第4話 違和感
始業三日目にいきなり通常授業が始まるのが城田高校だ。新入生の入学式が三日前で、在校生の始業式は二日前なのだから、もう少しゆっくりしてもいいのにと内心嘆く。
ただそれでも、校門前の桜並木は綺麗な風景が好きな僕に元気をくれる。木の幹の途中からピンクに広がったその桜は美しく、手元にカメラがあればシャッターを押しているところだ。
これほどまでに素晴らしい被写体がありながらも、手元にカメラがないことを惜しいと思わないのは、三日前、僕達在校生が義務登校でなかった入学式の日に僕はここに立ち寄り、既に写真に収めているからだ。風で花びらが舞っている今日の桜の顔も撮ってみたいとも思うが、一応の満足はしていた。
登校したばかりの僕は朝のホームルームを待つ間、窓際最後列の自席で机に肘を付いて、開け放たれた教室の窓の外を見ていた。校庭からは運動部の活動の声が聞こえてきて、それは活気があり、今日からこの高校も部活動が再開されたのかと然して興味もないことを理解する。
目の前は開けていて、前の席の主である匠は運動部なので朝練に出ているのだろう。僕はもうスポーツを止めて一年以上になるが、あまり運動不足を感じないのは、撮影のために休日は自転車を漕ぐ時間と歩く時間が多いからだろうか。
そんなことを思いながら過ごしていると、ガラッと椅子を引く音の直後に、ポフッと机の上に通学鞄を置く音が聞こえた。それはすぐ近くからであり隣の席からだとわかる。僕は体を正面に戻し、首を右に捻ると篠森さんの姿を捉えた。
「おはよう」
「おはよう」
いつものとおり聞き取りにくい声量で挨拶を返してくれる篠森さん。顔を向けてくれることもないが、それでも一応の返事はしてくれるので特段気分は害されない。そして思い浮かぶのは一昨日の目撃。彼女はあんな所で何をしていたのだろう。
篠森さんは通学鞄からスマートフォンを取り出すと、鞄を机の横に掛けたのだが、その時に僕を見た。
「何?」
一気に脈が早くなったように思う僕。一昨日のことが気になってジッと見てしまっていたことに気付き、気まずくなる。しかも一年生の時からずっと隣の席でありながら目を合わせるのは何カ月ぶりだろうか。そもそも、朝の挨拶以外で言葉を交わすのは今までにあっただろうか。色々な思いが頭の中を周回する。
篠森さんは無表情で冷たく、その大きく見える瞳……いや、目をしっかり合わせてわかるが、彼女の瞳は本当に大きくて、それにまつ毛が長い。その大きな瞳で真っ直ぐに見据えるものだから、僕はたじろぐのだ。
「あ、いや。ごめん……」
僕は慌てて視線を正面に戻した。謝罪の言葉が口から出て気づいたが、特に謝る必要まではなかったのではないだろうか。ただ、そんなことを思っても後の祭りで、横目に篠森さんがスマートフォンに顔の向きを戻すのが確認できた。
僕もスマートフォンをポケットから取り出した。これは気まずさから泳ぐ目を一点に向けるための行為であって、本当はこの時用事の無かったそのスマートフォンは、意図せずニュースサイトのアプリが開かれていた。いつアイコンをタップしたのかも覚えていない。
そんな時は視線の先に集中しているわけもなく、教室内のクラスメイトの声がより鮮明に聞こえてくる。
「ガチャやってもザコしか出ねぇよ」
「もう課金なんて止めろって」
とある男子生徒の会話はスマートフォンアプリのゲームのようである。片やイライラしている様子が伝わってきて、片やそれを宥めているようだ。スマートフォンアプリのゲームをやらないわけではないが、僕はあまり興味を示さない。
「この服可愛い」
「本当だ。それどこのサイト?」
「コスプレイヤーヒナのブログだよ。私服も載せてんのよ」
「へぇ。そのURL、ラインで送ってよ」
