第19話 科学部、計算する!

 十分後。金太の思いがけない特技のお陰ですっかり機能的に片付いてしまった洞穴の中は、なかなかに住み心地は良くなった。勿論足元はごつごつした岩肌がそのまま出ているのだが、奥の方に設えた『なんちゃってベッド』はシダの葉がしっかり干してあって座り心地がいい。今は姐御と教授と金太がそこに陣取っている。


 ベッドのちょっと手前には焚きつけ用のシダの葉が積んであるが、これも焚きつけに使うまでは普通にソファ代わりにできそうだ。今は二号の専用の仕事場と化している。簡単に言えば二号はここでも魚籠びくを編んでいるのだ。働き者の部長である。


 その手前にはいかだのように組んだ小さなロボクテーブルがあり、そこに貝殻に入れた魚脂を利用したロウソクが置いてある。魚脂は黒い煙が出るうえ、匂いもするので、暗くなるギリギリまで灯りは点けないのであろう。


 横には大きな金盥かなだらいの中にヒボドゥス肉が塩漬けにされている。あれから教授と姐御が外で血を洗い流している間に、二号が全部漬け込んだものだ。そしてその上には編みかけの籠が蓋をするように置かれており、横にはグロッソプテリスの葉に積まれたヒボドゥスのステーキが乗っている。

 よくまあ、この短時間でこれだけ機能的に片付けたものである。


「金太、いいお嫁さんになるわよ」

「姐御先輩のお嫁さんにし――」

「黙れオカメミジンコ」


 相変わらず姐御の比喩には容赦がない。


「僕も暇ですし、一緒に魚籠、編みますよ」


 と、教授も二号と一緒に籠を編み始めるのを見て、金太と姐御は「手先が器用な人はいいねー」などと溜息をついている。


「あたしたち、肉体労働専門だもんね」

「そうっすねー。でも教授はどっちもいけますねー」

「そうよねー、手先も器用だし、肉体労働もできるし、頭も良いし、脱いでもスゴいし、きっとあっちの方も……いやん、教授って、学校にいるよりもこんなところにいた方が素敵!」

「俺もそんな事、姐御先輩に言われてえ~」

「先ずは原核生物から進化しないとね」

「二人、黙々と編んじゃってますよ。俺たちも暇つぶしに交配でもし――」

「黙れアオミドロ」


 さっきより退化していないか?


「じゃあ、一つ暇潰しに物理の話でもしよう」


 暇潰しにするような話なのか教授!


「難しい話は俺には理解できねーし」


 教授は籠を編む手を止めることなく、ニヤリと金太に笑いかける。


「姐御先輩の胸の重さはどれくらいだと思う?」


 思わず至近距離でそのチャレンジャー海淵かいえんのような谷間を覗き込んでしまった金太、自らの鼻血の反作用により吹っ飛び……はしなかった。ここは洞穴内である。


「てか、チャレンジャーカイエンってなんすか?」


 解説しよう。

 チャレンジャー海淵とはマリワナ海溝の最深部であり、地球上の海底の最深部でもある。水面下10911mとされ、地球の中心からは6366.4kmの地点である。以上!


「毎回そうやって鼻血の反作用で飛んで行くがな、金太。それははっきり言って少年ナントカって言う漫画週刊誌の世界ではよくあることだが、実際には起こりえない。それをお前は毎度やっているという意識はあるか?」

「お、俺が?」


 きちんと漫画のような反応である。自分の役割をちゃんと理解しているようだ。


「そうだ。例えば仰角π/4で1.00×10²m吹っ飛ぶと考える。その時の速度は√(距離×重力加速度)と考えて、√(1.00×10²m×9.80 m/s²)、つまり約31.3m/sとなる」

「1.00×10²mってなんだよ、日本語で言えよ」

「教授、金太サルでもわかるように言わなきゃ。普通に100mって言ってあげて」

「僕はこれが普通なんですが……仕方ないな。上向き45度の角度で100m吹っ飛ぶと考えて、その時の速度は√(100m×9.80 m/s²)で秒速約31.3mとなる。これを時速に直すと、31.3m/s×3600s/hで約113000m/h、これをkmに直すと113000m÷1000で時速約113kmということになる」

「空気抵抗は計算に入れてないねー」

「そうですね。単純計算です。金太の体重を100kgとして――」

「俺は96kgだ!」

「黙れウチワヒゲムシ、四捨五入だ」


 ついに教授にまで微生物扱いされている。


「仕方ない。金太の体重を96kgとして1kgの鼻血を噴射したと考えると、金太の体重は95kgになる。運動量保存の法則から計算すると、(鼻血1 kg×-鼻血の噴射速度)+(金太の体重95 kg×金太の速度31.3m/s)=0となるので、鼻血の噴射速度はアバウトに2973.5m/s、約3000m/sと考えて時速に直すと3000×3600÷1000で10800km/h、マッハ1を1224 km/hと考えて、約マッハ9のスピードで鼻血を噴射していることになる」

「ナチュラルに衝撃波が発生するねー」

「そうですね。金太の存在自体が少年漫画です」


 姐御の瞬殺も酷いが、理詰めで存在を漫画にされるのもかなりキツイ。しかも籠を編みながらというこのシチュエーションが、更に更にキツイ。


「あたしたち衝撃波で吹っ飛んだことないけど」

「ですから、漫画なんです。これで小説が成り立つと思ってるんですから、全くおめでたい作者です」


 え、こっちに振る?


「絶対に数学の得意な読者が『なんとかしてこの作者にツッコミ入れてやろう』なんて重箱の隅をつつく勢いで計算してケチ付けてきますよ、楽しみですねザマミロ」


 このキャラ、作らなきゃよかった。こいつ性格悪い。やっぱサメに食わせるべきだった。


「それより教授、そんなどうでもいい計算してないで、21世紀に帰るためのタイムマシンの設計でもしろよ。物理屋なんだろ?」

「計算ができてもねー、シダと節足動物と海水しかないこの世界じゃあねー。幼稚園の砂場で、最新鋭のAIを搭載したアンドロイドを作れって言ってるよーなもんだからねー」


 二号、例えはめちゃくちゃだが、ナイスフォローである。


「でも、待ってください。こっちに飛んできたのを雷のエネルギーと考えれば、同等のエネルギーを発生させれば戻れるかもしれませんよね?」

「雷と同じくらいのエネルギーって何があるかしら」

「チャレンジャーなんとかの水圧!」

「頼むからそこのコケムシは黙ってて!」

「地震のエネルギーはそこそこあるよー」

「いつ発生するかわかんないわよ」

「雷ならある程度予測はできます。二号先輩がいますから」

「あとはどうやって戻るか、だよねー」


 そしてまた、彼らは黙り込んだ。

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