第一章

第1話 新クラス

 一見田園風景が広がるのどかな街。しかし首を違う方向に捻ると、大なり小なりの工場が至る所に散見される。

 僕、沖原成おきはら・せいが生まれてから今まで育った都市は、県内内陸部に位置し、田畑が主な割合を占める。しかし機械産業が盛んで工場が多く、無秩序に工場開発が成されていて、統一感のない景色が広がるのもまた特徴である。


 そんな美しくない景色が多いものの、機械産業のおかげで雇用は促進されていて、人口は多い。そのため、都会ではないが生活用の商業施設は多く、市内を線路が縦断している。ただその公共交通機関は十分とは言えず、この都市は専ら車社会である。

 少子化は進んでいるとは言え、国内で騒がれている程の実感はない。事実、市内に高校は十校以上あり、僕が通う城田高校は普通科のみにも関わらず学年に九クラスある。

 今日はそんな城田高校の始業式で、僕は今日から高校二年生である。昇降口前の掲示板で自分の名前だけ確認した僕は、割り当てられた二年五組の教室に入った。


「セイ、おっす。よろしくな」


 教室に入るなり僕の名前を呼ぶのは中学が同じだった岡田匠おかだ・たくみで、彼の言葉と教室内にいるところを見るとどうやら同じクラスのようだ。短髪長身の匠を見上げて僕は朝の挨拶を済ませると問い掛けた。


「座席って決まってるの?」

「あぁ」


 短くそう言って匠が黒板を指差すので、僕は黒板に座席表が貼られていることに気付いた。出席番号はクラス割りを掲示板で見た時に把握していたので僕の名前はすぐに見つかり、座席が窓側一番後ろの席だと確認した。


「じゃぁな」


 匠は僕の肩を叩くと教室を出た。まだ始業時間まで余裕があるので、他のクラスに遊びにでも行ったのだろうか。とは言え僕の頭の中からそんな疑問はすぐに消え失せ、中学以来のクラスメイトとなる匠を見送った後、新しく割り当てられた自分の席に着いた。


 窓際のその席は春の心地よい風が吹き込み、その風が桜の花びらを一枚運んだ。校門の前にある桜並木は満開で思わず目を奪われるほど綺麗だったと、つい数分前に通った記憶が蘇る。

 二階にあるこの教室からその桜並木を見ることはできないが、少しばかり砂埃の舞い上がったグラウンドを、机に肘を付きその手に顔を預けて、ぼうっと眺めていた。グラウンドの奥には小規模な住宅街が広がっていてその多くは二階建てだが、こちらの方が地盤は高いので屋根の色までわかる。


 すると背後で床と椅子が擦れる音が聞こえた。いや、顔を九十度左に向けているのだから、背後ではなくその音は隣の席からであり、椅子を引いた音なのだとわかる。その後すぐに机に通学鞄を置いた音も聞こえたので、隣の席の生徒が現れたのだと思った。その席の主が誰なのか興味を示した僕は、首を反対方向に向けたのだ。


「……」


 一瞬言葉に詰まった。今更黒板の座席表を確認したところで事実は変わらないのだが、なぜこうも無頓着だったのかと自分に呆れる。座席表で隣の席の主を確認することはできたはずなのに。

 尤も、匠の名前ですら昇降口前の掲示板で確認せずに、この教室で顔を合わせて初めて今年は同じクラスなのだと気づいた僕だ。


「おはよう」


 あまり気は進まなかったが無視するのもどうかと思い、僕は今年も同じクラスになった隣の席の彼女に朝の挨拶をした。


「おはよう」


 辛うじて僕の耳に届いた彼女の朝の挨拶は、今にも周囲の雑音で消え入りそうだった。尤も、彼女の薄いその唇の動きも目で追っていたのだから見落とすことはなかったのだが。縁なし眼鏡を掛けた彼女はその瞳を挨拶の時から一度もこちらに向けず、通学鞄からスマートフォンを取り出し、画面に見入ってしまった。


 彼女は篠森弥生しのもり・やよいさん。肩甲骨までありそうな綺麗な黒髪に、透き通るような白い肌。化粧っ気はないが、眉毛は細く整えられているようで、まつ毛は長い。そのおかげか、瞳は大きく見える。尤も、眼鏡のおかげかもしれないし、実際に大きいのかもしれないが、真偽のほどは二年目にして未だわからない。

 綺麗な顔立ちのような気もするが身なりは地味であり童顔だ。体形も身長は小さめで、細身である。ブレザーのこの季節に細身であることをわかるのは、昨年も同じクラスだったからで、夏服の時にそう思ったのだ。また、スカートから伸びる脚も細くてすらっとしている。