女子生徒はファッションが話題のようだ。そのブログの主は覆面活動をしていてメディアには顔を出さないとかまで聞こえてくるが、僕にはいらない情報だ。ダサくなければそれでいいと思う、ファッションに鈍感な僕の価値観である。
「体育の鈴木、また掲示板に書かれてたな」
「あぁ、見た見た。セクハラがどうとか書かれてた。ざまぁねぇな」
別の場所から聞こえてくる男子生徒の声は書き込み掲示板が話題のようだ。僕はそちらに視線を向けていないが、大方スマートフォンでこれからその掲示板を開くのだろうと思う。所謂学校の裏サイトというやつで、そこにこの学校の教師の悪口が書かれていたのだと認識できる。
平和である。今日もいつものようにこの街は平和な日常を送っている。そしてこの教室ではこの後朝のホームルームが始まり、それを経て今年度最初の授業が始まるのだ。
僕は一度自分のスマートフォンから目を離すと再び窓の外を見た。校庭では運動部が片づけを始めていて、活気ある声も静かになっていた。
今日も校門前の桜並木は満開を維持していて、その華やかなピンクに癒された。せっかくの窓際の席なのに、その桜が見られないことと、僕が通った時は風が吹けば花びらが舞っていたので、散り始めかと感じさせたことが寂しくも思った。
僕は正面に顔を戻す。手元のスマートフォンに目を向けないでいると、視界の真横に篠森さんのシルエットが映り込む。僕は恐る恐る彼女を向いた。できるだけ教室全体を見回すよう装って。
篠森さんは相変わらずスマートフォンに見入っていた。生徒どころか先生とすらもあまり会話をしているのを見たことがない。そんな彼女が見る情報とは一体何なのだろうか。指がそれほど忙しく動いていないので、ゲームではないと思うのだが。
すると篠森さんがこちらを向く気配がしたので、僕は更にその先の教室の後ろ側の入り口に視線を伸ばした。するとちょうど長身の男子生徒が朝練を終えて入って来たところだった。僕の視線が不自然ではないと自分に言い聞かせられるので、都合がいい。
程なくしてその男子生徒が僕と篠森さんの間まで差し掛かったので僕は彼に声を掛けた。
「匠、おはよう」
「おっすぅ」
匠は僕の前の席に無造作に通学鞄を置くと、どんと重力のままに椅子に腰を据えた。身長と肩幅があるので、その動作はどこか威圧感すらも感じるのだが、尤も、本人に誰を威嚇するつもりもないのだろう。
匠が椅子に直角に座り腰を捻って僕を向くと、そのまま雑談を振ってきた。整った顔立ちの匠は朝練で少し疲労の色を見せるが、穏やかな表情だ。
「今日からもう授業が始まるなんてタリィな」
「まぁ、そうだね」
「宿題で予習が出なかっただけマシか」
「まだ教科の係が決まってないから連絡行き渡らないしね」
「あぁ、今日の帰りに係を決めるんだっけ。それもタリィな」
「本当、そうだね」
僕は匠の言葉に相槌を打ってはいたのだが、実はあまり内容は頭に入っていない。視界の真横に映り込む隣人に意識が向いている。
つい先ほどまで見ていた篠森さんは、今まで僕が抱いていた印象とあまり変わらなかった。化粧っ気がなく地味で、その割に黒髪が綺麗でそれを背中に流している。いつものとおり縁なし眼鏡を掛けていて、童顔だ。高校生だと言って疑う人はいないだろうが、中学生だと言って疑う人もいないだろう。尤も、高校の制服を着ていなければだが。
そしてなぜこれほど気になるのかと言うと、一昨日アルバイトに向かう時に抱いた違和感の正体がわからないからだ。彼女に何か変化があったように感じるのだが、その正体が何なのかがわからない。つまり僕は二つの疑問を抱いている。篠森さんが空き工場に出入りする理由と、出て来た時に見た彼女の違和感の正体だ。
そんな僕のモヤモヤに構うことなく予鈴が鳴り、やがて本鈴が鳴るとこの日のホームルームが始まった。
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