第四章

第24話 ツーショット

 匠たちと昼休みに机を囲むようになったことで、それ以降僕と篠森さんに対するいじめはなくなった。未だにクラスの一部の女子からは敬遠されているものの、直接攻撃がないのなら僕としては問題がなく、穏やかでいられる。隠されていたのであろう篠森さんのノートも戻ってきて、これでテスト勉強も安心だ。

 ただ、篠森さんは昼休みの食事を男子と席を囲うことになって困惑が手に取るようにわかる。口数は少ない。それでも僕と二人の時は、助けてくれた匠たちへ感謝の気持ちを口にしていた。僕はそれを篠森さんがいないところで匠たちに伝えている。

 相変わらず篠森さんは不器用だなと思うが、それでも匠たちも理解を示してくれるし、何よりそんな篠森さんが愛らしくも思う。


 しかし、痛感するのは匠が言っていたスクールカーストだが、周囲に無頓着な僕らしく、それまでほとんど気にしたことはなかった。

 当初匠は、いじめの主犯である牧野に何かしら制裁を加えようと考えていたそうだが、昼休みの光景だけで牧野が大人しくなったから結局何もしていない。女子に人気の匠が筆頭の男子グループの影響力を思い知らされた。それでも「次はない」と暗に釘を刺したそうで、やや恐ろしくも感じる。


 そしてもう一つ安心したのがアルバイト先での三島さんだ。三島さんを振ってしまったのは心苦しかったのだが、彼女は無理なくいつもどおり接してくれた。恐れ入ると同時に感謝ばかりである。

 その三島さんと何を話したのかわからないが、僕と同じクラスの高橋さんと彼女のグループからはもう邪険にされている気がしない。そもそもそれほど親しくしていたわけではないので、遠からず近からずの関係である。


 つまり学校、アルバイト共に平和が訪れて、そして七月を迎えたわけで、この暑い時期を穏やかに過ごすことができていた。


「沖原君」

「何?」


 七月最初の日曜日、僕は篠森さんが洋裁をする工場の衣装部屋にいる。篠森さんは僕の隣でミシン作業をしているのだが、冷ややかな声色で僕を呼んだのだ。因みに甘いもので釣って僕から話し掛けたわけではない。篠森さんが作業中の手を止めずに徐に口を開いた。


「顔、気持ち悪い」

「それはどうしようもない」


 篠森さんから罵られるのももう慣れたもので、僕は締まりのない表情のまま受け答える。言い換えるなら、開き直ってもいる。


「何なの?」

「だってもうすぐじゃん」


 人生でこれほど自分の誕生日が待ち遠しく思ったことはなく、今から既に僕の顔は緩みっぱなしである。もちろん篠森さんも僕がこんな状態であることの理由はわかっていて、それで呆れたように小さく溜息を吐くのだ。


「今日は自分の撮影には行かないの?」

「昼過ぎに行こうかな……」


 タタタタタとミシンが進む。僕の予定に篠森さんが素っ気無く示すのが少し寂しいと思うので、僕はもう一声足す。


「篠森さんは一緒に行かない?」


 やはり篠森さんは何も答えずミシンを進める。さすがにこれは落ち込みそうになるが、彼女は彼女でやることがあるのだから理解する他ない。


「今日は一人で行くね」

「別に行かないなんて言ってない」


 すかさずそんなことを言う篠森さんは本当に素直じゃないと思う。それなのに好きなもの、例えば甘いものだが、そういうので釣られた時は素直に甘えるからそのギャップがずるい。照れながらも甘えたり、顔が見えない僕の背中で甘えたり、そういうところが僕の心を掴むのだ。


 学校では公認のカップルになった僕達だが、しかし事実は違う。それでも篠森さんが自分の気持ちに向き合うと言ってくれたのだから、僕は旅行中の約束を守って、篠森さんの気持ちを待つつもりだ。

 僕が約束を守れた場合に彼女になることを約束してくれた篠森さんだが、自分の気持ちがそれまでに整理できていなかったらどうするのだろう。そんな一抹の不安もなくはないが、ただ、今は篠森さんを信じて待つことにしたいと思う。


 そしてその旅行の計画も着々と進んでいる。宿泊先や航空券の手配はもう済んでいて、予算も収まる範囲で大方出揃った。ダブルの部屋はさすがに取らなかったので、それは寂しいような安心したような複雑な気持ちもあるが、それでも同じ部屋は平気で取るから篠森さんは本気で僕を試すつもりだと痛感した。


