第13話 ランチ
自転車で篠森さんと二人乗りをするのももう慣れたもので、良く晴れたこの日を正に五月晴れと言うのだろうと思いながら僕は軽快にペダルを漕いだ。ケースに入っているとは言え、カメラが自転車にぶつからないようにだけ気をつける。向かう先は河川敷の公園なのだが、僕の自宅からは少し遠いのでそれほど頻繁に出向くことはない。
その前に寄るのがランチで、これは篠森さんが店のリクエストをした。今、後ろから道案内をしてくれている。河川敷の公園の近くとのことだが、僕はこんな時に気の利いた店を知っているわけではないので、幾分救われた気持ちになった。
走ること数十分。僕達は一軒の洋食店に入った。レトロな感じのする洋風の古びた内外装の店で、一見喫茶店のようにも見えるが、歴とした洋食店らしい。
「ここは煮込みハンバーグが美味しいの」
「じゃぁ、それで」
水が置かれた店内の四人掛けのボックス席で篠森さんが教えてくれたので、僕は広げられたメニュー表に目もくれずに注文を決めた。そして店員を呼ぶと、二人して同じ品を注文し、僕だけはご飯を大盛りにしようとした。
「私のを半分あげる」
すると篠森さんがそう言って僕を制したので、僕はありがたくその提案に乗り、結局二人して全く同じメニューを注文したのだ。
「少し時間が掛かると思う」
「そっか」
注文を終えると篠森さんが教えてくれたので、こだわって作っているハンバーグなのかなと予想した。ただしかし、品が出てくるまでに時間が掛かるのならば、篠森さんと二人だけという状況では間がもてなくなるかもと不安にもなる。
僕は店内を見回した。暗い質感の内装と家具が多いので、明るさの割に暗くも感じる店内。客層はまちまちで、家族連れやカップルや女性客がいてそれなりに賑わっている。もしかしたら僕達もカップルに見えるのだろうかと思うが、僕が男女二人ペアを見れば疑うことなくカップルだと思うので、そう見えるのだろうと一人で納得した。
店内の空調は作動しているようで、暑くもなく寒くもないのだが篠森さんは着ていた薄手のカーディガンを脱いだ。それを隣の席に置くのを目で追いながら、僕もアウターを脱ぐ。篠森さんの半袖ブラウスの袖から伸びるすらっとした腕はとても綺麗だ。
「ここよく来るの?」
「ううん。小六の時に一度だけ来たことがあるの」
適当な話題でもと思って振った話なのだが、篠森さんは穏やかな表情で答えてくれたので安堵する。篠森さんが出された水を口に運ぶので、それを目で追っていると篠森さんの手に小さな肉刺ができていることが確認できた。洋裁でできたものだろうと思うが、篠森さんのその小さな手も指が細くて綺麗だ。
「そうね、思い返せばそれが人と出かけた最後かも」
自虐的にも聞こえるその内容に一瞬言葉に詰まるが、篠森さんの方から言葉を足してくれたことは嬉しいし、それなら少し踏み込んで質問を続けてみようと思う。
「その時は誰と来たの?」
「近所に住んでたお姉ちゃん」
「へー。もうその人は近所にいないの?」
「近所どころか、この世にいないわ」
地雷であったと僕に冷や汗が伝う。踏み込んだはいいが、完全に裏目に出てしまったことで僕に申し訳なさが襲い、「ごめん」と言って一口水を喉に通した。
「気にしないで」
そう言ってくれた篠森さんは脇の窓から屋外を覗いていた。それは僕が学校にいる時によくやる行動なのだが、篠森さんがやると童顔ながらも凛とした彼女は絵になるなと一瞬見惚れる。いつも学校で見る化粧っ気のない今の状態なのに。
「お姉ちゃんはいつも私に優しくしてくれた」
すると篠森さんが話題を終わらせる様子なく話を続けたので、僕はその綺麗な横顔を見ながら篠森さんの声に耳を向けた。その表情がどこか儚くも見える。
「私も凄く懐いてて、小学生の時までは明るい性格だったと思う」
と言うことは、篠森さんはいつかを境に今の社交性がない篠森さんに変わったのだと僕には窺い知れた。それは恐らくだが、その仲良くしていたお姉さんの死が関係しているのではないかと思わせる。できれば僕は明るい篠森さんも見てみたい。過去にほんの少ししか見たことがない彼女の笑顔を見てみたいと思うのだ。
「私と一緒にいて楽しい?」
