに言われたことがあったと思い出す。と言うか、なぜ今まで気にしていなかったのだろうと自分の無頓着ぶりが滑稽だ。


「よく高橋さんのこともわかったね」

「今日の朝、いつもは私より登校が早い沖原君がいなくて、でも鞄はあって、予鈴直前に高橋さんのグループと一緒に教室に入って来たから。こんなタイミングだし思うところはあった。それに、放課後は私を引っ張った沖原君に対して声を掛けたのが高橋さんだったから。下の名前も覚えていたしそうかなって思っただけ」


 あれだけ一日学校で避けておいてよく見ていたものだと思う。感心して思わず唖然としてしまうが、その篠森さんはそっぽを向いたままだ。


「本気みたいね」

「え? 何が?」

「元々沖原君のことは信頼してたけど、あれほど容姿に恵まれた子に即答で断ったことで、改めて沖原君の気持ちが信用できた。凄く嬉しいし、私もちゃんと自分の気持ちに向き合おうと思った」


 頭の先から湯気が出るのではないかと思うほど顔が熱くなり篠森さんを直視できなかった。そもそもその篠森さんは僕から視線を逸らしているのだが。ただ、そう言うのであればなぜギリギリ合格点なのだろうと思うけど、野暮だと思うからこれは口にしない。ただ、今は篠森さんが言ってくれたその言葉を喜びたい。


「お金は夏休みまでに貯まりそうなの?」


 その質問に僕が顔を上げると篠森さんは顔を背けたままだが、いきなり話題を転換したので彼女の今の感情も察するところがある。


「うん。たぶんそれなりに貯まってるから、あとはプラン次第だと思う」

「そう」


 ここでやっと篠森さんは僕に顔を向けてくれたのだが、その赤い頬はチークのせいだろうか。撮影中は僕が見下ろす格好で篠森さんは髪から耳を覗かせるから、彼女が赤面するとわかりやすいのだが、今はよくわからない。


「篠森さんは?」

「私は大丈夫よ」


 野暮な質問だったと思う。篠森さんが稼いでいる額は全日制の高校生が通常稼げる額ではないのだから。


「そう言えば篠森さんって、いつから服を作ってるの?」

「中学の時。元々裁縫が好きで、小学生の時から針と糸はよく触ってたけど」

「中学生の時から収入があったの?」

「違う。中学生の時に作った服が部屋に収まりきらなくなって、この工場を使うようになって、それから処分するのも勿体ないと思ってネットオークションを始めたの。そのお金で徐々に機材とかも増やして、その内にブログに広告主も付いた」


 立派な事業だと思う。とは言ってももしここの家賃が発生していれば赤字だと言っていたことがあったのを思い出す。篠森さんが立派だとは思う反面、事業とは甘くないのだと少しだけわかった。


「沖原君」

「何?」


 その時僕を真っ直ぐに見据える篠森さんの瞳はとても綺麗だった。


「疎まれてる私を庇ったまま高校生活を送るつもり?」

「もちろん」

「それなら、支えてくれる人がいて、一人じゃないっていう気がして、それが得られたから、沖原君と一緒に卒業式を迎えたい」

「え? 高校?」

「うん。私はずっと一人だと思ってたから。中学の時も卒業式は一人だったから」


 たぶん普段はあまり口にしないのであろう篠森さんの心の中が現れた言葉だと思った。まだ二年近く先の話ではあるが、人を寄せ付けない篠森さんは何か理由があって望まず孤独を選んでいて、それでこんなことを言ったのだと僕は思った。


「うん。もちろん」


 僕は篠森さんと約束した。

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