第18話 威圧感
六月中旬にもなると梅雨入りとなった。朝は小雨が降っていて僕はレインコートを着て自転車で登校したので、ベタベタするのを不快に思いながら教室までたどり着いたのだ。するとすかさずクラスの女子生徒に呼ばれた。確か名前は……山本さんだったと思う。
僕は山本さんに連れられて学年の空き教室に入った。すると他に三人のクラスの女子生徒が先に来て待機していた。僕に何の用だと身構えるが、反面、肌着がベタベタしていて気持ち悪く、そちらに意識が向く。
「沖原君」
腕を組んで僕の名前を呼んだのは真ん中に立つ女子生徒で、鋭い視線を僕に向けるものだから思わずピリッとする。確か名前は……高橋さん。
「何?」
「西高の真奈美を振ったって本当?」
「ん?」
西高の真奈美と言われてすぐにピンと来ない僕だが、一応考える素振りは見せたし、実際に考えた。そもそもの話だが、僕は人生この方、一度も女子から告白をされたことがないし、彼女がいたこともないわけで、だから振るも振らないもない。全く心当たりがないのだ。
「私と同中の三島真奈美だよ」
「ん? え!」
苗字まで聞いてやっと誰のことを言っているのかわかったのだが、確かにアルバイト先の三島さんは真奈美という名前だったと思い出した。と言うか、僕が三島さんを振った?
「惚けるの?」
「惚けるも何も、三島さんに告白されたこともないし、ましてや彼女でもないし、三島さんの気持ちも知らないよ」
「はぁ……」
深い溜息を吐く高橋さん。その脇に二人のクラスメイトがいて、僕の脇に山本さんがいる。皆女子なのだが、女子が集団になって詰め寄ってくる時のこの威圧感は何だろうと思う。早くもこの場から立ち去りたい衝動に駆られる。
「真奈美は沖原君のことが好きなの知ってたでしょ?」
「は!? そうなの!?」
これは驚きである。思い返してみると先月篠森さんと一日行動を共にした休日、その後アルバイトをして三島さんと帰った。その時に三島さんから意味深げな話をされたことが蘇る。三島さんは本当に僕のことが好きだったのか……?
その後は特段変化なく、いつもの調子で顔を合わせ、アルバイトをしていたから何も気にしていなかったし、深い意味はないのだろうと、僕の勘違いだろうと封印していた。
「真奈美は私の中学からの親友なの」
「えっと……」
そんなことを言われても言葉に詰まるわけで、そうかと言ってもちろん三島さんのことは嫌いではないし、人としては好きだ。だから僕は戸惑うばかりである。
それこそ同じ学校ではないのだから真偽の程はわからないにしても、人気がありそうな印象を三島さんに持っていたわけで、その三島さんが僕のことを好きだったなんて嘘のようであり、現実味がない。
「つまりその反応は、沖原君としては振った認識はないし、そもそも真奈美の気持ちに気づいてなかったというわけね」
「はい」
とは返事をしたものの、確かに意味深げな会話をした帰り道があったことは事実だ。そうは言ってもはっきり告げられたわけではないので、僕にあれ以上どう言葉を返せと言うのか、頭を抱えるばかりである。
「因みに……」
高橋さんのその切り出しに何だか嫌な予感がした。そしてそれは見事的中したのだ。
「篠森さんとはどういう関係なの?」
「……」
なんでこうも言葉に詰まることばかり聞いてくるのか。ただ、三島さんからその辺のことまでは聞いていなかったのかと、安堵する自分もいる。そして高橋さんの視線が痛く、また、この場にいる他の三人の女子の視線も痛い。納得するまで答えなければ解放しないという目力を感じるのだ。
「僕と篠森さんの関係は友達だよ」
「はぁ……」
なぜそこで高橋さんが溜息を吐くのか僕には解せない。僕は篠森さんに惚れているのだが残念ながら関係は言ったことが事実だ。篠森さんと唯一会話をする僕を、そして放課後に行動を共にする僕を恋人関係だと疑っていたのだと思うが、僕にとってこの残念な事実は三島さんの親友にとっては朗報ではないのかと思う。
「何が楽しくて篠森さんなんかと一緒にいるの?」
