第15話

 朝電話しておいたホテルにキャンセルの電話を入れる。

 しかしいいのだろうか。

 また今日も泊まらせて頂く事になってしまった。

 部屋に入るとシャツを脱ぎ良かったら、と彼女が用意してくれたトレーナーに着替える。   

 男物を渡されたので元彼、若しくは今彼の物かと複雑な思いで受け取る。

 彼氏さんの服使っても宜しいのですか? と何気なく聞いてみたが、昔父親の使っていた物で申し訳ないですが、と返ってきた。

 まぁよくよく考えてみれば、彼氏がいた場合私など家に泊める訳が無い。

 着替えて階下に下りると良い香りがしていた。

 何を作っているのかな、そういえば昔から料理が好きだったな、等考えながらリビングのドアを開けた。

 気配に気づいたのか、

「トレーナーの大きさ大丈夫ですか」

 ダイニングから彼女の声が届く。

「ええちょうど良いですよ」

「良かった。少し調理に時間がかかるので寛いでお待ちください」

「いえ、ホントお構いなく」

 ふと外に目を向けると夕日に照らされた綺麗な色彩が飛び込んできた。

 大きな窓に近づく。

 わぁ、大きな庭は物凄い庭園になっていた。

 見たことも無い様な華が咲き乱れ、緑の芝生の絨緞が敷かれている。

 白いテーブル、白い椅子、小さな池には橋が架かっていた。

 隅の方に目を向けるとビニールハウスまである。

 これは凄いな、時間を忘れて思わず見入ってしまった。

「食事の用意が出来ました」

 彼女の声がして我に返った。

 気がつくと後ろに立っていた。

「いや、この庭は凄いですね」

 思わず感想を述べる。

 静かに頷くのが感じられた。

「庭を私の好きな様に作っていたらこうなってしまいました。暇に任せて集中しすぎましたね」

 いたずらっ子の様に舌を出しおどけている。

「さあ、冷めないうちにお夕飯にしませんか」

 テーブルにはハンバーグにクリームシチュー、サラダが並んでいる。

 とても良い香りがしていた。

「シチューもハンバーグも少々作りすぎてしまいました。沢山お替りして下さいね」

 ナイフとフォークではなく、お箸が置いてある。

 彼女流なのだろうか。

 いただきます。

 手を合わせ箸を取る。

 ハンバーグは何だか懐かしい味がした。

 そういえばプロ以外の人が作るハンバーグを食べるのは生まれて初めてだった。 シチューも絶妙だった。

 ついついがっついてしまった。

 これは言って良いのだろうか。

「すいません……お替り下さい」

「はい、遠慮せずどんどん食べて下さいね」

 微笑む彼女に甘えてハンバーグ三つ、シチューは五回もお替りしてしまった。

 少しは遠慮しろよ、と自分自身に言い聞かせたくなるが止まらなかった。

「ご馳走様でした。美味しかったです」

 手を合わせ至福の時間を終える。

「お粗末様でした、今コーヒーを淹れますね。リビングに持って行きますので、そちらでお待ちいただけますか」

 そう言って立ち上がる彼女。

 あっ、コーヒー淹れるのはプロ級なのでそれくらいやらせて下さい、と言いそうになり寸での所で止める。

 黙ってリビングに向かった。

 外はすっかり夜になっていた。

 昼はあれ程暑かったのに今は網戸にしておけば凌げる程であった。

 ソファーに腰掛け先程の食事の余韻に耽る。

 食事は殆ど外食なのであのような暖かい温かい食事は久しぶりだ。

 今まで付き合った女性はこの様な物は作ってくれなかった。

(望んだことも無かったか)

 携帯を広げると美貴さんからの業務報告が入っており現実に戻される。

 何の心配も無い報告を見て返信し静かに閉じた。

「お待たせ致しました」

 コーヒーをお盆に載せて彼女が現れる。

 対面に座った彼女が口を開く。

「今日は本当に色々とお世話になりました。ありがとうございます」

 そこまで言うとクスッと笑う。

「何か?」

 不思議に思って聞いてみる。

「ごめんなさい。だって、あんなに食べるとは思わなくて。そんなに美味しかったですか」

 ケラケラ笑い出した。

 そういえば笑い上戸だったな、懐かしく思い出す。

「ええ、ハンバーグが、手作りのハンバーグがこんなに美味しいとは思いもよりませんでした。何しろ手料理自体久しぶりで」

「あら、秘書さんの彼女さん……奥さんかな、作ってくれませんか?」

 含み笑いで窺う様にこちらを見る。

「彼女はいません、何しろもてないものですから。歴代彼女も料理出来る子なんて……」

「そうですか、もてそうに見えますけどね」

 私の何処を見て言っているのだろう。

 人相が悪くなりすぎていて鏡を見る度に絶望的になるのだが。

「目の治療、時間掛かりそうですね」

 冷静に返す。

「良く見えていますよ。今日一日でかなり良くなりましたから」

 思わず吹きだしてしまった。

 どうやら目薬で治るらしいが一日でそんなに良くなる訳ないだろうに。

 静寂を破り二人して笑った。



 心地の良い朝を迎える。

 今日は脳神経外科に行く。

 病院の受付に行き私の名詞を渡すとすぐに通された。

「いってらっしゃい」

 彼女に声を掛けるとにこやかにこちらに一礼し、看護師に先導されて診察室に入っていった。


 しばらくすると診察室から彼女が出てきた。

 会計の為二人で待合室に座っていると米倉医師が来た。

 この医師はもともと大阪のスポーツクラブ主催のゴルフコンペで同じ組で回らせて頂いたのだが、会食の時軍艦マニアなのを知ってそれ以来先生が東京に引っ越された後でも交流があった。(私も軍艦マニア)

