第12話 押しかけ
僕と篠森さんの話し合いの結果、僕はアルバイトのシフトが入っていない平日に、極力篠森さんの撮影に協力することになった。僕のアルバイトの日と休日に篠森さんは洋裁をするそうだ。
そんなゴールデンウィーク明け最初の日曜日。この日は夕方からアルバイトがあるものの、僕は篠森さんにラインで連絡を取り、篠森さんが午前中から工場に出ていることを把握していた。
「何?」
「……」
工場に到着するなり僕を迎え入れてくれた篠森さんだが、その冷たい視線は健在で、僕は怯みそうになる。彼女は縁なし眼鏡を掛けていて、化粧っ気のない地味な様相なのだが、私服だからだろうか、可愛らしくも見える。
僕が朝からここに来た理由……それは特にない。暇だからとしか言いようがないのだが、いつもなら撮影のために散策をする僕だが、ふと篠森さんはどうしているだろうと思い付いてここに来たに過ぎない。
「今日は撮影の約束じゃないはずだけど?」
「あ、いや、そうなんだけど。邪魔だったかな?」
「別に邪魔じゃない」
そう言って篠森さんは僕を中に入れると、衣装部屋のミシンが置いてあるデスクに着いた。さて、来たのはいいものの、あまり歓迎されている様子がない。どうしようかと僕が憂いていると、篠森さんが「ん」と言ってミシン台の隣のデスクトップパソコンが置かれた席の椅子を引いた。
「隣で見てていいの?」
「見てるだけなら。その代わり、邪魔しないで。声も掛けないで」
「わかった」
僕が椅子に座ると篠森さんは洋裁を始めた。
篠森さんは実に手際よく慣れた様子でミシンを扱う。今どんな服を作っているのかはわからないが、その小さな体で大きな動作を伴い、生地の向きを何度も変える。そして時々手縫いも絡めているようで、その手先は随分と器用なようだ。
洋裁をしている時の篠森さんは真剣そのもので、学校で見せる時と同じ冷たい目にも感じるのだが、その表情はどこか綺麗だ。好きなことに向き合っている時の表情はいいものだと思う。自分も写真のことを思う時、こんなふうになれているだろうか。最近誰かに言われたような気もするが、僕の自惚れた勘違いだろう。
「暇だから来たの?」
ふと篠森さんが手を止めずに声を発した。ベージュ色の布生地が篠森さんの膝の上からミシンの奥へと進んでいく。タタタタタとミシンの小気味いい音に混じった篠森さんの声はやはり耳に心地いい。僕は首から提げていたカメラを掲げて答えた。
「うん、まぁ。いつもは写真撮りに出掛けてるんだけど」
「へー。例えばどこに?」
僕には声を掛けるなと言った篠森さんだが、自分から声を掛けるのは問題ないらしい。そもそも暇を持て余して押しかけたのが僕の方だから、篠森さんのその姿勢は受け入れる。
「自転車で動ける範囲の公園とかが多いかな」
「と言うと、どこの公園?」
「一番多いのは近所だけど、他には……」
「他には?」
以前と比べて篠森さんとはよく話せるようになったものだと思う。尤も、学校での僕達に大きな変化はない。初めての撮影会は今週の出来事だし、その撮影会もまだ二回しかしていない。
それでも初めて撮影会をした日をきっかけに、学校からここまで一緒に移動するので、今年と昨年のクラスメイトの視線は痛い。ただ、篠森さんがどんな人なのか、今までと違う目線を持てるようになった僕は、篠森さんに対して尊敬の念も抱いているわけで、その痛い視線も幾分気にならなくなってきた。
できることなら篠森さんのことを他の生徒にも知ってほしいと思うが、篠森さんがそれを望んでいないので叶わない。
「河川敷の公園まで足を伸ばすこともあるかな」
「ふーん」
素っ気無い声を返して手を止めない篠森さんは然して僕の行動に興味がないのだと思っていた。しかし次に出た篠森さんの言葉でそれは僕の勘違いだとわかった。
「いいわね」
「え?」
間抜けな声を上げてしまった僕だが、篠森さんは特に気にした様子も見せない。
彼女は今日、一見ミニスカートに見えるが、キュロットだ。そこから伸びる生足が艶目かしい。足元が突っかけサンダルなのは、ミシンのペダルに乗っていることに関係があるのだろう。上は淡い色の半袖ブラウスを着ているのだが、その正面肩に大きな糸くずが付着していた。一度は取ってあげようと思ったのだが、胸に近いのでそれを止めた。
そう言えば、こうして篠森さんの私服姿を見ることは初めてかもしれない。歳相応に若々しく可愛らしい格好をしていると思う。写真を撮る時の服装は見たことがあるので、思ったより新鮮味は感じなかったのだが、これも自分で作った服なのだろうか。それとも市販の服なのだろうか。
僕はGパンにTシャツとチェックのアウターなのだが、みすぼらしくないだろうか。それほど気にすることでもないかと自分に言い聞かせる。
