第10話 実態
以前来た時は趣味だと言っていた篠森さんだが、この空き工場でなんと金を稼いでいた。そもそもこの工場は中堅企業を営む篠森さんの父親の個人所有物だそうだ。次の入居者が決まるまでは使っていいとのことで家賃は取られていないと彼女は言った。
「そもそも両親がくたばれば一人っ子の私が相続するんだから、家賃を取らないなんて当たり前よ」
そんな縁起でもないことを平気で言う篠森さんは無感情で、冷たい目をしていた。それは初めてこの工場に足を踏み入れた日より前まで篠森さんに対して抱いていた印象そのもので、少し身震いすらもする。
それでも水道光熱費や産業ゴミなどの経費は篠森さんが支払っているそうで、それに加えて材料の仕入れも自己負担で賄っている。彼女は服やコスプレ衣装を作ってネットオークションで売っており、更にはもう一つ収入源があった。
「コスプレイヤー・ヒナってわかる?」
「さぁ?」
僕は首を傾げた。聞いたことがあるような気もしないでもないのだが、思い出そうとしたところで浮かんでくる自信がなかったので、すぐにその行為を諦めた。
「沖原君はオタクっぽくないし、男の子だからしょうがないわね」
どう関係があるのかわからないが、僕はそれに答えることはせず篠森さんから続く話に耳を傾けた。
「時々クラスの女子も話題にしてるのが聞こえるほど有名なんだけど、ティーンズ向けの私服も作ってそれをヒナ名義のブログに載せてるの。もちろんコスプレ画像も」
クラスの女子の会話は時々耳に入るものの、ファッションの話は恐らくものの一分で僕の記憶からは消えていることだろう。結局心当たりは見出せない。
「そのブログは広告主がいて広告収入が入るのよ」
「すご……」
僕は感嘆の声を上げた。僕が趣味でやっている写真もブログにアップしているが、広告主なんていない。つまりそのヒナは広告料を稼げるだけブログのアクセス数があり、それは容姿などの観点においても恵まれているのだとわかる。
「そのヒナが私なの」
「は!?」
驚きのあまり声を張ってしまったのだが、篠森さんは特に動じた様子もない。僕は一度頭を落ち着かせて整理してみるが、思い返せばコスプレ衣装を着た時の篠森さんはとても可愛かった。衣装もそうだが、化粧や髪型も然りで眼鏡は掛けていなかった。
それを見た時は不覚にもドキッとしたもので、篠森さんが今言っていることがすんなり納得できてしまう。そう思うと同時に僕に差し出された篠森さんのスマートフォン。それを覗くと画面に表示された表題からそれがヒナのブログであることがわかった。
「アップされた画像は全部私よ」
篠森さんのスマートフォンをスクロールしながら僕は驚愕した。どれもがアイドルと見違えるほど容姿に恵まれた画像なのだ。コスプレの衣装と洋服では半々くらいの割合だろうか、全ての画像で顔は部分的に手で隠したり、正面から視線を外したりしてはっきりとはわからないようにしている。
そして以前自分で撮っていると言っていたことを裏付けるように、モデルの篠森さんが遠隔シャッターを握っている画像もある。
先日、化粧を施した篠森さんの顔を明るい場所で正面から見た僕なら、今の篠森さんと画像の篠森さんは一致する。しかし、恐らく学校での地味な篠森さんしか知らない人からしたら、画像の主が篠森さんだと気づく人はいないだろう。
「わかってくれた?」
「う、うん……」
どうやら彼女はネットの中で有名人のようだ。しかしまだ疑問は残る。僕はそれを篠森さんに問い掛けた。
「なんで覆面活動してるの?」
「騒がれることが苦手だから。たぶんだけど、女子中高生に人気のヒナが私だと知ったら学校中の生徒が手のひらを返す。特に女子とオタク系の男子」
確かにそれは納得だ。個人情報を保護するためにもその方がいいのかもしれない。騒ぎになるとSNSで拡散されるのは目に見えているから。しかし篠森さんは僕の予想を超える感情を見せた。
「私は誰とも仲良くするつもりはない。だから騒がれたくない」
