第33話 若葉



 初公判前、弁護士の堀さんが面会に訪れた。

「身請け人の人、喫茶店やるらしいよ」

「何だってまた……」

「出所後の職場が、決まっているのと、いないのとでは大分違うからねぇ」

 こんなにも考えてくれているのか。

 胸が熱くなった。

「それとね、彼女贖罪寄付をするんだって」

「えっ?」

「貯金全部使うみたいだよ。幾らあるのか知らないけど」

「やっ、やめさせて下さい。今すぐ」

 この人は幾ら持っているのか知らないから。

「何で? 少し早く出て来られるかもよ」

 堀さんは少し驚いた顔をしていたが、笑顔で言う。

「早く出て来られなくてもいいですから」

 大体幾ら持っているか知らないでしょ、と続けたかったが、それを制して、

「彼女は君が、少しでも早く出られる事を一番に望んでいるよ」

 ニヤッ、としながら言う。

 そう言われてしまっては黙るしかない。

「それでね、その為にはこれに記入しないと効果無いから後で書いてね」

「あっ、はい。……ってこれって……」

「結婚届けだけど」

「こんなもの書いて良い訳がないでしょう」

「彼女がこれを一番望んでいる様だけど」

 用紙をヒラヒラさせながら言う。

 もう言うとおりにするしかなかった。

 感謝で胸が一杯となり、涙が溢れた。


 

 裁判にも出廷してくれた。

 身元も引き受け、仕事もうちのお店で働いてもらいます、と言ってくれた。

 そして彼はかけがえのない家族です、と言ってくれた。

 渡邉郁美さんはそう言ってくれた。

 彼をずっと、ずっと、いつまでも待っています、と言って私の為に泣いてくれた。裁判官も検事も、とても困った顔をしていた。

 堀さんの話では、法廷では幸薄い美人は減刑に効果があるそうだ。(普通の美人だと逆効果になる事があるらしい)

 どの程度効果があったのかは判らないが、判決は驚くほど軽いものであった。

 私も検事も控訴をしなかった。



 判決を見届けた後、空き家になっていた実家を買い戻してくれた。

 これでお金を全部使ってしまいました。

 早く帰ってきて下さいね、と手紙に書いてあった。

 面会には来ない様に言ってあった。

 お互い治してから会おうね、と言っておいたから。

 素敵な店にしましょう、と書いてすぐ送り返した。

 その後、彼女が手術を受ける、という手紙を受け取った。



 それから月日が流れた。

 何時まで経っても手紙の返事が来なかった。

 何度も何度も出した。

 全然返って来なかった。

 いよいよこれはおかしいな、と思っていたら、米倉先生から手紙が来た。

 読みたくなかった。

 手術は成功したが、植物状態になってしまった様だ。

 もう死にたかった。

 しかし、これで一生彼女と一緒に居られる事が確定した。

 相手が私で良いのか、というのは未だに自信が持てないが。

 刑務所の中は噂が広がるのが早い。

 早く模範囚で出て看病出来る様にと、受刑者仲間が色々と気を使ってくれた。

 先生(刑務官)もそれとなく優しかった。

 暫くして、保護司が面接に来た。

 かなり早い方だと先生が言っていた。



 それからまた月日が流れた。

 仮釈放は驚く程早かった。

 同房の人どころか、他房の人、先生に至るまで、祝福してくれると共に、これからの事を心配してくれた。

 仮釈放なのに身元引受人が迎えに来られないので、刑務所の職員の方が駅まで同行してくれた。

 数年の社会不在期間中にそれ程変わった事は無かったが、何となく娑婆に出るのは緊張していたので有難かった。

 ついつい行進の時の癖で、後ろに着いて歩いていたら笑われた。


 新幹線に乗りながら考える事はこれからの事だけだった。

 確かに不安はあるが、それ程不安にも感じていなかった。

 楽観的な私に可笑しさがこみ上げ、笑ってしまった。

 新幹線は富士山の前を通過した。

 高く聳え立つが優美な姿に見とれる。

 もうすぐ静岡駅の所だった。

 新横浜駅に着く。

 関東に入った。

 品川駅を通過する頃には気持ちが高鳴っていた。

 どんな形であれ、再開できるのだから。


 地元の駅に着いたのは夕方近くだった。

 ゆっくりとメインストリートを歩く。

 駅前のスーパーが無くなって、葬式会場になっていた。

 玩具屋が美容室になっていた。

 石屋の敷地にファミレスが出来ていた。

 その他は特に変わった所は無かった。

 交差点で立ち止まる。

 右に暫く行くと病院で、真っ直ぐに行くと元実家だ。

 どちらから行こうかな、と考えたが、実家から行くことにした。

 閑静な住宅街をゆっくりと歩く。

 風が心地良かった。

 昔のままの懐かしい家並みを見ながら、少し懐かしい気分に浸りつつ歩く。

 古いアパートは無くなっていて、真新しい家々が出来ていた。

 その隣に実家は当時と変わらぬ姿で建っていた。

 前に佇み、中を見る。

 まだ再開していないのに店員が居た。

 一生懸命に掃除をしている。

 しかし、何とたどたどしい事か。

 ゆっくり、ゆっくりとテーブルを拭いている。

 雑巾を落とす、ゆっくりと拾おうとして転ぶ、一緒にバケツも倒す。

 ゆっくりと立ち上がるが、滑って転び、今度はレコードが沢山載っているテーブルを倒した。

 掃除をしている様だが、散らかしている様にも見える。

 歩くのもままならない様子だ。

 まだリハビリが必要なのに無理に動いていることは容易に想像できた。

 やれやれ、と苦笑いで店の中に入っていく。

 店内にはグリーンスリーブスによる幻想曲が流れていた。

 店員さんに聞きたい事があったので聞いてみる事にする。


「クラシックお好きですか?」


 急に話かけられたからか、店員さんは驚いた顔をしていたが、笑顔でこちらに向き直る。

 綺麗な双眼、小さな顔、長い手足に、白い肌。美しい姿は変わっていない。

「はい、昔、少し、弾いていましたので。貴方もお好きですか」


「ええ、昔音楽喫茶の息子だったもので。特にこの曲は好きですよ」


「……あの訳は酷かったけどね」 


 お互いに笑った。

 そしてどちらからともなく抱きしめあう。

 長かった。

 本当に長かった時間を埋める様に。

 夕方の十七時過ぎ。

 静かで穏やかな部屋に差し込む夕日はまだ明るく、二人を照らすには十分だった。


(了)


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