第5話 陽炎

 重箱の様なお弁当箱が机の上に載った。

 いくらなんでもこれは。

「男の子なんだから、それくらい食べられるでしょ」

 当たり前の様に言う飛田さん。

 しかし限度がありますよ、飛田氏。

 心の中で呟く。

 ここ何日かまるで彼女の様に振舞っていた。

 付き合っているんだって? とかクラスの女子に聞かれていた。

 そうだよ、と照れ笑いで答えている。

 おいおいいいのか。

 その手の噂は広がるぞ。

 まぁ飛田さんが嫌でなければ問題ない。

 しかし相手俺だぞ、ちょっとは否定した方が。

 彼女の周りにはどんどん人が集まってきた。

 そうだよ、あなたは人気者になれる素質があるのですよ。

 飛田さんの楽し気な横目で見ながらそう思った。


 夏休み前の期末試験も終わり、あとは夏休みの計画を練る為だけに登校する様な毎日となる。

 みんなどこか浮かれていた。

 そんな楽しさ一直線のある日。


 飛田さんが先輩達に連れて行かれるのを見た。

 放課後、何時もの様にまるはし(田舎のコンビニ)で待っています、と私に言って出て行かなかった。

 おかしいな、と思ったら案の定こういうことか。

 後ろから気づかれないようについて行く。

「何やってんだ」

 途中中山が声を掛けてきたが、無視して後を追いかけた。


 校舎裏、焼却炉の所で先輩達に囲まれていた。

 物陰から様子を伺う。

「やべーよ。高居先輩達じゃねーか」

 中山もついてきた様だ。

 高居先輩はこの学校一番の悪で他校でも知られていた。

 そんなのに飛田さんは一人で取り囲まれていた。

「何で付き合ってくんねーんだよ」

 大声で怒鳴る高居先輩。

 こっちまで怖くなってくる様な怒鳴り声。

 しかし十人位に取り囲まれているのに、飛田さんは不敵な笑みを浮かべて対峙している。

 少し遠くて飛田さんの声は聞こえないが何か言い返している。

 不敵な笑みを絶やさずに諭すように攻撃している様で、高居先輩が押されて困っているのがここから見える。     

 こんな表情で人を攻撃することも出来るんだ。

 いやーたいしたもんだ。

 タカもう諦めろよ。

 高居先輩が連れの一人に肩を叩かれていた。

 これは大丈夫かな、帰ることにしたその時とんでもない声が聞こえてきた。


「この人殺し女が調子に乗ってんなよ」


 高居先輩の大声。

 撃たれた様に弾かれて飛田さんの全ての動きが止まった。

 何? 人殺し?