「今日はどこまで撮りに行くの?」

「そうだな……、そう言えば篠森さんって、僕の家の近所の公園はついて来たことないよね?」

「そうね」

「僕が一番行く場所なんだけど、どう? ……と言っても広いだけでこれと言って珍しいものがあるわけではないんだけど」

「いいわね」


 その言葉に安堵する。結局なんだかんだ言っても篠森さんは僕の行動に興味を示してくれるので、それがやりやすく嬉しくもあるのだ。


 この後十二時を過ぎると僕達は工場を出て、途中ファーストフード店で昼食を取ると、僕の自宅近くの公園までやってきた。篠森さんは道中、荷台の前後に手を掛けて僕に触れることはなかったので、それに僕が寂しさを感じたことは彼女には内緒だ。

 この日、公園内のグラウンドでは草野球をしているチームがあり、人の声が賑やかであった。それでも穏やかに晴れた休日で、夏の暑さは厳しいものがあるものの、とても気持ちのいい撮影日和でもあった。


「ここが沖原君の一番来る場所なんだ」

「うん。どう?」

「賑やか」


 僕と肩を並べて歩く篠森さんは後ろに手を組んでいて、日差しに若干眉を顰めている。活発な印象のない色白の彼女なので、こんな暑い日はなるべく早く切り上げて屋内に避難しようかと頭の中で予定を組んだ。


 砂場や遊具では幼児から小学生くらいの児童が遊んでいて、グラウンドからの声に負けず劣らず賑やかだ。脇のベンチでは付き添いの母親らしき人達が談笑をしている。僕達の年代は見渡す限り確認できない。

 歩いているとシロツメクサの周囲にモンシロチョウが飛び交っているのを見つけ、一度シャッターを押した。その時に屈むと僕の隣で篠森さんも屈んだのだが、肩が近く必然と顔も近いので僕は狼狽えた。


「四つ葉あるかな」


 そんなことを言う篠森さんが凄く素朴で、彼女に見惚れていた僕が何も言葉を発することができないのは言うまでもなく、篠森さんが言葉を続けた。


「次の服のデザインテーマ、クローバーにしようかな」


 そう言って篠森さんがシロツメクサに手を伸ばすとモンシロチョウが離れて、僕はと言うと、その時に少し距離ができた篠森さんに向かってシャッターを押していた。すかさず膨れた表情の篠森さんが僕を睨む。


「なんで勝手に撮るの?」

「いやぁ……」


 乾いた笑いで誤魔化す僕だが、篠森さんがカメラに手を伸ばそうとするので僕は咄嗟に身を引いてカメラを守った。絶対彼女は今撮った画像データを消去するつもりだ。


「今のは横顔じゃ済まないでしょ」

「横顔だよ」


 僕は嘘を言っていない。間違いなく横顔だったのだが、以前河川敷の公園で撮った時よりも距離が近かったので、より鮮明に撮れたことは篠森さんには内緒だ。


「消して」

「嫌だ」

「消しなさい」

「絶対嫌だ」


 膨れた表情の篠森さんもぐっと来るものがあるのだが、彼女の瞳は真剣なので少し怖い気持ちもある。だから僕の乾いた笑みはやや強張るのだ。


「本当に横顔だから」

「前もそう言って消さなかった」


 この日はそう簡単に引いてくれない篠森さんに困る。尤も、勝手に撮った僕が言うのもおこがましいことではあるのだが。すると、近くのベンチに座っていたはずの女性から声を掛けられた。


「あの……集合写真撮りたいんで、もし良かったらシャッターをお願いできませんか?」


 その声で僕が女性を見てからベンチの方を見ると、幼児や児童やその保護者らしき女性たちが集まっていた。


「はい。大丈夫です」


 僕は快く承諾すると、その女性が手に持っていたスマートフォンを預かった。篠森さんの追及が止んだことに安堵する。そんな思惑がありながらも僕は頼まれたシャッターを押した。


「もし良かったらお二人のも撮りましょうか?」


 女性にスマートフォンを返すと思いがけない提案に僕はすぐに篠森さんを向いた。彼女にもその声は聞こえていたようで、俯いている。僕は篠森さんに問い掛けた。


「どうする?」

「沖原君が撮りたいなら」


 断られると思っていたので、これは意外だった。篠森さんの基準が良くわからないが、二人で写真に納まることは問題ないらしい。僕はその言葉が嬉しくて女性にお願いした。

 篠森さんと画像データの共有がしやすいように僕は首から提げた一眼レフのカメラではなく、自分のスマートフォンを女性に預けた。そして女性の「笑ってぇ、はい、チーズ」という発声のもと、僕と篠森さんは初めて一枚の写真に納まったのだ。


「ふふ、これからも仲良くね」


 笑顔でそんなことを言ってスマートフォンを返してきた女性は集団に戻り、その集団はこの場から離れて行った。もちろん篠森さんもその言葉を耳にしたわけで、少し顔を赤くして視線を逸らしていた。

 僕の手に残ったスマートフォンには恥ずかしそうにやや伏せながらも、上目でしっかりカメラに目を向けた篠森さんが僕の隣に写っていた。そしてその手は僕のシャツを摘んでいた。

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