第25話 誕生日

 この日は授業の内容も頭に入らないほど浮かれている僕だが、それは仕方がない。なぜなら、放課後は篠森さんの工場に行って、篠森さんが誕生日を祝ってくれるのだから。

 クラスで僕の誕生日を知っているのは、僕のブログを知っている篠森さんと匠くらいだが、匠は完全に失念していた。それは昼休みのことだ。


「セイ、今日は朝からやけに気持ち悪……ご機嫌だな」

「まぁね」


 篠森さんは無口だし僕の隣で黙々と弁当を食べているので、匠に教えることはしない。僕も顔は締まらないものの、誕生日をアピールするのは物を乞うようで抵抗があるから自分からは言わない。


 僕は午後の授業中も浮かれた気分が抜けず、先日の日曜日に篠森さんと納まったツーショットの写真を眺める。すると突然スマートフォンが振るえて、ラインがポップアップで画像を隠し、メッセージを告げるのだ。


『授業中にまで見るな、気持ち悪い。その画像強制消去させるよ』


 表示されたそのメッセージを見て僕が隣の席に首を振ると、篠森さんがスマートフォンを机の中に仕舞ったのが見えた。僕はニヤニヤするのが抑えられないのでしっかり俯いて、すかさず机の下で篠森さんに返信文を打った。


『バックアップ取ってあるから、スマホの画像くらいでは痛くない』


 得意げな気持ちで送信ボタンをタップした瞬間、コツンと後頭部に微かな痛みが走る。気づいた瞬間には既に遅く、先生が僕と篠森さんの間に立っていた。その手には教科書が持たれているので、その背表紙で小突かれたのだとわかった。

 先生は僕に向かって手を差し出す。僕は苦笑いしか出ない。篠森さんは我関せずと言った感じで、こちらに顔を向けない。どうやら彼女は先生の接近に気づき自分のスマートフォンを机の中に隠したようだ。


「授業中の操作は禁止。没収」


 先生のその言葉に僕は観念して、スマートフォンの電源を切ると渋々手渡した。ロックはしているのでよほど問題はないだろうと思うが、やはり落ち込む。


 結局次の休み時間に職員室まで行って、説教を受けた後にスマートフォンは返してもらった。そして教室に戻ってきた僕が席に着くなり篠森さんが僕にしか聞こえない声量で言ったのだ。


「ばーか。ざまぁみろ」


 悔しいが、言い返せない。いや、言い返せないから悔しいのか。彼女の方が一枚上手だったなと思いつつも、ツーショット写真を失ったわけでもないのでそれほどダメージはないと開き直る。


 結局僕は締まりのない表情のまま、篠森さんしか僕の誕生日を認識しないままこの日の学校を終え、放課後を迎えた。


「沖原君、今日も一日気持ち悪い」

「えぇ? ダメ?」

「別にダメじゃないけど……」


 校舎を出て僕と肩を並べて歩く篠森さんはこの時までは無表情だったのだが、いきなり俯いたかと思うと黒髪から除かせる耳を赤くして言ったのだ。


「ちょっと頑張ったから……楽しみにしてくれるのが嬉しくはある」

「そっか。それは僕にとっても嬉しい」


 昨日はアルバイトがあって僕は工場に行っていない。頑張ったとは昨日までの篠森さん自身のことを言っているのだと思うが、何をしてくれたのか心が弾む。僕のためにしてくれたということがやはり嬉しく、僕の足取りは軽い。


 やがて駐輪場から自転車を出し校門の外まで出た。

 いつもの桜並木で篠森さんを荷台に乗せると僕は自転車を進め、すぐに幹線道路に差し掛かった。そこを折れ、しばらく真っ直ぐ走る。夏の日差しは強く、汗が吹き出てくる。篠森さんに汗臭いと思われていたら嫌だなと思いながら、それでも慣れてもいることだと開き直る気持ちも抱き、工場に着いたら持っているタオルで汗を拭こうと考える。

