第14話 横顔

 洋食店での昼食を終えた僕と篠森さんは、歩いて河川敷の公園に行くことにした。洋食店の裏手が堤防になっていて、そこを歩けばものの数分で公園までたどり着く。それなので僕は自転車を押して歩いた。

 休日の公園は主に家族連れで賑わっていて、その賑やかな声が木霊する。堤防を下りた先の公園と堤防の間はジョギングコースが敷かれていて、ランニングをする人や犬の散歩をする人も見掛けられる。奥に流れる川のせせらぎが長閑な休日を映し出していた。


「私は私で自由にするから沖原君は好きなように動いて」


 そう言う篠森さんは後ろに手を組んで、その長い黒髪を風で靡かせていた。少し踵の高い革靴を履いてはいるが、身長差があるので僕を見上げる格好だ。


「そう? 一緒に動かないの?」

「邪魔じゃない?」


 そう思うのならなぜ付いてきたのだろう。単純に僕が写真を撮る姿でも眺めたかったなんて思えないし、やっぱり退屈をすると思うのだ。恐らく午前中の自分と置き換えているのだろうと思うが、僕はあまり気にしない。


「邪魔じゃない」

「じゃぁ、一緒に動く」

「もし退屈だったら篠森さんの方こそ好きに動いていいから」

「わかった。その時はそうする」


 この公園はどちらかと言うと、草場の広場が広がっているだけの公園で、遊具と言える代物は陶器で作られた動かない動物の乗り物しかない。ここで戯れる家族連れはキャッチボールをしたり、バドミントンをしたりと、体を動かすことが主である。

 そんなあまり何もないようにも感じる場所ではあるが、脇には立派な橋が架かっているし、草木は豊富なので僕にとって被写体となるものは多い。通い慣れた自宅近くの公園とは違う場所で、カメラを持って歩くことは幾分心が弾む。


 被写体を見逃さないために足元をしっかり見て歩いていると、篠森さんが大人しく僕の後ろを付いて歩くのがわかる。篠森さんは趣味へ没頭している時に話し掛けられることを嫌っていたが、僕にそんなことはない。だから僕は話し掛ける。


「少し川の方にも行ってみようと思うけどどうする?」

「行く」


 篠森さんが行くと言ってくれたので僕は公園を横断し、川原まで行った。人工的なブロックが並べられて作られた河岸は無機質なのだが、一部それが整備されておらず砂利になっている場所がある。そこは自然を感じさせるので僕の好きな場所だ。

 こちら側の川の流れは緩やかだが、対岸は頑丈に作られた堤防が特徴的で水深も深そうに見える。並べられたブロックも大人の体より大きい物がほとんどで、ぶつかる水圧に耐えるためのものだろう。水害に備えて水深を計測するための赤と白のスタットが川の中で突き立っている。


 砂利の川原に足を踏み入れた僕は足元に気を付けて途中まで歩くとふと後ろを振り返った。そこには水面に反射する日光を更に眼鏡で反射させた篠森さんが立っていて、草木を背景にしたその佇まいはとても綺麗で、ブラウスの袖とキュロットの裾を風で揺らしていた。

 僕は来た砂利の足場を引き返すと、人工的なブロックで整備された無機質な足場に立つ篠森さんの前まで行き、手を差し出した。


「ごめん。歩きにくいのに気づかなくて。向こうまで行ってみる?」


 すると篠森さんは真っ直ぐに僕を見据えたのだが、眼鏡の向こうの大きな瞳は学校で見る時のように冷たくはなく、それよりもどこか驚いているようにも感じた。少し頬を紅潮させているようにも見えて、何の気なしの行動だったのだがそこで僕ははっとなって手を引っ込めた。


「ごめん。さすがに馴れ馴れしかったよね。僕、ちょっと行って来るから待ってて」


 僕は思わず頭を掻いて篠森さんに背を向けたのだ。恥ずかしくもなって意識が散漫することで、足の裏にゴツゴツした砂利の感触を過剰に感じる。すると背後から篠森さんに呼ばれたのだが、その時の篠森さんの声は珍しく張っていたように聞こえた。


「沖原君!」

「ん?」


 僕は大きな丸石が散乱された足場で篠森さんに振り返る。篠森さんは先程よりも頬を紅潮させていて、足の付け根辺りで両手の拳を握っていた。


「そっち……行ってみたい」


 どこか力んでいるように見えた篠森さんだが、片手だけ力を抜くとその手を広げて僕の方に差し出した。その時、やや俯き加減ながらも上目遣いで僕を見る彼女が僕の心を鷲掴みにしたことは言うまでもない。


