第23話

 最後の一発が高々と上がり花火大会の終焉を告げる。

 見物客が次々と帰る中暫く硝煙の香りを楽しみながら二人座っていたが、段々人が少なくなりお互い目で合図をして立ち上がった。

 帰り道もしっかりと手を繋いで歩いた。

 二本しか無い指と少々欠けた手掌からも放したくない温もりが伝わってきている。

 花火の余韻を残し街は静かになろうとしていた。

 最後の楽しい一日はこうして終わっていった。



 朝五時に目覚めてしまう。

 こんなくそ早くに目覚めてどうするつもりなのかは知らないが、とにかく起きてしまった。

 外を見るともう少し明るかった。

 窓を開け外を見るとこんな朝早くから郁美さんが草木に水をあげていた。

 お借りしているジャージに着替えて外に出る。

 早朝の外気が心地良い。

「おはようございます、性が出ますね」

 声を掛ける。

 こちらに気づくと帽子を取り、

「おはようございます。今日は暑くなりそうなので早めに」

 笑顔で挨拶を返してくれる。

 少し寂しそうに感じるのは気のせいか、私の心がそうなのかはわからなかった。


 病院には朝十時、検査結果を聞きに行く。

 そして私も大阪に帰らなくてはならない。

 携帯をいじり、スケジュールの調整を始める。

 私の夏休み、長かった夏休みも今日で終わりだ。

 複雑な思いで作業しているとドアをノックする音がして、朝食が出来た事を告げられた。

 朝食は焼いたサンドイッチにコーヒーだった。

 彼女の手作りを食べるのもこれで最後。

 テーブルの上を見ながら止まってしまう。

 それを見て、

「何か、嫌いな物が入っていますか」

 郁美さんが心配そうにこちらを窺う。

「いや、とても良い香りがしまして。食べてしまうのがもったいなくて」

 正直に感想を述べる。

 それを聞いてクスッと笑い、

「それで宜しければ、何時だって作ってあげますよ」

 何でも無い様に言う。

 何時だって作れるかもしれないが、私はもう食べる事は出来ない。

 冷めてしまっては申し訳ないので、意を決し長く手を併せ頂く事にした。

「まぁ、礼儀正しいこと」

 こっちを見て笑っているその顔を、忘れない様に見ておこう。


 部屋に戻り荷物を纏める。

 郁美さんがアイロンを掛けてくれたシャツに袖を通し、階下へ向かう。

 リビングではもう郁美さんは着替えて待っていた。

「それでは、少し早いが行きますか」

「はい」

 ソファーから立ち上がる。

 玄関に行き一緒に靴を履いた。

 ドアを少し躊躇った後、静かに開ける。

 夏の光が飛び込んできた。

 一歩、二歩進み、郁美さんの為に侍従の如くドアを持ち、開いた状態にする。

 靴を履き終わった郁美さんがどうも、と言って出てきた。

 流れる黒髪が挟まれない様、十分時間をとって静かにドアを閉めた。


 病院では米倉先生が脳の画像を、シャーカッセンに入れて待っていた。

 二人で結果を聞くことにする。

「ここをね、切除すればね、大体治るよ」

 割と難でもない様に言う。

 それだけに自信も有りそうだ。

 良かった。

 本当にそう思った。

 ところが郁美さんの方を見ると、どこか不安げだ。

「何か質問が有りましたらどうぞ」

 先生もその様子を感じ取ったのか促す。

 言われた当人は重々しく口を開く。

「あの、頭を開ける訳ですから……後遺症、とかは」             

「ああ、この手術ではまず心配無いですよ。今までだって一度も後遺症はありませんし」

 自信たっぷりに先生は答える。

 何と頼もしいのだろう。

 この先生がこう言い切ったら、ゴルフでも手術でもほぼ全て上手くいく。

「良かったですね、先生にお任せしましょう」

 私も声を掛けてみる。

 しかしまだ考え込んでいる。

「手術は早い方がいいですよ。薬で発作を抑えるよりも、やってしまった方が体の負担も少ないですし」

 先生も勧めてくれる。

 それでも煮え切らない表情をしている。