「忙しい中、わざわざ出てきて頂いてすいません」

 立ち上がり頭を下げる。

「何言っているの、水臭い。検査結果は一週間後かな」

「そうですか。宜しくお願いします」

「ところでシャルンホルスト(ドイツの軍艦)完成したよ。今度見に来なさい」

「あーついに完成しましたか。やっぱり白く塗りましたか」

「当たり前だよ、真っ白に塗ったよ。ドイツの戦艦の中でもこいつは特に美しい」

「長門とどっちが美しいですか」

「竣工時なら長門」

「そこは譲らないのですね」

「そりゃそうさ、軍艦は長門が一番美しい。三笠も捨てがたいがね。彼女も一緒にいらっしゃいな」

「いや、この方は彼女じゃ……」

「おおっもうこんな時間だ。じゃあまたね、なべちゃん」

 先生の去り際の言葉に心臓が跳ねる。

 しまった、こんな単純ミスをするとは。

 口止めしておくべきだった。

 渡邉という名前は断じて出してはいけない。

 よくある苗字だが万が一彼女が私の事を覚えていたら。

「そういえば、秘書さんのお名前をお聞きしていませんでしたね。なべさんと言う事は……鍋島さん、真鍋さん……」

 ほらこうなる、もうしょうがない

「なべお、と言います」

 咄嗟の判断で先を制して言い放った。

 言い詰りこちらを見ている彼女に続ける。

「名前の名に可能の可、男の子の男で名可男といいます。親が名前を誰にでも名前を言う事が可能な恥ずかしくない男になれ、という意味で付けたと聞いています」

「苗字では無く、名前の方だったのですね」

「はい」

「素敵なお名前ですね。お父さんの愛情を感じます」

 微笑を浮かべて頷いていた。

 何とか誤魔化せた様だ。

 しかし名可男とはよく言ったものだ。

 目の前の大事な人にさえも名前を言う事が可能でないくせに。



 夏の遅い夕日が街を包みこむ前に彼女の家に到着した。

 ドアを開けて降りる彼女を見送る為、私も車から降りる。

「では、明後日は午後からお迎えに伺います」

 振り返りこちらに屈託のない笑顔を向ける。

「あら、今日はお泊りにならないのですか」

「いや、今日は友人と飲みに行きまして、そのまま自宅に泊めて頂く予定ですので」

 そうですか、と微笑みを消さずにこちらに向けた視線を外す。

 少し肩を落とし軽いため息が聞こえた様な気がした。

 しかしまたこちらに目を向ける。

「では、明日の夜はこちらに泊まられては如何ですか。実は今日も泊まられると思って、食材多く買ってあるのです」

「本当にお構いなく。それにしても……幾らなんでも私も一応男ですよ」

 良いタイミングだったので、再会後ずっと気になっていたことを聞いてみる。

 彼女は表情を変えないで言う。

「私なんかとじゃ何もおこらないのではないですか。こんな気持ち悪い手ですしね」

 欠けた左手をひらひらさせながら、自傷気味に力なく笑う。

 そんなこと無い、と言って力いっぱい抱きしめたかった。

 そんなこと出来る立場には勿論無い訳だが。

「食材は日持ちしますか?」

「はい。カレーライスの予定でしたので」

「では、明日の夜六時に伺っても宜しいでしょうか」

「はい、待っています」

 明るく弾んだ声が耳に入ってくるのを確認した後、車のドアを開けた。

 見送る彼女の視線を背中に感じつつ車を滑らす様に走らせる。

 夕日が沈みかけていて辺りに暗闇が覆う前に電灯が点き始めていた。


 医師兼義肢装具士の吉田さんは大阪でまだ勤務されている時、うちの店によく来てくれていた。

 奥さんはなんと元うちのスタッフの秋吉さんである。

 同郷ということもあり気も合った為遊びに行ったり、飲んだり、ゴルフをする仲間だ。

 東京に転勤になったのは引く手あまたの為で、電話したら忙しいだろうに快く診察を引き受けてくれた。


 車で三十分もすると地方都市にしては大きなビル街が見えてくる。

 大きなホテルの横を通り過ぎ、右手に見える小さな道を少し行くと飲み屋街となる。

 確かこの辺だと言っていたよな。

 あっ、あった。

 ジンギスカンの店、大きな赤い看板が出ていてすぐ分かった。

 店の近くの駐車場に車を止める。

 中に入るともう吉田先生が待っていた、というかもう飲んでいた。

「ごめん、なべちゃん。もう始めちゃっている」

 もう大分顔が赤い。

「多分もう飲んでいると思っていました」

 笑いながら返す。

 久しぶりに吉田先生と飲む。

 この先生とは年も近い事も有りよく飲みに行ったが、大体私が潰れてしまい迷惑を掛けるような事ばかりしている。

 いたずらな性格の吉田先生はそれが面白いらしくいつもゲラゲラ笑ってくれていた。

 しかし、今日は潰れる前に言っておかなければならない事がある。

「先生実は……」

「え、明日はなべちゃんって呼んじゃいけないの?」

「ええ、ちょっとワケアリで。ですから名前を呼ばないか、三文判が普通に売っている様な有り触れた名前、何でも良いので先生の呼びやすい名前で呼んで頂けると有り難いです」

「呼びやすい、三文判がある様な名前なら何でもいいの?」

「はい。変なお願いをしてしまい、申し訳ないですが」

「そうか、分かった。じゃあ飲もうか」

 これで米倉先生の時の様な事は無いだろう。寂しいが仕方がない。

 万が一を考え予防線は張り巡らせる必要がある。


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