そう言った篠森さんはどこか寂しそうで儚く感じた。それほど寂しそうな目をするのならば、信頼できる人を作ればいいのにとも思うが、恐らく僕では到底理解できない何かが彼女の中に潜んでいる。そう感じた僕はそのことについてはもう触れられなかった。
「僕はいいの?」
「沖原君は私と一番話をしてくれる人だし、秘密もバレてるから。それならもし協力してくれたらと思ったのよ」
矛盾を感じた。篠森さんにとって僕は親しい内の人間なのだろうが、秘密のこともあったとは言え、親しいからこそ頼ってきたように思う。それならば誰とも仲良くするつもりがないなんて言わなくてもいいのにと思うわけで、なんだか篠森さんが凄く寂しい人のように感じたのだ。
「因みに何のためにお金を稼いでいるの?」
「旅に出たい」
「旅?」
「うん。自分探しの旅」
篠森さんの口からそんな言葉が出るとは思っておらず僕は内心驚いたのだが、篠森さんの表情が真剣なので僕は彼女から目を離せない。
「こんな私にも生きる意味はあるのだろうかって、その答えが知りたいのよ」
自分を卑下したように言う篠森さんだが、何をそんなに重く考えているのだろうと思った。生きる意味……今年十七歳になる僕には考えたこともないのだが、それを口にした篠森さんも同い年だ。それにこの場を見ていて篠森さんには思うところがある。
「洋裁がやりたいんじゃないの?」
「前にも言ったけどこれは趣味よ」
確かに聞いた。今これで金を稼いでいるとは言え、趣味なのは本当らしい。事実、この工場の借り手が決まればこの場所は篠森さんのアトリエではなくなるのだから。
更にこの後の篠森さんの言葉で、税金と経費を除くと手元に残る金銭は大学新卒のサラリーマンよりは少ないくらいだということも知った。それでもアルバイトをしている高校生の僕よりは多くの額を手にしているのだが、それは全て旅のために貯金をしているそうだ。
「なんでそんなに必死なの?」
「人間いつ死ぬかなんてわからない。もしかしたらいつ親から扶養してもらえなくなるかもわからない。だからやれるうちにやれることはやる」
生き急いでいる。それが篠森さんの価値観に対して僕の抱いた感想だ。もしかして本人か篠森さんの親は病気なんて持っていないだろうかと心配になるが、なんと篠森さんはそんな僕の思考を読み取った。
「私も家族も健康よ」
そう言って笑う篠森さんの笑顔に僕はドキッとした。初めて篠森さんの笑顔を見たし、今は化粧もしていない地味な状態なのに、その笑顔はとても煌びやかで可愛らしく魅力的だった。恐らくこれがきっかけだろう。僕が彼女に一人の女の子として惹かれていったのは。
冷たい視線、恥じらいの表情、煌びやかな笑顔。篠森さんの表情の変化をこれほどまでに知っている人は他にどれくらいいるだろうか。考えるまでもなく僕は貴重な立場にいることを理解し、そして優越感すらも抱いた。
「やるよ」
「え?」
「篠森さんのカメラマン」
「本当?」
少しだけ、ほんの少しだけ声を弾ませたように感じる篠森さん。これも僕に向けられたもので、他に何人の人がこんな彼女を知っているだろうかと思うと、やはり優越感が増していく。
「別にお金のためじゃないから、お金はいらない」
本心ではあるが、ただ篠森さんに対して格好をつけたかったからはっきりと口にした。しかしそれを篠森さんは拒否する。
「それはダメよ。税理士も付くくらい事業として成り立ってしまっているんだから。動いた分はちゃんと払う」
税理士まで付いているのか。なんだかその資格者名称に今一ピンと来ない高校生の僕だが、正面の彼女も同い年だ。
「事業と言っても本来は家賃が発生するでしょうから、その本来なら赤字だけどね」
卑屈なことを言う篠森さんだが、一人でやっているのだから立派だと思う。僕は彼女に尊敬の念すらも抱くのだ。事業のことはよくわからないが、それならば調子は合わせておこうと思う。
「わかった。じゃぁ、金額は篠森さんが決めていい。それから僕はバイトをしてるから、そのシフトが入ってない日しか手伝えない」
これに対して篠森さんはまたあの煌びやかな笑顔を向けてくれて了解したのだ。
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