 何の事だか全然分からなかったが、飛田さんは顔が真っ白になりガタガタ震えだした。

 えっ何それ。

 連れの人も解からなくて高居先輩に聞いている。

「こいつは茨城で人を殺しているんだよ」

 えーマジで。

 連れの人達は驚いていた。

 私も驚いてしまった。

「冗談だろ」

 と言った中山の声も震えていたが、飛田さんの表情が真実を物語っていた。

「何普通の人です、みたいに振舞ってやがるんだよ」

 高居先輩が続ける。

 もう飛田さんの口からは声が出なかった。

「しかもよ、二人も殺しているんだぜ」

 飛田さんはその場にうずくまって、頭を抱えてしまった。

 なおも高居先輩の怒号は激しく続いた。

「もっと息を潜めてひっそりと生きろ」

「もう学校にも来るなよ。うそつき殺人者」

「大体外に出てくるな。ム所で繋がれてりゃいいんだ」

 飛田さんの肩が震えていて泣いているのが分かった。

 振られたからって何で女の子一人をこんなに追い込むんだ。

 段々腹が立ってきた。

「大体何でお前は生きているんだよ。一緒に死ねよ」

 高居先輩はそう言って飛田さんの頭を軽く叩いた。

 おい行くなよ、と言う中山の声と同時位だったと思う。


「そこを動くなーーーーーーーーーーー」


 自分でもビックリする様な声を上げ、高居に向かって走り迫る。

 驚いた表情の高居の顔が近づく。

 拳を硬く握り思い切り横面を殴った。

 仰け反る高居の顔。

 髪の毛を掴んで何度も何度も頭突きを入れる。

 やがて高居は崩れる様にしてその場に仰向けに倒れた。

 そこからは大変だった。

 いきなり後ろから硬い物で殴られた衝撃が走る。

「何やってんだ、あ~」

 高居の連れに取り囲まれていた。

 蹴りが飛んできて腹をえぐる。

 拳が無数に飛んでくる。

 目、鼻、口、体、至る所に衝撃が走る。

 しかし不思議なことに痛みは感じなかった。

「飛田さん逃げろ」

 そう叫んで正面の奴の横面を思い切り殴る。

 そいつは砂煙を上げて横に倒れた。

 左にいる奴の股間を思い切り蹴り上げる。変な声をあげて蹲る。

 私の反撃はそこまでだった。

 もう袋叩きの見本の様な袋叩きにあってしまった。

 うつぶせに倒れると無数の蹴りが飛んできた。

 少し視界に入る飛田さんはうずくまりながらもこっちを見ていた。

 何で? といった表情で私を凝視する。

「早く逃げろ」

 言うか言わないかの所で上からぐぇっ、という声がして人が吹っ飛んだ。

 顔を上げると体育教師が大量に出てきていた。

 先輩達は逃げ出した。

 それを体育教師達が追いかける。

「大丈夫か」

 中山が私に声をかける。

 中山が呼んできたのだろう。

 サンキュ、マジで助かった。

 中山の肩を軽く叩く。

 そしてよろける足で飛田さんの所に向かう。

「終わったよ」

 うずくまっている飛田さんの肩を軽く揺らす。

 ビクッとしたのが手に伝わってきた。

「ごめんなさい」

 消え入りそうな声で囁かれた。

「黙っていてごめんなさい。普通に振舞っていてごめんなさい。普通に学校通ってごめんなさい」

 小さな消え入る様な声で早口に捲くし立てる。

「そんなこと、あやまるなよ。あやまる事じゃないだろ」

「道を歩いてごめんなさい。同じ空気を吸ってごめんなさい」

「何でそんなこと言うんだよ」

 飛田さんは、小さな声でひたすらあやまり続けた。

 そして今度はお礼を言い始めた。

「助けてくれてありがとう。遊んでくれてありがとう。普通に接してくれてありがとう」

「そんな事でお礼なんか言うなよ」


 私の言葉は届いていなかった。

 そしてひととおり言い終わったのか、ゆっくりと立ち上がった。

「もう二度と姿を見せません。学校にも来ないので安心して下さい」

 魂が抜けた様な顔になって、その場を去ろうと校外へ向かう。

「待ってよ」

 足が止まることはなかった。

 早く止めなきゃ。

 声の限り怒鳴った。

「彼女がいきなり居なくなったら悲しいだろ」

 飛田さんの足は止まることはなかった。

 どんどん距離は離れる。

 走って追いかけようとしたが、殴られまくった痛みで上手く走れず転んでしまった。

「何があったかは知らないがこんな去り方があるか」

「おい、待ってくれよ」

「部活はどうすんだよ」

 飛田さんは止まらなかった。

 校舎の角を曲がったらもう見えなくなる。

 もう一生見られなくなる。

 そんな予感が渦巻いた。

 校舎の影に隠れるか隠れないかの位置まで行ってしまった。

 もう駄目か。

 最後の力を振り絞り叫ぶ。

「俺は飛田さんの事、こんな事で嫌いになったりしないぞ」


 校舎の影に黒髪が隠れる寸前だったと思う。

 そこで漸く止まった。

 痛みを堪えて走りよる。

 以外にも先に口を開いたのは飛田さんだった。

「そんな無責任なことを言ってもいいの?」

 ぞっとする様な怖い表情でこっちを見る。

 しかし飛田さんはこれ以上の思いをしてきたのだろう。

「何があったのかは聞かない。事実がどうであれ、今ここにいる訳だから悪いことをしたのではないのだろ。だったらいいじゃないか」

 それを聞いて重く口を開く。

「人殺しと居る事なんて出来るの。私はこの先ずっと言われ続けるのよ。隠していても無駄、こうやって人伝いに噂なんて広まるの。その度に誹謗中傷に晒されたり、住む所を変えたり、夢を諦めたり。一生これが続く人間なのよ」

「逃げるなよ。今言っている事は全部逃げだぞ。どこかで向き合わないと居場所がどこにも無くなるぞ」

「向き合っても敵だらけ。一人で何が出来ると言うのよ。一人で沢山とは戦えない。いっそ居場所が無くなれば……」

 自虐的に鼻で笑う飛田さん。

 味方がいないなんてこんな辛いことは無い。

 ずっとこんな状況だったんだろうな。

「じゃあ、俺も一緒に戦ってやる。相手が誰でも戦ってやる。居場所を守ってやる。守り抜いてやる。二人なら出来るかもしれないだろ。だからそんなこと言うな」

 少し驚いた様な目でこちらを見る。

「一生続くのよ」

 小さく、囁く様な声に対し、渾身の大声で答える。

「じゃあ一生守ってやる」


 ぞっとする様な表情が消え、代わりに幼い少女の様な表情となった。そして張り詰めていたものが切れたのか大声で泣き出した。

 そっと肩を抱く。

 すると物凄い力で抱き返してきた。

「いっ、痛いよ、飛び……郁美さん」

 初めて名前で呼んでみた。

「あっ、名前で呼んでくれた」

 嬉しそうに言ってまた泣き出した。

 私の胸の中で、子供の様に泣きじゃくる郁美さんを泣きやむまで、優しく、優しく抱き続けた。



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