いきなり篠森さんが僕を見てそんなことを問い掛けるので、一気に脈が早くなる。とは言っても、僕は正直なことを答えるしかできないので、それを口にするのだ。
「そりゃ、まぁ。楽しくなかったら今日みたいに押しかけたりしないよ」
「そうよね。沖原君って物好きね」
それは僕のみならず自身のことも貶していると思うのだが、そんな自虐とも取れることを言った篠森さんは微かに笑っていた。僕はもっと遠慮なく笑う篠森さんが見てみたいのだが、それは僕にできることなのだろうか。それでも今の微かに笑った篠森さんもとても魅力的だからずるいとも思う。
「家族とも出掛けたりしないの?」
「うん。両親とも仕事人間だから。家にいる時間も短いの」
撮影会の後はいつも篠森さんを家まで送って行くのだが、彼女の家は大きく、コンクリート製のガレージもある。経済的には恵まれているように思う篠森さんだが、相当孤独な生活を送っているようだ。
「お母さんも仕事人間なの?」
篠森さんの父親が中堅企業の経営者で、篠森さんが使っている工場の個人所有者だということは聞いたことがあるのだが、思い返すと篠森さんの母親のことは聞いたことがない。それ故の疑問だった。
「そうよ。お父さんの会社で経理をしてるわ」
と言うことは夫婦経営みたいなものだろうか。とは言え、お母さんの方は役員ではなさそうなので、違うのだろうか。
「二人とも会社の利益しか頭にないから強引なことばかりして恨みを買いやすいの」
聞いてもいないのにそんなことまで教えてくれたのだが、僕は返す言葉もなく詰まってしまう。無表情になった篠森さんはそっとコップの水に手を伸ばす。
「そんなだから会社に強面の人たちが乗り込んで来たこともあるって聞いた」
サラッと物騒なことを言われて背筋が凍るのだが、篠森さんが会社に出入りしているわけではないし、家で両親と顔を合わせることも少ないのだから彼女にはあまり関係のないことなのだろう。実際にそんな様子が見て取れるし、だからこそ篠森さんは工場を使って自分の好きなことに没頭しているのだと僕は思った。
最近、二人でいる時の空気が僕の当たり前に染み付いてきたように思う。ぎこちなさが付き纏う彼女との雰囲気がどこか心地よくも感じる。
そうして待っているとやがて注文の料理が運ばれてきた。確かに早くはなかったが、覚悟していたよりは幾分早かったので、仕込みはしてあるようだ。とは言っても、僕の腹の虫は実は先程から自己主張が鳴り止まず、ずっと空腹を感じていた。
篠森さんお薦めの煮込みハンバーグは中央に半熟卵が乗っていて、トロッとしたソースが湯気を出している。皿の中のソースから分離して浮いた肉汁が、空腹の僕の食欲をこれでもかと言うほどそそる。
「お皿貸して」
篠森さんが手を差し出して言うので僕はご飯のことだと思い出し、ご飯が盛られた皿を篠森さんに手渡した。篠森さんはフォークで自分のご飯の山を半分に切ると、僕の皿に移した。僕の皿のご飯が歪な形の高い山に形成された。
「はい」
「ありがとう」
「ソースを服に飛ばさないように気をつけて食べてね」
「あ、うん」
そんな気遣いの言葉までくれる篠森さんだが、僕の安物の服よりもお洒落に見える篠森さんの服が汚れないか、そっちの方が心配である。とは言え、料理を目の前にした空腹の僕からはそんな心配事よりも意識はすぐに料理に向いてしまう。
この店のハンバーグはとても美味しかった。舌触りのいい柔らかい肉に、濃厚な肉汁とソース。半熟卵のアクセントは絶妙だった。僕は篠森さんと話すことも程ほどにガツガツ食べたのだ。
「ふふ。沖原君の食べっぷり見てると気持ちいいね」
一瞬、咀嚼が止まったのだが、それは特段篠森さんの発言に何かを感じたからではない。その時篠森さんの表情が今までで一番笑っていて、そしてその笑顔が素敵だったのだ。
この時の顔こそ写真に収めたいと思ったのだが、それは叶わないし、撮影会でお願いしたところで加工されてしまうから、やはりこれも叶わない。どうやら僕の記憶の中だけに保存するしか手段はないようだ。
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