終章

エピローグ

 真夏にも関わらず北の大地は異国に来たかと錯覚させるほど涼しくて過ごしやすい。僕と篠森さんは二人で念願の旅行に来ていた。僕達は今、観光地でもある紫一面のラベンダー畑を散策している。


「沖原君」

「何?」


 モジモジした様子で俯いている篠森さんの周囲はラベンダーで足元が埋め尽くされ、それを背景にした彼女はとても可愛らしく、何に対してかはわからないがその恥じらいの表情がとても素敵だ。

 彼女はこの時珍しく自分で作った服を着ている。それは白を基調としたワンピースでワンポイントの四葉のクローバーがあしらわれたとても清楚な感じのする服だ。

 退院してから最初に作った服で、旅行に間に合ったことを喜んでいた。彼女のイメージに合致し、良く似合っている。僕がその服を褒めると真っ赤になって照れて俯いていたことを思い出す。


「あ、あの……」


 とても言いづらそうにする篠森さんだが、その手が少し前に出ては引っ込めてを繰り返しているので、察するところがあった。


「これは約束違反にならないよね?」


 思わず僕も照れてしまって明後日の方向を見ながら頬をぽりぽり掻くのだが、反対の手はしっかりと篠森さんの手を握った。


「うん」


 横目に見える篠森さんも恥ずかしそうに顔を赤くして俯いたままだが、返事をすると僕の手を握り返してくれた。そして僕達は手を握ったまま肩を並べて、散策を続けた。僕の胸には首から提げられたカメラが揺れている。


「私、眠っている間、夢を見てたの」

「え?」


 僕は歩を止めずに篠森さんを向いた。篠森さんは新調したばかりの縁なし眼鏡を掛けているが、薄く化粧を施していてとても綺麗だ。艶やかな黒髪は旅行前に整えて、前髪は昨年のように眉辺りまで短くし、縦にすいている。サイドはこめかみ付近で可愛らしいヘアピンを使って留めていた。


「沖原君と一緒に旅をしてた」


 それは僕にとって嬉しい情報で、篠森さんが眠っている間、何度そうであったらいいなと妄想しことかと思う。


「私の自分探しの旅だったんだけどね、沖原君は今みたいにカメラを首から提げてた」

「そっか」


 思わず篠森さんの手を握る僕の手が締まるが、この時僕は温かい気持ちになっていてこの喜びをどう表現しようかと考えていた。むしろこのまま篠森さんの少しキーの高い耳に心地いい声を聞いているのも悪くない。


「日本中を回ってて、これからは世界だってところで目が覚めた」

「何か見つけられた?」

「うん。帰って来てから、つまり、目が覚めてからなんだけど、私には沖原君が必要なんだと思う」


 ドキッとした。暴れる心臓に落ち着けと言い聞かせて、続けて篠森さんの言葉に耳を傾けた。


「それから沖原君にももう私はいなくてはならない存在なんだって、毎日一緒にいてくれたことでそれを実感できた。それもあって事件やいじめで後ろめたい気持ちがありながらも沖原君から離れられなかった」


 もう、抱き締めてもいいだろうか? いや、ダメだ。病室では一度だけ許してもらったが、結局それ以降一度もそういうことはしていない。せっかく大好きな人が彼女になってくれるかもしれないのに、その前提の約束を破るわけにはいかない。


「それでね」


 そう言って篠森さんは足を止めた。そして僕を向くので僕も篠森さんを向いたのだが、篠森さんが手を離す様子はない。僕達は手を繋いだまま対面した。篠森さんは恥ずかしそうにしながらも、それでも一生懸命僕を真っ直ぐに見据える。


「私はもう沖原君との旅からは一度帰って来たの」

「うん」


 ドキドキするのだが、今一篠森さんの言いたいことまでは読み取れない。ただ彼女が何かを決意したような強い意思をその大きな瞳に覗かせるので、僕の動悸は激しい。


「だから私はもう沖原君の彼女になってもいいかな?」


 心臓が大きく脈打った。さっきから落ち着いてはいないのだが、その波は止まることを知らず、最高値をどんどん更新する。


「う、うん。是非」

「だからね、その……。私はちゃんと自分の気持ちと向き合えたの。それから……、沖原君は実はもう旅行中の約束を守ったんだよ」

「え……」

「私の中ではだけど」


 一瞬頭が真っ白になった。これを誘い文句と捉えるのは僕の自惚れた勘違いだろうか。身体が硬直してうまく動かないし、口元が強張って小刻みに震えているような気がする。


「その……」

「は、はい」


 思わず緊張して肩に力が入り、畏まってしまう。しかしよほど頑張っているのだろう、篠森さんは僕から目を逸らさない。だから僕も篠森さんから目を逸らさない。


「ラベンダーに囲まれたこの綺麗な場所で、私の最初の……その……。そういうことができたらいいなって……」

「えっと……、周りに人いっぱいいるけどいいの?」

「うん。今はそれよりも沖原君が憧れてきたこの場所っていうのが素敵だから」


 僕は篠森さんから手を離した。そして篠森さんの肩に両手をそっと乗せた。涼しい風が吹き抜けるこの場所で、たくさんのラベンダーが僕達を包んでくれた。

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閉鎖主義の彼女は眠りに就く 生島いつつ @growth-5

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