第29話 暁

 車の音で目が覚める。

 郁美さんを起こさない様にベッドから出て窓から外を見ると、知人達が来ていた。

 時計を見るがまだ早朝だ。

 あいつらいつも朝早くに来るんだよなぁ。

 ブツブツ文句を言いながら、出迎える為に玄関に向かう。

 ドアのレバーを開けるとスーツの似合うカッコいい中年男性と、私より少し若い男が居て、二人共厳しい表情で立っていた。

「おはようございます」

 一応挨拶しておく。

 カッコいい中年はため息一つ、

「解っているとは思うが」

 懐からゆっくりとキップを出した。

 それは旅行キップだった。

「用意してきます」

 部屋に向かう。

 女物の靴が有ることに気がついたのか、

「レコと住んでいるのか」

 小指を立てて聞いてくる。

「ええ、まぁ」

「一時間位なら外の車で待っていてもいいけど」

 まいったな、という表情で頭を掻きながら言う。

「着替えと……お別れだけですから、十分もあれば大丈夫です。ここで待っていて下さい。あっ、あと、どうか苗字だけは彼女の前で言わないで下さい」

 中年男性が頷くのを確認してから、郁美さんを起こしに行く。

 このタイミングで来るとはね。

 少し可笑しくなって笑ってしまう。

 寝室のドアを開けると、上半身を起こしてこちらを見ている愛しい人、一生寄り添っていたい人、永遠に離れたくない人がいた。

「おはようございます」

 笑顔で言う。

 その笑顔を決して忘れない様に見ておこう。

 少しの間の後、

「郁美さん。私はこれからちょっと……ちょっとでは無いな。長いこと、行かなくてはいけない所があり、迎えが来ていますので、行ってきます」

「あら、どちらへ」

「知人達が居る別荘です」

「別荘に長い事、行かれるのですか」

「はい」

 怪訝そうに見つめられる。

 目を合わせている事が出来ず、目を逸らし着替えを始める。

「どれ位ですか」

「さぁ、少し見当がつきませんが」

 ますます怪訝そうな顔をしていたが、笑顔に戻り、

「もし良かったら、ご一緒させて頂けませんか」

 出来ないのですよ。

 それが……出来ないのですよ。

 心の中で喚く。

 少し顔にも出ていたと思う。

 しかし、一呼吸の後、

「残念ですが、ここは招待された人しか行けない所でして」

 遠慮がちに郁美さんの顔を見る。

「では、待っています。早く帰ってきて下さいね」

 屈託の無い笑顔で言われる。

「いや……待っていなくても結構です。というか待たないで下さい」

 冷たく言い放つ。

 何故だか解らないという風に、少し笑顔を曇らせ、首を傾げ、

「私、何か気に障る様な事をしましたか?」

 遠慮がちに聞いてくる。

 そんなことは無い、そんなことは無いのですよ。

 ただ、ただ私が行かなくてはいけない所が有るだけなのです。

 無言で着替え終わり、向き直る。

 目が合う。

「実は全部嘘なのですよ」

「嘘?」

「ええ、実は私は秘書ではありません。依頼者に頼まれたというのも嘘です。私は、貴方の只の一ファンです。出身も沖縄ではありません。名前も偽名です。何一つ本当がありません。それにね、大麻を……売ったりもしていたのですよ。こんな私が嫌になりましてね、それを治す為に行かなくてはならないのです。大分長くかかると思うので、今度こそ、今度こそ本当にお別れです。こんな嘘つきと、遊んでくれて……一緒に生活してくれて……旅行まで誘ってくれて……そして……本当に幸せでした。これだけは本当です」


 言い終わって、深々と頭を下げる。

 顔を上げる。

 目が合う。

 郁美さんは何故か笑っていた。

 その顔を目に焼きつけた後、背中を向ける。

 一つ息を吐き歩き出す。

 後ろからついてくる気配がした。

 見送りをしてくれるつもりなのだろうか。

 玄関にはスーツ姿の男二人気まずそうな顔をして立っている。

「では行きましょうか」

 カッコいい中年の肩を軽く叩き、返事を待たずに外に出る。

 後ろから二つの足音がついてくる。

 いや、もう一つついてきたが、驚いた様な声と共に途中で止まる。

 この二人が乗ってきた車のインパクトが強すぎたのだろう。

 車に詳しくない人でも知っているクラウンだが、そのカラーリングが黒と白のツートンカラー。

 屋根には赤色灯が回っていた。

 その様なインパクトの強い車が二台並んで停まっていた。

「何で、今頃来るのかねぇ」

 自虐的に笑いながら階段を下りる。

 その私に向かって、

「ピアノ、昔やっていたというのは本当でしたよね」

 後ろから大きな声が届く。

「嘘でも……偽者でも、本物以上になる事も、有るのですよね」

 更に大きな声が届く。

 もう聞きたくなかった。

 早足で階段を下りる。

「待っていますね」

 振り向くと、郁美さんも階段を下りてきた。

 しかし意に介さない様に手を横に振り、駐車場に向かう。

「待っています」

 大きな声で言われたので、立ち止まる。

「待たないで下さい」

 目も合わせずに、少し大きな声で、冷たく言う。

 ここで後ろからゆっくり歩いてきた刑事さん達が追いついたので、行きましょうと促して、三人でパトカーに向かった。

 朝の風が、背中を押す様に、二人を別つ様に吹く。

「待っています」

 後ろから、とても大きな声で言われる。

 もう無視する事にする。

 無視されて、どの様な顔をしているのだろう。

 かわいそうで仕方がない。

 しかし、ここでさよならをしない訳にはいかない。

 どうか、どうか幸せになって下さい。

 心の中で祈る。

 祈り続ける。

 木々は手を振るかの様に揺れ、朝風は冷たかった。


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