第22話 夏月
朝早く目が覚めてしまった。
外を見ると相変わらず綺麗な庭。
窓を開けた。
気持ちの良い風が入る。
今日一日で郁美さんと一日居られる時間は終わる。
淋しい気持ちで一杯になる。
が、郁美さんはこの何千、何万倍も今まで淋しい思いをしてきたのだ。
その何万分の一の思いを私に課する事で少しもの罪滅ぼしとする。
そこで思いが過った。
私が居なくなった後の郁美さんの事。
何かまた生きがいを見つけて動き出してくれれば良いのだが。
そうすれば素敵な人が必ず現れるだろう、今までが悪すぎただけだ。
……素敵な人かぁ。
頼んだぞ、素敵な人。
心の中で呟き勢い良くベッドから出る。
階段を降りていると包丁の音が聞こえてきた。
リビングの扉を開け台所に向かって声を掛ける。
「おはようございます。早いですね」
「あら、おはようございます。名可男さんも早いですね」
包丁の音が止まり、静かにこちらを振り返る。
「ええ、何だか早く起きてしまいましたよ。天気良いですね」
「ええ、花火日和ですね」
静かに外を見る。
朝日は涼しげに庭の緑を照らしていた。
朝食後治療の時間となる。
腫れも無く、内出血が少し黄色く変色しつつあった。
治ってきている証拠だ。
今日は浴衣を着るであろうから包帯をせず、湿布のみ貼って様子を見てもらう事にした。
「はい、終わりました。服を着て頂いて宜しいですよ」
いつも通り終える。
「ありがとうございました」
治療の後、いつも聞こえる小さな息。
安堵とも、また失望とも取れる様な気がする。
しかしそれを考えるのも明日で終わる。
せめて今日は昔の様に肩を並べ仲良く歩きたい。
まだ十時過ぎだが、郁美さんはもう出かけるそうだ。
「早いですね」
「ええ、花火行く前にちょっと美容室に行きたいので」
何でも芸能人御用達の個室の美容室が神宮前にあるらしく、其処まで行くとの事。
大きな紙袋の中身は昨日買った浴衣が入っているのだろう。
「では私も関東の知り合いの所で髪を切りに行きますので、一緒に出ましょうか」
「はい、では」
外に出る。午前中ではあるが、もう暑くなっていた。
「私はそのまま行くので十七時、土浦駅の改札で待っています。これ着替えるのに使って下さい」
家の鍵を渡される。
既に頂いております、十年以上前に、とも言えずあっこれはどうも、と受け取る。
車庫からポルテ君(マセラッティ)がハザードを点滅させながら颯爽と出て行くのを見送った後、私も知り合いが親から継いだ美容室に行く。
歩いて二十分位の所にある商店街の中にあるこじゃれた美容室。
随分綺麗になったなぁ、店の名前を確認してから中に入る。
「いらっしゃいませー」
金髪の派手な女性が出てきた。
「先程電話したテドコンです」
「お待ちしていました、どうぞこちらへー」
笑いを堪えながら案内された椅子へ向かう。
昔、部族と呼ばれていた位肌が黒かった元カノは真っ白の美白になっていた。
地元で美容師になったと聞いていたのでいつか行ってみたいと思っていたが、この様な形で実現するとは。
髪型どうしますかーと聞かれたので、短くしてもらう事にした。
色も黒っぽくして貰う事にする。
「お客さん、この辺ですかー」
「ええ、まぁ」
「地元ですかー」
「はい」
「えー、私も地元ですー。何処中ですかー」
ずっと会話しているのだが一向に気づく気配が無い。
それ程に私の人相が変わっているということだろう。
肝心の腕前の方は時間が掛かったものの良かった。
少し困ったのは高校生の頃の様な髪型になってしまった事。
郁美さんに気づかれないかな。
「こっちのほうが男前ですねー」
大分感じは変わった。
これなら秘書と言っても通りそうな、でも人相悪いから駄目か。
相変わらず元カノは気づかないし。
「また来てくださいねー」
とうとう最後まで気づかなかった。
どうも、と言って店を出る。
時計を見たら一時を少し回っていた。
お腹が空いたので高校の頃、毎週の様に通っていたラーメン屋に行く。
味も大将も変わっていなかったが、あの口の悪い大将が私に全く気づいていないらしく、敬語で注文を取り帰りは、