「うん」


 僕は再び篠森さんのもとまで戻ると、篠森さんの手を引いて砂利の足場をゆっくりと進んだのだ。小さな篠森さんの手は柔らかく、その細い指でしっかりと僕の手を握る。僕は自分の手に汗を掻かないだろうかと心配になるが、考えたところでどうしようもない。

 時々篠森さんは悪い足場で小さくバランスを崩すが、お互いにグッと力を入れ体勢を整える。篠森さんが近くて彼女の髪の匂いをしっかり風が運んでくれるので、僕はそれに少し酔っていた。


 足場が安定する場所で篠森さんを待たせては僕がそこら辺の写真を撮り、篠森さんのもとまで戻って手を引いて移動する。これを何回か繰り返して、僕達は草場の広場に戻った。


 それからしばらく僕達は別々に行動をした。とは言っても、見える範囲で声が届く範囲でお互いに近くにいたから、ずっと位置は把握していた。そして満足するまで撮り終えると僕は篠森さんに向いた。

 彼女はその時土手の堤防の一番下で土手を向いて屈んでいた。僕はその背中を見ながら、斜め後ろからそっと近づいた。彼女は草の中に一本だけ咲いた花にそっと手を伸ばしていた。花に詳しくない僕が情けなくそれが何と言う花なのかわからないが、紫の綺麗な花だった。


 考えるよりも先に僕の体は動いていた。するといきなり篠森さんが勢い良く僕に振り向いた。その時にはもうあの冷たい目になっていたから恐ろしい。


「今写真撮ったでしょ?」

「いや、まさか」


 僕は苦笑いを浮かべるが篠森さんにそんなことは通用せず、その冷たい視線を外してくれない。そう、僕は篠森さんを写真に収めたのだ。篠森さんはその時のシャッター音で僕の接近と、勝手に写真を撮られたことに気づいて今の不機嫌である。


「消して」

「嫌だ」

「やっぱり撮ってたのね」

「……」

「消しなさい」

「絶対嫌だ」


 ここは僕も引けない。勝手に撮っておいて何だが、篠森さんの表情は横顔だし、今後これほど渾身の一枚が撮れる保証もない。だから消すわけにいかない。


「横顔だから」


 そう言い訳をしても篠森さんは目の色を変えない。ここで怯んではダメだと自分に言い聞かせ、もう一声搾り出す。


「絶対公開しないし、誰にも見せないから」

「本当?」

「うん。約束する」


 もう一回強く僕を睨むと篠森さんは「わかった。約束だから」と言って了承してくれた。僕は渾身の一枚を守り切ったことに胸を撫で下ろす。


 この後、僕と篠森さんは公園内のベンチで休憩をすることにして、僕はこの日撮った写真をカメラ本体で確認していた。と言っても、花に手を伸ばす篠森さんの横顔の写真一枚をずっと眺めていたのだが。

 あの時、篠森さんの横顔がわかる位置に立って僕は見惚れた。花……も綺麗なのだが、その時穏やかな表情をした篠森さんがとても綺麗で、緑の地面を全面背景に一輪だけ咲いた花は篠森さんを映し出すようで儚く見えた。

 つい先ほどのことだがその時の篠森さんの綺麗な姿は僕の脳裏に強く残り、僕は写真を見ながら回想していたのだ。


 すると飲み物を買いに行っていた篠森さんが戻ってきたので、慌てて僕はカメラの画面を消した。


「はい。コーヒー。微糖で良かったよね?」

「ありがとう。お金――」

「いらない。いつも自転車に乗せてくれるお礼だから」


 そう言われて財布を取り出した僕の手は止まり、これは篠森さんの気持ちかと思ったので、僕は礼を言ってありがたくご馳走に預かることにした。篠森さんは小さなペットボトルのレモンティーの蓋を開けながら僕の隣に腰掛けると言った。


「今日はこの後バイトだよね?」

「うん」

「撮影旅行のためにバイトしてるんだっけ?」

「そう」


 僕は缶コーヒーのプルタブを引くと一口コーヒーを喉に流した。喉が渇いたとは思っていなかったが、コーヒーのほのかな苦味の後に僕の喉が潤った。


「私達二人ともお金を貯めてる理由が同じなんだね」


 その言葉に驚いて篠森さんを見るが、彼女は平然と川の対岸を見ているようだった。理由が同じ……それは旅行に行くことを言っているのだと思う。瞬間、何を期待してしまったのだろうと僕は自分の恥ずかしい勘違いを封じ込めた。たったそれだけの言葉なのに、何だか心を踊らせてしまった自分が滑稽だった。

 事実その後篠森さんは特段この話題に触れることはなかったわけで、僕達は公園を後にしたのだ。

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