 その篠森さんは過去二回あったように僕の腹に腕を回してくることはないが、背中に柔らか感触があるので肩を預けているのだろうと思う。


「今日は、洋裁はしないの?」

「そのつもり」

「撮影も?」

「うん」

「ありがとうね」


 放課後の時間を僕のためだけに使ってくれることが嬉しくて僕が礼を口にする。すると肩に硬い感触があり、首筋にくすぐったいものも感じるので、篠森さんの頭かなと喜ぶ自分がいる。背中に感じるこれらの篠森さんの感触が僕は好きだ。

 歩道と車道の間の路肩を軽快に走り抜けると、暑さの中に幾分心地いい風を受ける。隣の車道から車に追い抜かれる時に生ぬるい機械の空気を置いていかれるのはいただけないので、車道を向いて横向きに座る篠森さんが不快に思わないかは少し気にしている。


 程なくして角にコンビニが見えたので僕は篠森さんに問い掛ける。


「寄ってく?」

「寄らない」


 僕も特に寄りたい用事はない。僕達はそのままコンビニの前を通過し、横断歩道の手前に差し掛かった。その横断歩道の先には何をするでもなく中年の女性が立っている。そう言えば、雨上がりの日にも見た人だなと思い出した。

 篠森さんは車道側を向いているから気づいていないと思うし、前回も同様であったからこの女性がその時も立っていたことは知らないだろう。


 前回は水溜りを避けるなど周囲に目配せをしていたので、この女性がどこに視線を向けていたのかあまりわからなかったが、なんだか今日は僕達をじっと見ている気がする。とは言え、信号も青なのであまり気にすることなく僕は横断歩道の脇を走りぬけ、女性の横を通り過ぎようとした。


 するとその時突然、女性が地面を勢い良く蹴って僕の自転車に近づいた。


 いきなりのことで焦ってブレーキに手が掛かったが、その時には後輪が左右に振られ、荷台から重量感が無くなった。そして背中に感じていた感触も一緒に消えた。

 その直後に隣の車道後方からキィッという甲高いブレーキ音が聞こえ、その音を発したと思われる白いセダンが僕を追い抜いた。そしてなんと、その車のボンネットの上には高校の制服を着た女の子が転がっていた。


 思考と足が止まった状態の僕の数メートル先で車が急停車したかと思うと、更に数メートル先に女子高生は飛ばされて、アスファルトの上で転がった。一度は握ったブレーキを離し、惰性で走る自転車に跨っている僕はその女子高生に向かって進んでいた。


 その女子高生が誰なのか認識した瞬間、僕から音と色が無くなった。


「篠森さん!」


 確かにそう叫んだと思うのだが、僕の耳は何も感じておらず、喉が掠れる痛みを覚えた。

 僕はモノクロの視界の中、目一杯ペダルを漕いだ。そして篠森さんのもとまで辿りつくと自転車を突き飛ばすように放り投げて、車道に投げ出された篠森さんのもとで手と膝を付いた。


 この後の記憶は曖昧だ。ただ、篠森さんの眼鏡は飛ばされていて、目を開けない篠森さんの額から血が流れ始めたことは覚えている。

 真夏の太陽に照らされたアスファルトは熱かっただろうか? どうだろう、掌は熱かったように思う。けど灼熱のアスファルトの上で篠森さんはもっと熱かったのではないだろうか。


 たぶん僕は篠森さんの体には触れなかったと思う。触れていいものなのかもわからなかったから。けど篠森さんは苦しそうな表情はしていなかった。いつしか見た寝顔のように穏やかに眠っているようだった。……と思う。

 そんな表情を見ながら喉が掠れる痛みを感じ続けたのは、僕が篠森さんの名前をずっと呼んでいたからだろうか。それこそ灼熱のアスファルトの上で喉が焼かれたようにも思える痛みだった。……と思う。


 通い慣れた通学路の普段は立ち入らない車道。篠森さんを自転車の後ろに乗せることも慣れて当たり前になっていた。けど彼女は突然僕の後ろからいなくなった。

 恐らく篠森さんを轢いた運転手が救急車を呼んだのだろう。現場検証があったような気もする。どうやってここまで来たのかもはっきり覚えていない。記憶がはっきりした時、僕は病院の処置室前の長椅子に座っていた。

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