第7話 彼女の秘密

 工場の中に入ってまず驚いたのが、そこが撮影スタジオになっていたことだ。三脚に据えられた一眼レフのカメラとストロボはとにかく目立ち、ここが撮影スタジオ以外の何ものでもないことを告げる。背景用のロールスクリーンもあり、ロールが複数あることから何種類かの色が用意されているようだ。

 隅には小さなデスクにノートパソコンが置かれていて、カメラと繋がっているので、撮影データがそのまま飛ばされているのだとわかる。

 床はコンクリートで、柱や梁の鉄骨がむき出しのこの工場は、学校の視聴覚室よりは少し広いくらいだろうか。奥に扉も見えるが、この空間は平面が正方形のように感じる。外から見た時は奥に長い印象だったが、あの扉の向こうにまだ同等の容量の空間がありそうだ。


「沖原君」


 篠森さんの僕を呼ぶ声が聞こえたので僕は彼女を向いたのだが、この時の彼女の表情と言ったらない。見た瞬間、脳天をハンマーで打たれたような感覚に陥り、同時にぐっと込み上げてくるものがあった。

 篠森さんは見慣れた眼鏡を掛けておらず顔を真っ赤にして俯き加減で、更に上目遣いで僕を見ていた。それが魅力的で恥ずかしく、僕は彼女を直視できないのだ。童顔にツインテールの髪型とカチューシャはともて良く似合っていてアイドルではないかとさえ思う。そして耳まで真っ赤にして縮こまったその仕草がとても可愛らしいかった。


「秘密にしてほしい」

「あ、うん。わかった」


 何を秘密にして欲しいのか、これだけのものを目にしてその境界線ははっきりとしないが、とりあえず彼女に関することは今のところ誰との話題にも出ないと思う。だから僕は頬をぽりぽり掻きながら明後日の方向を向いて了解することができた。


「沖原君、もしかして私がここにいること知ってて来たの?」

「うん、ごめん。そこの幹線道路が通学路で、篠森さんが出入りするのを何回か見たことあったから」

「だから部屋探しのサイト……。最初は焦ったけど、偶然かと思って気にしてなかった」


 口元に手を当てるメイド姿の篠森さんの言葉は、今日の授業中に開いてしまった不動産広告のことを言っているのだとわかった。

 とにかく彼女が秘密にしていることは理解したのだが、内容はまだ全くわかっていない。聞いたところで答えてもらえるのかもわからなかったが、僕は意を決して聞いてみることにした。尤も、彼女が今あの冷たい目だったら、怯んで聞く気にはならなかっただろうが。


「色々聞いてもいい?」

「はぁ……。こっちで話そう」


 一度深い溜息を吐くと篠森さんは僕を奥の扉に案内した。その様子と、その時の表情から人に知られることが不本意なのだとわかる。それでも秘密の一端を僕に知られてしまって観念しているのだろうが、なんだかその秘密を人質にしているみたいでこちらが心苦しくなる。


 篠森さんに案内されて入った奥の部屋を見て、僕はまた驚いた。そこは今までいた撮影スタジオの半分よりは少し大きいくらいの部屋だろうか。とにかく女性ものの服がキャスター付きのハンガーラックにたくさん掛けられているのだ。ファッションに疎い僕でもわかるが、それは若者向けであり、加えてコスプレ衣装もたくさんある。

 それを目にして篠森さんの今の姿はコスプレだと理解した。コスプレ用の衣装は室内の中央に満遍なく敷き詰められたハンガーラックの三分の一ほどを埋めている。僕でも知っている漫画やアニメのキャラクター衣装から、まったくわからないものまである。その他は全て洋服だ。

 その衣装の奥には幅広の執務デスクが二台あって、一台にはデスクトップパソコンが置かれている。もう一台は電動ミシンが置かれていた。その脇には全身ミラーがある。


「そこ座って。コーヒーでいい?」

「あ、うん」


 この部屋に入ってからずっと呆気に取られていた僕だが、篠森さんの言葉でやっと我に返った。撮影スタジオは一切の照明が点いていなかったのだが、この部屋は天井に設置された照明が点灯していて明るい。その明るさの中で見た篠森さんの顔は、先程よりも魅力的なのだが、それがなぜなのか僕にはわからない。


 僕が篠森さんから促された四人掛けのテーブルに着くと、篠森さんは更に奥の扉を開け、姿を消した。コーヒーは奥で用意するようで、飲物を用意してもらえることの意味を僕は噛みしめる。篠森さんは肩を落とした様子を見せていたのだが、ある程度は答えてくれると考えても良さそうだ。