 とにかく彼女は無口だ。昨年一年間同じクラスだった彼女が、積極的にクラスメイトと話しているのを見掛けたことがない。昨年も僕が隣の席だったのだが、その僕が挨拶で交わした言葉が一番多いのではないかと思うほどだ。


 僕はそこでやっとクラスの面子を確認しようと思い、フルネームで書かれた黒板の座席表を順に見た。どうやら窓側前から出席番号一番のようで、後ろまで到達すると次の列の最前列に折り返す配置だ。最後の生徒が廊下側後列である。

 今は空いている僕の前の席は匠のようで、前年から同じクラスはなんと、隣の席の篠森さんしかいない。九クラスあって、一クラス辺り四十人近くの生徒がいるのに、どういう割合のクラス編成なのかと頭を抱えた。

 成績も運動も容姿も存在感も何もかもが平均的な僕。それなのに元々親しい生徒は匠しかおらず、どうやら僕は一からクラスメイトとの関係を構築しなくてはならないようだ。


 やがて予鈴が鳴ると、僕の前の座席に匠が着いたことで途端に視界が狭くなる。匠は細身ながらも高身長で肩幅があるせいか、背中を向けられると縦横ともに広く見える。整った顔立ちをしていて運動神経がいいので、女子に人気だとか聞いたことがある。


「担任誰かな?」


 匠が身体を横に向け、更に腰を捻って僕を向く。僕は曖昧に笑って「誰だろうね」と返事をしただけだが、匠はその後も雑談を続けた。このまま始業時間まで僕の相手をしてくれるようだ。


 予鈴から五分後、本鈴が鳴ると同時に入室して来たのは女性の山中先生だった。僕は小さく溜息を吐いた。何故なら昨年と担任が同じだということがわかったからだ。つまり僕は山中先生にあまりいい印象がない。

 山中先生は二十代後半で、それなりに綺麗な顔立ちをしている。一見、男子生徒に人気である。更には人当たりも良くお洒落らしいので女子生徒にも人気だ。僕はファッションに疎いのでお洒落がどれ程のものかはよくわからない。


 これだけならいいのだが、何故僕が山中先生を苦手としているのかと言うと、昨年は一年間一度も席替えをしてくれなかったからだ。つまり僕は今も隣の席にいる篠森さんがずっと隣の席だったわけで、今年もこれが確定事項かと思うとこの先の一年間が思いやられるのだ。

 例えば教科書を忘れたとしても、いつも休み時間はスマートフォンに見入っていて無口な篠森さんに見せてほしいなどと言えるはずもなく、僕は他クラスの同じ中学出身の生徒を頼ったものだ。今前に座っている匠もその内の一人である。

 それでもまだ、匠が前の席にいることはこの年僕がクラス生活を送る上で救いであると思わなくてはならないのかもしれない。


 この日は始業式。山中先生は自身が新担任であることの挨拶と、体育館で行われる始業式の段取りを説明すると、僕達のクラスは体育館に移動した。

 その後、始業式やホームルームは滞りなく済み、帰宅部である僕は特段学校に残る用事もないので、少しのんびりしてから教室を出た。


 一年間通い慣れた通学路。朗らかに晴れたこの日は心地よい風が吹き、自転車通学の僕はその風を体全体で受けていた。学校前の桜並木は気持ちを華やかにしてくれる程綺麗な花で満開だったが、道路沿いの私有地に植えられた一本の桜も、孤独ながら桃色の花をいっぱいに咲かせていて、とても趣がある。

 学校から続く市内の幹線道路。片側二車線あり、交差点では右折の車線が増え、そこから右折車が優にUターンできるほどの広い中央分離帯が整備されている。

 幹線道路の両側には中層マンションや住宅や工場が立ち並んでいるのだが、斑な都市計画の中でこの辺りは建物が多い地域だと実感する。尤も、その建物用途にバラつきがあり統一感のない街並みはこの都市の特徴だろう。

 幹線道路の交通量は多いが、歩道は広く整備されているし路肩も広い。自転車にも優しい道だと言える。街路樹からは正午過ぎの木漏れ日が降り注ぎ、数本の光柱を形成していた。


 そんないつもの通い慣れた通学路で、何の気なしだった。ふと僕は車道とは反対側に目を向けたのだ。


「え……」


 僕は驚いて力いっぱい両手を握りしめ、甲高いブレーキ音と共にその場に足を付いた。

 歩道の脇の敷地は二メートルほどの高低差があり、そこに面した下の敷地に空き工場がある。何故空き工場だとわかるのかと言うと、『テナント募集中』という看板が幹線道路に向いて目立つ箇所に貼り付けられているからだ。

 僕が驚いたのはそこに城田高校の制服を着た女子生徒が入って行ったことにある。小さくて町工場と言える程度の空き工場。そこに入った女子生徒は間違いなく篠森弥生さんであった。

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