「ありがとうございましたー」
ちゃんと挨拶してきた。
これなら郁美さんにもばれないだろう。
太陽がこれでもかという様に照りつける。
そろそろ着替えるかな、飛田家に戻る事にした。
土浦駅の改札を出る。
郁美さんを待たす訳にはいかないと思い一時間以上前に来たのだが、さすがにまだ来ていない様だ。
まだ幾らなんでも早かったな、と思い缶コーヒーを飲みながら待つことにする。
周りを見渡すと駅の中にも出店が沢山出ていた。
駅ビルでも花火大会にちなんだセールを開催している。
駅ビル入り口の横がイベント会場になっていて『いばら木君とミス浴衣美人が地元の魅力を紹介』なんてイベントもやっていた。
今壇上にはいばら木君(気ぐるみ)が地元の魅力を一生懸命紹介していた。
いばら木君のやっつけ仕事なデザインに苦笑しながら、どうせ浴衣美人もたいした事なかろう、と意地の悪い気持ちが浮かび確認しようとイベント会場に近づく。
ふと舞台袖を見ると外人に写真を撮られている浴衣美人が居た。
本当に美人だった。
長い髪を後ろで束ね高く上げ、白を基調とした和柄の色鮮やかな浴衣。
色白の肌によく合っていた。
涼しい眼をして外人に答えている。
時折聞こえてくる声から英語で対応しているのがわかる。
(すげーなミス浴衣美人)
はっきり言って、地方の花火大会のイベントに出るようなレベルではなかった。 ミスコンの主催者もこんなのが来るとは思ってもみなかっただろう。
思わず見入ってしまう。
見入りすぎていたら目が合ってしまった。
ばつ悪く目を逸らしその場を去る。
声を掛けられた様な気がして振り向くと、ミス浴衣美人がこちらに向かって手を振っている。
思わず後ろを見るが、他人にでは無く私に向けられたものだと認識する。
何だ、あんな知り合い居ないぞ。
こっちは郁美さんとこの後待ち合わせているのに、万が一あんな美人と居るところを見られたら、気を使われて帰ってしまうかもしれない。
居たとしてもろくな知り合いではないだろうて。
足早で去ろうとした私の後頭部にこんな名前の奴、私しかいないだろう、という名前が届く。
「名可男さん」
えっ、と慌てて振り向くとミス浴衣美人がこちらに向かって小走りにやってくる。
「早かったですね」
よく見たら浴衣姿の郁美さんだった。
本当に判らなかった。
「ええ。しかし……凄いですね」
「何か?」
「……いえ、何でも」
素敵過ぎて沈黙するしかなかった。
「ところでこの格好変じゃないですか」
両手を広げてみせる。
周囲の視線がすごい。
「いや、似合い過ぎていますよ。ミス浴衣美人かと思いましたよ」
「あらっ、ありがとうございます。あんなに若くないですけどね」
楽しげに笑い、壇上を指差す。
いばら木君の隣に本物のミス浴衣美人が上がっていた。
頭軽そうな大学生風のお姉ちゃんだった。
「正直あれじゃ、郁美さんと比べたら勝ち負けになりませんよ」
「そうですか、名可男さんが見てそう思うのですか」
「いや、誰が見てもそうだと思いますよ」
楽しそうな、嬉しそうにも聞こえる笑い声が近い位置で聞こえ、右横を見るとかなり近い位置に郁美さんが居た。
慌てて少し距離をとろうとする。
私の甚平の裾が引かれる。
「あの、ご迷惑でなければ手を繋いで頂けませんか」
「えっ」
「左手、今日は義手なので」
ほとんど判らない。
遠目には全く判らない位精巧に出来ている。
しかし、気になる様で右手で左手の甲を擦っている。
果たしてよいのだろうか。
その左手を私の右手が恐る恐る握る。
少し照れながら声を掛ける。
「行きましょうか」
「はい」
まるで本当の彼氏、彼女の様に仲良く手を繋ぎながら会場へ向かう事となった。
花火会場は幾つか在るが、陸上競技場から見るのが一番だという事は知っていた。
なのでそちらに行こうと言うつもりであったが、ごく自然にそちらに足が向いていた。
会場に近づくにつれて人が少しずつ増えてきた。
出店もまだ営業を始めたばかりの様でまだ用意をしている店もあった。
良い香りのたこ焼き屋でたこ焼きを買い、焼きそばも買いましょう、との提案があったのでそれも買い、コーラも買った。