 僕が着いたテーブルは中央一面のハンガーラック群を挟んで、執務デスクとは反対側の今入ってきた入り口寄りにある。その四人掛けのテーブルより入り口に近い方には長机と一脚の丸椅子があり、長机の上にあるのはメイク道具のようで、大きめの置き鏡もある。


「あっ」


 繋がった。篠森さんがこの工場から出たのを見掛けた時に抱いた違和感の正体がわかったのだ。あの時彼女は恐らくメイクをしていた。そして髪型も触った後で幾らか癖が抜けていなかったのだ。思い返してみると少しボリュームがあったような気がする。

 そして今も篠森さんはメイクをしている。だから明るい部屋に移動して彼女がより魅力的だと思ったのだ。学校では化粧っ気がなく、地味な印象の篠森さんだが、今はとても可愛いらしい表情をしている。


 それにしてもハンガーラックに吊るされた服の数は多い。そもそもハンガーラックの数が多い。そしてコーヒーを淹れにいったのであろう篠森さんはなかなか戻って来ない。

 手持無沙汰の僕は暇つぶしにハンガーラックの数を数えてみたのだが、なんと九台もある。しかも壁際には積み上げられたプラスチック収納も並べられていて、この部屋の衣料の数が底知れない。プラスチック収納の横には棚が並べられているのだが、少々の本と、糸や丸められた色とりどりの布が陳列されていた。ウィッグもあるようだ。


「お待たせ」


 奥から戻って来た篠森さんは装いを城田高校の制服姿に変えていた。着替えていたから遅かったのかと納得するのだが、髪型とメイクはメイド服の時のままで、いつも学校で見る顔とは違うその雰囲気に僕は人見知りをしてしまう。確かに篠森さんなのだが、とても麗しく、僕は落ち着かない。


「で? 何から話せばいい?」


 お互いの手元にホットコーヒーを置いてくれた篠森さんの方が切り出したのだが、普段と違う雰囲気の彼女を前に緊張してしまっている僕はそれに救われた。聞いていいかと言っておきながら切り出せそうになかったから。それでも僕はまだ鼓動が落ち着かないので、コーヒーを一口啜ってから質問を始めた。


「えっと、ここで何をしてるの?」

「裁縫」


 短くそれだけ答える篠森さんを見て、僕はその言葉だけでやれやれと挫折しそうになる。どうやら質問に答えてはもらえるようだが、多くを語らない姿勢が手に取るようにわかる。いや、もしかしたらこれが彼女のスタンダードなのかもしれないと、隣の席のクラスメイトながら彼女とあまり話したことがない僕は悟った。


「具体的には?」

「洋裁」

「これ全部篠森さんが作ったの?」


 僕はハンガーラックに吊るされた洋服やコスプレ衣装に目を向けて質問をすると、篠森さんも同じ方向に目を向けて肯定してくれた。この時の篠森さんの声はとても聞き取りやすい声量なので、学校とは違う一面だ。


「そうよ」

「なんのために?」


 その時に篠森さんに向き直ったのだが、同時に篠森さんも真っ直ぐ僕を見るものだから、その美貌に圧倒される。


「趣味」


 篠森さんの先ほどまでの恥じらいの表情は和らいでいて、心なしか学校での冷静な瞳に近づいているようにも思う。喉がカラカラに乾くので僕は一度コーヒーを啜り口と喉を潤した。


「自分で着ることが趣味なの?」

「違うわ。作ることが趣味なの」


 初めて二文の回答をもらえた。この調子で質問をしていけば少しは僕と話す気になってくれるのではないかと微かな期待を抱く。そしてそれは正解であった。


「じゃぁ、なんでさっきはあんな格好を?」

「撮影のため」


 その回答で思い出されるこの前に通った広い撮影スタジオ。そこで撮影をしていることは疑いようもないが、では一体誰にシャッターを押してもらっているのだろう。


「撮影は他に協力してくれる人がいるの?」

「いないわ」


 これは意外であった。自分で撮っているというのだろうか。その辺りの諸々の質問をしようとしたら篠森さんが「はぁ……」と一度深く息を吐いて話し始めた。


「私は洋裁が趣味で、ここで作ってネットに上げてる。沖原君も知ってのとおり私には友達がいないからモデルを頼める人もいない。だから自分で着て、遠隔装置を使って自分で写真を撮ってる。今日はできた服を試着して、これから撮影するつもりだった。顔はメイクや手でできるだけ隠してるから秘密にしてほしい」


 やっとこれだけのことをいっぺんに話してくれたことが僕は嬉しく、初めてまともなコミュニケーションが取れたのではないかと思った。友達がいない発言などは笑えないのだが、それでも僕が知る限り事実なので呑み込むことにする。

 他にも色々と聞きたいことはあるのだが、僕は秘密にしてほしいと言う篠森さんの希望を尊重して「わかった」と返事をした。

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