「今日は行かないの?」
「うーん、昼過ぎくらいに行こうかなぁ……」
僕は曖昧を含めて返した。……つもりだったのだが、篠森さんは僕の予想を裏切る言葉を返してきた。相変わらず彼女は手を止めず、顔もこちらに向けない。
「私も一緒に行こうかな」
「マジで!?」
少しだけ声を張った僕だが、それは驚きと、なぜだかわからないが心が弾んだことによるものだった。それ故に感情がそのまま声に表れたのだが、篠森さんは冷たい言葉を返す。
「自分は押し掛けて来といて、迷惑なの?」
僕はブンブンと首を横に振るが、よくよく考えれば篠森さんは僕に一切目を向けていないのだから気づいているだろうか。それなので僕が声でも迷惑を否定しようとしたところで篠森さんが先に言葉を繋いだ。
「それなら問題ないわね。十二時過ぎたらここを出ましょう。途中ランチもしましょう」
ここで初めて僕に視線を向けた篠森さんだが、有無を言わせないその綺麗な瞳で見られるといろんな意味で動揺する。その前にランチ。学校で女子と話すことに苦手意識のない僕だが、ただ、女子と休日に二人で外食なんてしたことがない。それどころか思い返してみれば、撮影のためとは言え女子と二人で出掛けることも初めてだ。
とにかく返事をしなくてはいけないと思った僕は、今度はブンブンと首を縦に振って「わかった」とだけ言葉を発した。それを確認して篠森さんはミシンの作業に戻ったのだ。
僕はこの後、午前中は篠森さんに断りを入れて衣装部屋を見学させてもらった。篠森さんが作った服は所狭しにハンガーラックを埋めている。コスプレ用の衣装は稀にクッション素材のプロテクターが装着されているものもあって、厚みを取っている。
洋服なんかは表から見るとどれも縫い目が目立たないようになっていて、篠森さんの技術の高さを窺わせる。洋裁ができない僕でもそのくらいはわかった。
壁際の棚にあるウィッグは毛が金や水色など色とりどりで、長髪のものが多いように思う。今のところ地毛の篠森さんしか生では見たことがないので、このウィッグを被った篠森さんを想像すると胸が高鳴る。ブログにアップされた画像では見たことがあるのだが、それはもうよく似合っていた。
「ここって次のテナントが決まったら片付けなきゃいけないんだよね?」
僕は棚を眺めながら徐に質問をしたのだが、篠森さんから声を掛けるなと言われていたことを思い出し冷や汗が浮かぶ。しかし、篠森さんは思いの外嫌悪感を示さずに答えてくれた。
「そうよ」
短い言葉ではあったし、いつものとおり小声ではあったのだが、冷たい感じがせず、そうかと言って温かい感じもしない返事だった。ただ、篠森さんにしてはポジティブな反応なので、声を掛けていいと判断して僕は話を続けた。
「いつから募集してるの?」
「私が中三の年明けくらい」
「そんなに長いの?」
その募集期間の長さに驚いたのだが、篠森さんは高校に入学してすぐくらいからここを使っているのだから当たり前かとも思う。むしろ僕の方こそ篠森さんが出入りするのを見掛けるまで『テナント募集中』の看板にも気づかなかったのだから周りが見えていなかったようだ。
「人気ないのよ、この物件は」
機械産業で潤っている地域で、大手から中堅や町工場までが至るところに散見される都市なのだが、なぜだかこの物件は借り手が付かないようだ。幹線道路が近くて、それなりに工場も近くにある地域なので一年以上も空き家になっていることは不思議だった。
「前の道路が狭いのが原因だそうよ」
なるほどと思う。幹線道路沿いながら、高低差があって幹線道路から直接はアクセスできない。一度路地に入って生活道路のような道幅の道路を使わなくてはならない。小型のトラックまでは問題ないだろうが、大型車とか、それどころか中型車でも使いにくいだろう。
「さ、終わったわ。行きましょう」
その声で篠森さんに向くと、彼女は既にデスクの上を片付けて立ち上がっていた。薄手のカーディガンを羽織っているが、それが先ほどまでは椅子の背もたれに掛けられていたことを思い出す。足元は少し踵の高い皮靴に変わっていた。篠森さんの様子からそんな段階だったから僕が声を掛けたことに嫌悪感を示さなかったのかと納得した。
しかし、一つ気になることがある。
「それ。ずっと気になってたんだけど、取ってあげるわけにもいかなくて」
僕は篠森さんの胸元を指差して、カーディガンから少し覗かせる位置に糸くずが付着していることを教えた。それで篠森さんは気づいたわけだが、少し顔を赤らめて糸くずを取ると、俯いて「ありがとう」と言った。その時、軽蔑するような冷めた言葉を言われなかったことに安堵する自分がいた。
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