その言い方にはカチンとくるものがある。とは言え、僕も一年生の時は篠森さんを今目の前にいる高橋さんと同じような目で見ていたことは否定できないし、怒りを露にするほど子供でもないと自覚している。だから僕は堪えるが、高橋さんは続ける。
「あんなコミュ障で根暗な人が良くて、真奈美はダメなわけ?」
「篠森さんはいい人だよ。皆が知らないだけだよ」
「じゃぁ、私達が知らない篠森さんってどんな人よ?」
攻撃的に質問を向ける高橋さんの言葉に何も答えられないのがもどかしい。篠森さんは自己表現が苦手で不器用なところはあるけど、照れ屋で、少し甘えん坊で、好きなことをしている時の目はとても真剣で綺麗だ。薄く化粧を施せば見違えるし、私服も可愛らしい。趣味が事業化して人に言えない秘密を持ってしまっただけの女子高生だ。
ただ、そんなことを思ったところで、僕がなぜこれほど篠森さんのことに詳しいのかとか、何かと篠森さんの秘密に繋がってしまいそうで怖くて言えない。それに篠森さんは僕にも伏せてある秘密がたぶんまだある。僕でもまだ彼女に近づいている真っ最中なのだ。
「ほら、何も言えないじゃない」
僕は奥歯を噛むしかなかった。好きな人のことを貶されて、でも庇うこともできなくて、その好きな人と親しい気になっていて、けどそれはあくまで他の人に比べたらの話であり、まだまだ篠森さんとの距離は遠いのだと、目を伏せていた事実に無理矢理向き合わされたような気分だった。悔しく情けなくてしょうがなかった。
「やっぱり篠森さんが沖原君をたぶらかしてるのね」
「え?」
何だそれは。聞き捨てならないと思った。秘密事項ではあるが、確かに撮影をお願いしてきたのは篠森さんの方だ。しかしそもそも工場に近づいたのは僕だし、篠森さんの思うところはわからないが惚れたのも僕の方だ。ギュッと拳を握ると僕の脇に立っていた山本さんが首を振りながら高橋さんに言った。
「ユキ、その噂は……」
「噂? 何の噂?」
僕はすかさず反応した。まだ何か続きがありそうなので僕は強く高橋さんを見据える。高橋さんは、一度は失言だったとばかりに目を伏せたが、僕の言葉と視線で話した。
「篠森さんが沖原君をたぶらかして囲ってるから、沖原君は他校の人気女子を振ったって噂が流れてんのよ」
僕は半口を開けたまま固まってしまった。なんでそんな噂が流れているのだ。僕のことはともかく、これは篠森さんの名誉に関わることで誤解を解きたいと思うが、どこまでその噂が流れているかもわからない。果たしてそれはできるのだろうかと憂う。
「因みに人気女子って真奈美のことね。あの子、一年の時から何人かに告られて、好きな人がいるって言って振ってんのよ」
三島さんはそんなにモテているのかと驚きそうになったが、すんなり納得してしまった。そもそもそう感じていたのだから。しかし、それほど人気の三島さんがなぜ僕なのだ。恐れ多いと戸惑うばかりである。
「あと、これは知ってる?」
「何?」
この後高橋さんから聞かされた話に僕が握っていた拳はどんどん力が強くなり、爪が食い込んで痛みを感じた。しかしそれを気にする余裕はなかったし、何よりそれは当事者の痛みと比べたら比較にならないほど軽微なものだったから。
この後高橋さんをはじめとするこの場の女子達は納得しないながらも僕を解放してくれた。僕は一度トイレに寄り表情を整えてからもうすぐ始業の予鈴が鳴る教室に入ったのだ。篠森さんは既に登校をしていて、一番後ろの席の彼女の背後を通過すると僕は自分の席に着き、篠森さんに向いた。
「おはよう」
「おはよう」
僕はできるだけいつもの調子を意識して言ったつもりだったが、篠森さんはギリギリ耳に届くほどの微かな声量で、僕に目も向けてくれなかった。これはここ最近ではなかったことで、二年生に進級したての頃を思い出す。せっかく最近は僕を向いて、標準的な声量で挨拶をしてくれていたのに。
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