 それを見て先生も、

「では、気持ちが落ちついて、貴方の気が向いたらやりましょうか。その時にはご連絡下さい」

 気分を害した様子も無く大らかに言ってくれた。


「では先生、少し時間を頂いてからまたご連絡致します。忙しい中ありがとうございました」

「何言っているの。なべちゃんの彼女の為ならどうって事ないよ」

 ニヤニヤしながら交互に見る。

 やっぱりそういう風に見えるのかな。

 もう一緒に来ることは無いと思います。

 私が一緒に居なくても変わらぬ御交誼を、と心の中で願った。


 病院の外に出る。

 駐車場まで歩きながら郁美さんの様子を窺うが、まだ考え込んでいる様だ。

「やはり、脳を開けるのは怖いですよね」

「はい。だって、今まであった事とか全部忘れてしまうかも知れないですから」

 ふと考える。

 彼女にとっては忘れた方が良い事の方が多い様な気がするのだが。

 小学生の頃、中学生の頃、社会人になってから、とろくでもない事が多すぎる。 少なくても話を聞いている限りではそうだ。

 それにもうピアノも弾けないのだから、別に忘れてしまっても良い様な気がするのだが。

 そして全部忘れて再スタート出来たらどんなに良い事か。  

 そう考えるのは不謹慎か。

「名可男さん」

 立ち止まり、私の背に声を掛ける。

 振り返り、そちらを見る。

「この前仰っていた事ですが、私は我侭、少し言った方が良いのですよね。そして一つ、二つは叶えて頂けるのですよね」

 何かを祈るような目でこちらを見ている。

「ええ、でも手術を受けたくない、というのは少々賛同しかねますがね。まぁ、ゆっくりと考えてみては如何ですか」

「その様な事は言いません。ただ……記憶が無くなったり、そのまま起きなくて植物人間になったりする前行ってみたい所が」

「ほう、そうですか。わかりました。旅行会社に知り合いが居るので最高のプランで予約をお取りしましょう」

「本当ですか。ありがとうございます」

 目を輝かせてお礼を言われた。

「では何処に行かれますか」

 南米、世界一周、南極、何でも来い。

 身構える私に対し、

「沖縄の先島諸島がいいです。海に架かる大きな橋がある島」

 少し拍子抜けした。

 何だ、国内で良いのか。

「わかりました。そこで最高のホテルを御取り致します。最高のプランで素晴らしい旅を提供致しましょう」

「ありがとうございます、我侭言ってすみません。旅行から帰った後、手術をお願いしたいと思います」

 前向きになってくれた様だ。良かった。

「では何時から行かれますか」

「出来たら明後日からお願いします」

「随分……急ですね。まぁ、でも大丈夫だと思いますよ」

 飛行機もホテルも大体二、三名分位は空けている様で、この旅行会社の社長に直接電話すればどんな時期でも大体取れた。

 携帯を取り出し、コールする。

「何名で行かれますか」

「二名で」

「了解しました」

 その声を聞くなり、

「やった、アイコンに電話しないと」

 嬉しそうにいそいそと携帯を取り出して掛け始めた。

 藤堂さんと行くのか。

 この二人が並んで歩いちゃ目立つなぁ。

 少し可笑しくなる、と同時に少し涙が出てきた。

 この電話が終わった後、私は大阪に帰る。

 願うは彼女が幸せになってくれること。

 その手助け、少しは出来たのかな。

 何にしろ私が近くに居ては幸せな訳がない。

 ふと横を見ると、少し離れた所で楽しそうに話をしている愛しい人の姿。

 もう触れる事も、話す事も無いだろう。

 夏の日の午後、日が更に高くなっていた。

 木々の緑に勢いがあった。

 病院の近くの大学の学生であろうか。

 楽しそうに傍らを抜けていく。

 彼女にも私にも、この様な当たり前の青春は短すぎた。

 今後もう二度と無いだろう。

 そしてこれからも。

(さようなら)

 心の中でしっかりと呟いた。


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