仲良く手を繋ぎ、肩を並べて歩く。
手まで繋いでいるのは出来過ぎであったが、郁美さんの要望では致し方ない。
歩いている途中周りからいつもと違う、人からの視線を感じ続けた。
それは私にでは無く、ほぼ全てが隣に向けて注がれていた。
まぁそうだろうな。
これだけの美人が歩いているのだから。
改めて横を見る。
周囲を圧倒する様な容姿、それでいて清楚な雰囲気。
ついまた凝視してしまう。
それに気づいてか、こちらに目を向け楽しそうに笑む。
その様子を見て慌てて目を逸らす。
すかさず体を寄せてくる。
「何でしょうか」
「い、いえ、何も、つい……失礼」
「つい、何ですか」
「い、いや何でも」
「随分髪切ったのですね、こっちの方が似合いますよ」
少し撫でられる。
「どっどうも……これは……」
慌てふためき、落ち着きも無い私だが、手を握っている右手は離していない。
傍から見たら本物の彼氏、彼女がふざけあっている様にしか見えないかもしれない。
郁美さんは本当に楽しそうだ。
かという私も何年も、十何年も味わっていない気持ちの高まりを感じていてとても楽しかった。
会場に着くと開始時間まで大分ある為、まだ会場は閑散としていた。
これから序所に集ってくるだろう。
ビニールシートを広げて座り、二人で焼きそばを開けた。
「土浦は十月にも花火大会があるんですよ。これは日本三大花火大会の一つにも数えられる程、盛大な花火大会で……」
郁美さんの地元自慢が始まった。
私は女性が地元自慢をしている姿が可愛く見えてしまい、いつも聞き入ってしまう。
郁美さんの地元自慢は通常の何倍も可愛かったが。
「……で全国から花火師が終結して自慢の花火を上げるものだから、それはもう。他では観た事が無い位綺麗ですよ」
うんうん、と笑顔で頷き聞いていた。
「その時はまた、ぜひ見に行きましょうね」
うんうんと笑顔で……頷ける訳がなかった。
明後日からまた、腐れ人間の渡邉となって暮らす訳だから。
十月だけテドコンで来ようかそれは駄目だ。
彼女には幸せになってもらいたい。
こんな腐れ人間が何時までも近くに居て良い訳がなかった。
類は友を呼んでしまう。
少々固まっている様子の私に、郁美さんの視線が探照灯の様に伸びてきて捕らえられる。
痛い、心がとても痛い。
でもこのまま黙っている訳にもいかない。
「ええ」
どっちとも取れる返事をするのがやっとだった。
と、私の腕に水滴が落ちてきた。
上を見るとパラパラと雨が落ちてきていた。
会場に集り始めていた人達の中には物陰に移動する人いた。
「どうしますか」
「すぐ止むと思いますので、このままいましょう」
「わかりました、ではこれを」
こんな事もあろうかともう一枚ビニールシートを買っておいた。
これを頭の上で広げて二人で端を持つ。
「よく気がつきますね」
「いや、こんなことだけは」
「実際凄い機転ですよ。こんないい天気の日に雨が降るなんて中々考えないですよ。以前にもこの様な事があったのですか」
心臓を貫く様な言葉を笑顔で言う。
「さぁ、どうでしたか」
言葉を濁すしかなかった。
少しすると雨も止み、風も穏やかなものとなった。
二人でビニールシートを降ろす。
その時ほんの少し水滴が落ちたのか、それとも汗なのか、郁美さんの首の辺りが少し濡れていて艶めかしく、つい見入ってしまう。
「別に痛くないですよ、ご心配なく」
不意に可笑しそうに言われた。
肩を凝視していると思われたのだろう。
随分紳士に見られている様だ。
ごめんなさい、今変な目で見ていました。
心の中で詫びる。
いつの間にか周りは暗くなり、会場は人で一杯になっていた。
照明弾の様な一発が高々と上がり、花火の開始を知らせた。
次々と上がる花火。
次第に言葉も無くなり、郁美さんは頭を私の肩に預ける様に寄り添う。
もう私も最後だと思い、肩を預けてもらい続ける。
幻想的な花火の色。
「夢みたい」
郁美さんが呟く。
「そうですね」
その色はまるで夢の中の様で。
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